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「陶磁器・パヤオ」シリーズ・35

2016-03-04 06:35:38 | 北タイ陶磁
<続き>

<パヤオと中国・安南陶磁>
●安南諸窯との関係(1)
安南諸窯とパヤオ・北タイ諸窯の関係を考察する前に、磁州窯や福建、広東諸窯が安南に与えた影響を考えてみたい。
次の写真は、ハノイ国立博物館が所蔵する、陳朝(1225-1400年)初期の黄白釉褐彩蓮花鳥文短頸壺である。文様に相当する線を掻きとり、そこに褐色釉で彩色している。これは鉄絵文様が始まる前の段階で、磁州窯の白地黒掻落し技法の装飾を模したものであろう。
鉄絵技法の伝播については、森本朝子氏の論文「ベトナムの貿易陶磁」に、注目すべき一文がある。それによると、“広東省雷州半島・海康窯については、宋代から鉄絵陶磁を焼いたとのことである。報告例では非常にベトナムの鉄絵と関連が強そうに思われる。ここでは菊の折枝文が好んで用いられており、その描き方はベトナムのものとよく似ている。海康はベトナムと地理的に近く、ベトナム陶磁に影響を及ぼすことは大いにあり得ると思われる。”・・・とある。

(上は安南鉄絵菊折枝文碗である。この文様が海康窯のそれと似ていると、森本朝子氏は指摘している。その鉄絵が、下のように安南青花にも写された)
焼成効率向上のため、焼成技法は様々な形で発展した。蛇の目の釉剥ぎもその一つである。華北で始まった蛇の目は、福建や華南へも普及した。下の写真は同安窯の青磁碗で、蛇の目の釉剥ぎが施されている。
それは、安南にも及んだ。下の写真はベトナム・バクニン省博物館で展示されている青磁(褐釉)皿である。
中国から直接パヤオや北タイに装飾技法・文様や焼成技法が伝播したとは考えずらい。そこには安南という経由地があったと思われる。今回は中国から安南へ伝播した事柄を見てきた。




                          <続く>






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