風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/思秋期・ミラノ、愛に生きる

2013年03月30日 | 映画

原題は、Tyrannosaur=ティランノサウルス、恐竜のテラノサウルスですが、これでは何のことかわかりませんよね。
ジョゼフの妻は太っていて恐竜のようにドスンドスンと歩いていたので彼がそう呼んでいました。
初老のジョセフは妻を数年前に無くし、今は一人で暮らしています。
彼は生前妻を馬鹿にしていましたが、失って初めて彼女の存在感を思い知らされました。
失業中の彼は、日々の些細なことに怒りを破滅的・暴力的に爆発させています。
その危うさに私たち観客は、はらはらしています。
彼は、ある日、偶然ハンナという女性のリサイクルショップに入ります。
ハンナは、ジョセフに優しく声をかけます。
彼女は、ジョセフとは対極にあるようなまさに「聖女」のような女性でした。
しかし、私たちはどこか彼女の危うさにも心が揺らいでいます。
実は彼女は夫の家庭内暴力に苦しめられているのです。
物語は、とてもシンプルです。
ハンナは夫からレイプされ、そして彼を殺してしまいます。
神が支えであった彼女が、「何見ているのよ」とキリスト像めがけて物を投げつけるシーンは鮮烈でした。
映画の前半と後半とでは、ジョセフとハンナの立場がすっかり逆転します。
彼女の店で買ったスーツを着た穏やかな表情のジョセフが、刑務所にいるハンナを訪れます。
現れたハンナは信じられないほどの美しさに輝き、穏やかでした。
初めは、"ファック"という言葉がやたら多過ぎて不快でしたが、最後には心が洗われたように穏やかになりました。
佳作です。

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原題は、Is sono l'amore=「愛している」でしょうか、こちらはちょっと退屈でした。
私は、ミラノの町並みがたくさん登場するのだろうと大いに期待していたのですが、
ドゥオーモの屋上シーンだけで、スフォルツァ城やエマヌエーレ2世のガッレリアも登場せず落胆でした。
ロシア人女性のエンマは、ミラノの資本家・富豪に嫁いで何不自由無く暮らしています。
突然現れた、息子の友達を好きになってしまうというお話です。
最初の半分ほどは、何人もの召使いが準備する大富豪家の食事風景をこれでもかこれでもかと言うほど撮します。
息子の友人は、そうした食事の対極にある、オーガニック野菜を自分で育て、GパンにTシャツで料理する、髭もじゃの青年でした。
有閑マダムの「火遊び」映画かと少々うんざり気味でした。
セックスシーンは決して過剰ではありませんが、其の最中に花や昆虫や草を延々と撮し、独りよがりで興ざめでした。
後半も長い食事シーンで始まるのですが、今度はその途中から物語は急展開します。
豪華な家も食事も「虚」でもろい物だと言いたい暗喩なのかもしれませんが、長すぎで退屈でした。
エンマという名は彼女の本当の名前では無く、呼びやすいようにとイタリア風につけられたものでした。
彼女は、そのエンマと言う名と家族を捨て、飛び出して行くのでした。

映画を続けて二本見るのは難しいです。
二本とも佳作というのはまれですから。一本目が退屈だと二本目はより良く感じます。     【3月25日】





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