<Wat Phra That Hariphunchai:ワット・プラタット・ハリプンチャイ>
チェンマイから30km南のランプーンにあり、ハリプンチャイ王国時代はその中心に位置していた。11世紀中頃にハリプンチャイ国王・パヤーアーティットヤラートが、仏舎利を納めた仏塔を建立したのが始まりだと云う。
正面から見ると白い山門と、その手前の一対のノラシンガ像(獅子)が目に入る。これは1447-1448年にランナー朝第9代・ティローカラート王(在位:1441-1487年)が、この寺院を改修した際に置かれたものである。その山門は小さな尖塔を持ち、全体的には宮殿のようであるが、これらはモン族のタワラワディー様式という。このノラシンガ像も山門も、1956年に改修を受けている。
ウィハーン・ルアン(ルアン礼拝堂)はランナー様式で、堂内には大中小の金色の仏像が安置されているが、中央左手の小さなガラスケースの中の仏像プラ・ケーオカーオ(白い水晶仏)は、チャーマティーウィ女王がロッブリーからやって来た時に持参したものだと云われている。しかし、13世紀末、ランプーンを占領したメンライ王がチェンマイに持ち帰り、現在はワット・チェンマンに祀られている。従って現在目にするのは、スイス産の水晶で作った仏像である。
仏舎利が祀られている黄金の仏塔は1418年建立で、20m四方の台座に建つ高さ46mを誇る、ランナー様式の仏塔である。その後1511-1512年にランナー朝の11代・ケーオ王(在位:1495-1525年)が改修した歴史を持つ。この仏塔は酉年生まれを守護するということで、いたるところに鶏の置物が置かれている。
この仏塔の右奥に、古色で味わい深い仏塔が建つ。ワット・ククットの仏塔に似た、ハリプンチャイ様式のもので、8層の各層に仏龕があり、そこに仏像が納められている。しかし長年の風雨で多くの仏像が失われている。個人的にはランナー様式の黄金の仏塔よりも、この仏塔が気に入っている。
チェンマイから30km南のランプーンにあり、ハリプンチャイ王国時代はその中心に位置していた。11世紀中頃にハリプンチャイ国王・パヤーアーティットヤラートが、仏舎利を納めた仏塔を建立したのが始まりだと云う。
正面から見ると白い山門と、その手前の一対のノラシンガ像(獅子)が目に入る。これは1447-1448年にランナー朝第9代・ティローカラート王(在位:1441-1487年)が、この寺院を改修した際に置かれたものである。その山門は小さな尖塔を持ち、全体的には宮殿のようであるが、これらはモン族のタワラワディー様式という。このノラシンガ像も山門も、1956年に改修を受けている。
ウィハーン・ルアン(ルアン礼拝堂)はランナー様式で、堂内には大中小の金色の仏像が安置されているが、中央左手の小さなガラスケースの中の仏像プラ・ケーオカーオ(白い水晶仏)は、チャーマティーウィ女王がロッブリーからやって来た時に持参したものだと云われている。しかし、13世紀末、ランプーンを占領したメンライ王がチェンマイに持ち帰り、現在はワット・チェンマンに祀られている。従って現在目にするのは、スイス産の水晶で作った仏像である。
仏舎利が祀られている黄金の仏塔は1418年建立で、20m四方の台座に建つ高さ46mを誇る、ランナー様式の仏塔である。その後1511-1512年にランナー朝の11代・ケーオ王(在位:1495-1525年)が改修した歴史を持つ。この仏塔は酉年生まれを守護するということで、いたるところに鶏の置物が置かれている。
この仏塔の右奥に、古色で味わい深い仏塔が建つ。ワット・ククットの仏塔に似た、ハリプンチャイ様式のもので、8層の各層に仏龕があり、そこに仏像が納められている。しかし長年の風雨で多くの仏像が失われている。個人的にはランナー様式の黄金の仏塔よりも、この仏塔が気に入っている。
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