私は「ミュージカル・オペラ人間」なのです。感覚を全開モードにして、目や耳から入ってくる刺激に完全に身をゆだねて楽しめるものが好きなのです。だから、いわゆる「ストレート・プレイ」はどこが面白いのかワカラナイ。それでも、ニール・サイモン作品のような喜劇であれば、喜劇としての「ひとつの様式」を味わいながら楽しむことができるから別ですが。(喜劇はミュージカル・オペラの楽しみ方と共通点がありますね。)
戯曲『ガラスの動物園』は「オペラ」でも「ミュージカル」でもなければ、「喜劇」でもない。読まねばならない状況に置かれなければ読まなかっただろうと思います。
これはテネシー・ウィリアムズの自伝的要素の強い作品であると言われていますが、主要人物であるローラの人物造形があまりにステレオタイプで「勘弁してよ~」というのが第一印象でした。
足が悪くて内向的、仕事に就いても神経症的な症状が出てしまって続かない、部屋に引きこもってガラス細工のユニコーンを手に取っているだけの毎日。私的には、ここまでで、もう‘Come on!’なのです。「読むのやめようか…」と思ったりしたのですが(笑)
でも、これはアメリカでは今でも最も頻繁に上演されている演目の一つなのです。
Broadwayでは、オスカー女優のJessica Langeをアマンダ役として昨年の3月から7月まで上演されて、おおむね好評を博しており、トニー賞にもノミネートされました。
これは、1930年代のセントルイス、うらぶれたアパートに暮らすウィングフィールド家の三人の人物の「絶望のトライアングル」の話です。
母のアマンダ、息子のトム、娘のローラ、いずれも現実をしっかり受け止めることができず、深層心理の部分で現実受容を拒否してしまってます。三人とも目の前の困難を乗り越える事ができず、現実世界では得られない慰めや意味づけを求めて虚構の世界に引きこもってしまっているのです。
ローラのガラス細工の動物たちはローラの現実逃避と危険すぎるほど脆弱な世界の象徴です。
アマンダは南部の裕福な家庭の娘で何不自由ない暮らしをしていました。交際を申し込む男性も多く、極めて華やかで幸福な娘時代でした。しかし、夫に選んだ男性は幼い息子と娘を残して去ってしまいました。今はうらぶれたアパートに息子の収入を頼りに暮らす身ですが。ハンサムな夫の写真は今でも飾られています。
華やかなりし時代の話をする時が一番生き生きしていますが、トムの心の内を理解することもなければ、ローラの最大の幸福の鍵はgentleman callerであるという発想から一歩も出ることができません。そして、gentleman callerを求めていたのは彼女自身であったのでした。
トムは靴会社に勤め、表面上は問題なく社会人としての生活を送っていますが、詩作、映画、時には酒によって現実から逃避しています。トムの口から父のことを多くは語られませんが、彼は父が家庭を去ったことを受け止めきれず、身近にいるべき同性としてのロール・モデルをこのような形で失っていることの混乱の深さは計り知れません。最終的には、彼も家族を混乱させたまま家を去っていくのでした。
虚構の世界に生きているのはウィングフィールド家の人たちだけなのでしょうか。
彼らの周囲を見れば、そこもまた現実感の伴わない世界です。アパートの路地を隔てたところに、大きなミラーボールのあるParadise Dance Hallがありました。そこでワルツを踊り、束の間の幻想を楽しむ若者たちにとってミラーボールはローラのガラス細工の動物と同様の意味を持つものなのかもしれません。
トムの唯一の親友ジムは、唯一現実としっかり向き合っている登場人物です。ジムは同時にいわゆる「アメリカン・ドリーム」をひたむきに求める、楽観的でナイーブな”the common man”の象徴でもあります。少年時代から快活でパフォーマンスが得意であり、将来は必ず「ひとかどの人物」になると期待されたのだけど、結局は平凡な青年になったのでした。しかし、public speakingや最新の技術を勉強していて、将来の夢を持っています。
gentleman callerとして招待された彼は、ローラに優しい言葉の数々とかけますが、それらはpublic speakingを学んだ成果の表れとしてのリップ・サービスと捉えられなくもありません。ローラが一瞬魅力的に思えたジムは婚約者がありながら彼女にキスをしてしまいます。それが彼女にどういう意味を持つか、深く考えないままに。
読み終えてみると、最も大きな絶望を背負っているかのようなローラが、むしろ、一番ありのままに自己と向き合っているように見えます。新しい自己を見出さんとがむしゃらになっているアマンダやトムの混乱の方が痛々しく見えてしまうのです。
唯一、将来をしっかり見据えた人物として登場するジムでさえ、世間が求める「アメリカの好青年」像に必死に自分を当てはめようとしている姿が滑稽でもあります。
トムはアパートでの生活を「棺」のように感じていました。彼の逃避願望は最初に既に示される。そして、アパートにある非常階段(fire escape)が逃避の象徴として描かれています。トムは非常階段でタバコを吸い、いつの日かこの抑圧の中から逃避できる日を願うのでした。しかし、人間はマジシャンのように一本の釘を取り除くことなく辛い現実から逃れることは不可能。トムも新しい可能性を試したいとする若者らしい欲求と家族、ことに姉ローラへの愛の間の板ばさみとなります。
「逃れろ/逃れるな」の、いわゆるダブル・バインドの袋小路に入ったまま、結局、家を出てからも、自由を謳歌するのではなく、逃亡者のような思いで生き続けることになります。現実の影(トムの場合はローラの面影)が目に入る限り「逃れるな」のバインドが強くなってしまう。”Blow out your candles, Laura – and so goodbye….”は袋小路から逃れんとするトムの必死の叫びなのでしょう。
どこにも「自己」の見つからない世界。
人は変われるのか?
『ガラスの動物園』は南部の持つ独特の空気とともに、そんな普遍的な問いを含んだ作品なのですね。演劇は小説と異なり、舞台から受ける視覚効果、聴覚効果等、鑑賞する側にとっては様々な感覚に訴えかけてくるものです。この作品も音楽、スクリーンの映像、詩、これらがシンクロして、効果的に、より説得力を持ったものになるのでしょう。
原語で鑑賞したならば、アマンダの”and”, “but”, “the”等を伸ばし気味に発音する南部のイントネーションがさらに作品世界に悲劇性を帯びさせるのではないでしょうか。
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