1995年4月から4年半当地に赴任し、2-3カ月に1回はワット・クータオの門前を通過していたが、参拝するのは今回が初めてである。仏龕を持つ仏塔は、まさに五つの団子状の瘤を持っている。
ウキペディアによると、ビルマ人の初代チェンマイ国主・ノーヤターミンソーの遺骨を祀るため、1613年に建立したとのことである。そして仏塔は雲南様式で構築されているという。団子五兄弟が雲南様式のようである。下の写真は上海東和旅行社HP掲載の西双版納・曼飛龍仏塔である。
成程、似ていなくもないが、こちらは団子五兄弟ではない。タイ・ヤイ(シャン)族の菩提寺であるワット・クータオ。仏塔がシャン様式なら理解できるが、何故雲南様式か? 西双版納の西隣がシャン州と云えばそうではあるが・・・。
チェンマイのランナー王国以降は屈辱の歴史である。1558年東方への領土拡大を狙った、ビルマ・タウングー朝のバイナウン王の侵攻に遭い、チェンマイは陥落占領され、その覇権に入った。先のノーヤターミンソーは、派遣されてきた初代国主である。コン・ムアン(北タイ人)にとっては屈辱であったが、ビルマの文化も入ってきた。ワット・クータオの御堂の上の仏塔はまさにビルマ様式である。しかし時代は極新しいであろう。
釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたのち、サールナート(鹿野苑)で5人の修行仲間(五比丘)に初めて教義を説いた、これを初転法輪と云う。ウキペディアは団子五兄弟は、この五比丘を象徴しているとも述べている。そういえば日本の五重塔はどうであろうか?・・・調べてはいないが、やや眉唾の感じがしないでもない。
さて、ワット・クータオは団子五兄弟の話で終わりきや・・・、と思っていたが、面白そうな光景が飛び込んできた。それについては次回記事にしてみたい。
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