風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ナポリ1

2010年11月08日 | イタリアの旅
10/9
ナポリ

10:10フィレンツェ発、5分遅れの表示が示されるが、何番線かの表示は10時を過ぎてからだった。
昼食は、前日買っておいたパン・バナナ・ジュースを車内で取った。ナポリ着13:10。
フィレンツェ駅の待合室                      ユーロスターの座席のテーブル、ブラインドは電動式・コンセントが


ナポリ中央駅、とても大きな駅だ。地下の駅はナポリ・ピアッツァ・ガリバルディ駅と言う。

これは、ローマの駅の地図だが、ベネツィアの二つの駅・フィレンツェ駅・ナポリ駅・ローマ駅も同様の構造であった。
これらの駅は列車が通過・通り抜ける構造ではなく、終着駅のような構造になっていて、線路が扇状に何本にも広がっている。
たくさんのホームの線路が出口で2、3、4本位にまとまるわけだから、電車の出入りにはとても不便な様に思われる。
電車が遅れたりすると何番線に電車を入れるかの調節には当然手間がかかる。
こうして、目的の電車が何番線に入るかわかるのが発車10分前となってしまうことも多々。
また、ユーロスターの特急やローマ空港とローマ駅を結ぶレオナルドエクスプレスなどは後から出来た路線のためか、
後になって継ぎ足しの様に作られたのだろう、400mも先なんてことになってしまうこともある、と言う次第。
駅を出るとバスターミナルを持つ広大なガルバルディ広場だが、駅の雰囲気はベニスやフィレンツェとは全く異なる。
まず、道路にはゴミくずが散乱し、人通りはとても多く、土産品や安物の日用品を売る屋台が続く。

その多くがアフリカ系黒人で、歩く人も黒人が多く、ここはアフリカに近く、イタリアの南部に来たんだなと思う。

ホテル・デ・ラ・ヴィレはすぐわかった(5泊二人で3.8万円、安いが決して悪くはなかった)。
  
部屋に入ってすぐ、明後日のツアーの確認電話をツアー会社にかけたのだが、土曜で日本語窓口は閉まっていて英語対応であった。
3時にもう一度かけろという、3時にかけ直すと催行されるという返事であった。
その後、国立考古学博物館に行くことにした。
駅のチケット売り場で90分券(1.1ユーロ)を10枚買った。これだって一苦労である。
今日買って明日も乗れるかとか、ガイドブックでは地下鉄・バス・トラムとも乗れる共通券なのかを聞かなければならないのだから。
博物館には地下鉄の駅からが近いので地下鉄に乗ろうとするのだが、その乗り場がわからない。
Mのマークに従って進み、地下に降りるとそこはまるで電車のホーム。
地下鉄というのでパリやソウルなどの車体とホームをイメージしていたのだが違っていた。
地下の駅名は、ナポリ・ピアッツァ・ガリバルディ駅というを知ったのは後だったし、そこは地下鉄と通常の電車路線との共用であった。

CAVOUR駅から国立考古学博物館はすぐだった。8ユーロだったがとても見応えがあった。
        
       
    
        
   
    
      
 
これは地下鉄の車両                                夕方のナポリ中央駅前
  
夕食のレストランを探し歩いたが、適当なレストランは見あたらなかった。
ビッフェスタイルの店があり入り、魚とハンバーグを注文し、サラダを注文しようとしたら、小ハエがたくさんたまっているのでやめた。
違う店で、加熱してもらう魚とハンバーグ、サラダををテイクアウトし(16ユーロ位)、スーパーでワインを買った。
ボトル1ユーロ以下のものもたくさんあったが、4ユーロのものを買い、ホテルでワインオープナーを借りホテルの部屋で夕飯を取った。

10/10
ナポリは、鉄道の駅のある地域が中心ではなく、港の周辺の旧市街地の方が中心地で、港の周辺を中心地のを観光することにした。
バスで行くのだが、バスターミナルはガリバルディ広場にあり、港に行くバス停は、R2番でホテルの目の前だった。
チケット売り場で一回券を10枚買って、バスに乗り込みと、15分ほどでムニチーピオ広場に着いたのだが、
目指すヌオーヴァ城への行き方がよくわからなかった。実は今日は日曜日で休館、入り口が閉じていたのだ。
海の方に下っていくとヌオーヴァ城にたどり着いたのだが、入り口ではなく、さらに下っていくと、フェリー乗り場に着いた。
ヌオーヴァ城の写真だけ撮って、王宮に入ろうと思うのだがその入り口もさっぱりわからなかった。
この先が実は入り口だったのだが、この日は日曜日で休館だった。
  
 
城壁に沿って進むと城壁の端まで行ってしまったのだが入り口はなかった。するとそこにエレベーターがひっそりあった。
 
エレベーターを降りると広い広場・プレシート広場であった。
 
 
眼前にはサン・フランチェスコ・ディ・ポオラ聖堂が雄大にあり、広場をその反対側が王宮の入り口であった。
この日、広場は市民マラソンのゴールになっていて、舞台が出来、イベントのテントが立ち、屋台なども出て大変な賑わいだった。
6ユーロ払って、やっとで王宮に入ることが出来た。ゆったり落ち着いた王宮であった。
  
  
  
  
 
                                中庭
 

その後、“ナポリ名物”=サンタ・ルチアの絶景、ナポリ湾の向こうにベスビオス山が臨めた。(写真は略)
 
そこから海岸線を南に下ると江ノ島のように突き出た、卵城。 入り口
 
城の上の出ると、ナポリ湾が一望でき、サンタルチアからの景色よりも絶景であった。(写真は略)卵城を出るとちょうどお昼、レストランで食事をした。
 
シーフードサラダとエビとイカのフリッターを頼んだ。9ユーロのビンワインも頼んででゆっくり豪華な食事を楽しんだ。
帰り際、ボーイがナポリはどうだと聞いてきた。今日の食事はとても満足した、と答えると、明日も来てくれと言う。
「明日はカプリ島に行く」と答えると、帰りに寄ってくれと生牡蠣を御馳走してくれそうになったのだが、
私は生牡蠣が苦手なので断り、もう一度来たいと答えた。
ゆっくりプレシート広場まで歩いて戻り、サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂
 
ウンベルト1世のガッレリア
 
 
そこからケーブルカー乗り場まではすぐそこなので、ケーブルカーに乗って、サン・テルモ城に行くことにした。
  
ケーブルカーといってもはじめの二駅まではトンネルであった。駅から城まではかなりの距離であった。
道すがら思った。この一帯はちょっぴり山の手の住宅地のようで通りはきれいであった。
サン・テルモ城入場料は4ユーロであった。城の中にはエレベータがあって、展望台に出るとまことに絶景であった。
      
      
 
 
城の中には、美術館があって若手芸術家の作品を展示していた。
  
    
                                      国立サン・マルティーノ美術館(旧修道院)
  
  
地下鉄の駅がわからずうろうろしていると、中年の女性が話しかけてきた。
「ケーブルカーで行って地下鉄に乗り換えなければならない、その駅までは私も行くので、案内します」、と言ってくれた。
彼女はポーランド・ブタペストの出身で、2年前からナポリでブレスレットやネックレスの製造販売の仕事をしているという。
京都はどんな町か、東京はどうかなど質問してきた。
私は、「ハンガリーには行ったことありませんが、ブタペストは東欧のウィーンと言われるほど歴史的伝統的できれいな町と聞いています。
またワイダ映画監督も有名ですし、ワルシャワ労働歌も素敵な歌ですね」、などとワインが入っていたので舌も滑らかであった。
地下鉄の駅前がゴミであふれていた。彼女は、それを指さしすまなそうな顔をしたが、
「町にはいいところも悪いところもありますよ。でもみんな素敵ですよ」と私が言うと、にっこり微笑んだ。

ナポリ駅まで無事戻り、妻はホテルに帰り、私はもう少し町を歩くことにした。
サン・ピエトロ・アダラム教会                                        サンティッシマ・アンヌツィアータ教会
  
ホテルからすぐ近くのカプアーノ城
  
ドゥオーモ
   
  
ジロラミーニ教会                          サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会     サン・パオロ・マジョーレ教会
  
 
夕飯は、質素に近くのセルフサービス店でお好み焼き風ジャガイモとマカロニ・鶏肉の煮物、ピザ・トマトとワイン。


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