少し古い(2007年11月)見聞録で恐縮である。初めてマニラを訪れたとき、イントラムロス(スペイン語で”壁の中の街”を意味する)へ行ってみた。ここは、スペイン統治時代の1571年から150年の歳月を要して建設された。その後はアメリカ軍の司令部として使用されたとのことである。
写真中央がイントラムロスで、サンチャゴ要塞である。要壁は述べ4.5kmで、面積は64haという。
イントラムロス入口のゲートを入ると、シラピスセンターと呼ぶ土産物屋である。中に入ると天井の梁から吊るされた横長の太鼓が目についた。
キャップションには、ミンダナオ島のMARANAO TEMPLEの太鼓とある。仏教寺院かイスラム寺院かカトリックか?何の説明もないので不詳である。
この太鼓に極似したものを北タイで目にする、各々が独自に自然発生したとは考えられない。バリ島でも見ることができる。これらの類似性をどのように考えればよいのであろうか。
写真のサンアグスチン教会は、1587年着工で1606年完工したもので、太平洋戦争の惨禍にもあわず、1993年に世界遺産に登録された。
カーサ・マニラと呼ぶ、19世紀半ばのコロニアル様式の建物である。博物館として公開されている。中に入ると、その装飾はシノワズリーも手伝い、独特の雰囲気であった。
要塞には写真のホセ・リサール記念館がある。彼は詩人、画家、医師と多才でであったらしい。彼は宗主国のマドリッド中央大学卒業後帰国し、非暴力によりフィリピン人の言論の自由と法律的平等を求めた。しかし認められず辺境に追放された。
1896年、秘密結社カプティナンが独立闘争を開始すると、彼の影響力排除のため逮捕処刑された。そのホセ・リサールが処刑されるまでの2カ月間幽閉され建物がホセ・リサール記念館である。
多数の小学生にであった。国の歴史・独立に貢献した彼を学ぶことが、フィリピン人のアイデンティティーを涵養するのであろう。
写真のモニュメントはラサール公園の西側入口に建つ。その前には暑いにもかかわらず衛兵が左右にたっている。官民挙げての英雄である。
当時のマニラの印象で云えば、見どころはイントラムロスのみで、あとは超近代的なビル群と、対照的なバラック群しか印象がない。最近は随分変化していると思われる。
写真中央がイントラムロスで、サンチャゴ要塞である。要壁は述べ4.5kmで、面積は64haという。
イントラムロス入口のゲートを入ると、シラピスセンターと呼ぶ土産物屋である。中に入ると天井の梁から吊るされた横長の太鼓が目についた。
キャップションには、ミンダナオ島のMARANAO TEMPLEの太鼓とある。仏教寺院かイスラム寺院かカトリックか?何の説明もないので不詳である。
この太鼓に極似したものを北タイで目にする、各々が独自に自然発生したとは考えられない。バリ島でも見ることができる。これらの類似性をどのように考えればよいのであろうか。
写真のサンアグスチン教会は、1587年着工で1606年完工したもので、太平洋戦争の惨禍にもあわず、1993年に世界遺産に登録された。
カーサ・マニラと呼ぶ、19世紀半ばのコロニアル様式の建物である。博物館として公開されている。中に入ると、その装飾はシノワズリーも手伝い、独特の雰囲気であった。
要塞には写真のホセ・リサール記念館がある。彼は詩人、画家、医師と多才でであったらしい。彼は宗主国のマドリッド中央大学卒業後帰国し、非暴力によりフィリピン人の言論の自由と法律的平等を求めた。しかし認められず辺境に追放された。
1896年、秘密結社カプティナンが独立闘争を開始すると、彼の影響力排除のため逮捕処刑された。そのホセ・リサールが処刑されるまでの2カ月間幽閉され建物がホセ・リサール記念館である。
多数の小学生にであった。国の歴史・独立に貢献した彼を学ぶことが、フィリピン人のアイデンティティーを涵養するのであろう。
写真のモニュメントはラサール公園の西側入口に建つ。その前には暑いにもかかわらず衛兵が左右にたっている。官民挙げての英雄である。
当時のマニラの印象で云えば、見どころはイントラムロスのみで、あとは超近代的なビル群と、対照的なバラック群しか印象がない。最近は随分変化していると思われる。
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