風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/サウルの息子、ディーパンの戦い

2016年07月12日 | 映画

ドイツ旅行から帰国して最初に見た映画でした。ベルリンのザクセンハウゼン強制収容所を見て来た直後だったので、
ちょっと不思議な巡り合わせのような感じで見ました。
上記案内のあるように、サウルはアウシュビッツで死体処理をする特殊な「ユダヤ人囚人」でした。
彼らも長生きできた訳ではなく遅かれ早かれ死んで行く運命でした。私には、こうした極限状況で人々は何を"支え"に、
その瞬間、日々を生きて行くことが出来るのかとずっと考えて見ていました。
ユダヤ宗教では、遺体を焼却すると死後救われないと信じられることを私は初めて知ったのですが、サウルは、
死んだ息子をユダヤ教の教えに従って埋葬したいと思いました。
その遺体が、彼の本当の子どもかどうかはわかりません。おそらく違うでしょう。彼は、そう願い、行動を起こすことで、
彼の残された日々=死体処理の過酷な運命を生き続ける支えとしたのではないでしょうか。
映画は、そんな彼の二日間の行動を描きます。事が上手く運んでしまい過ぎるリアリティの無さには目をつむりましょう。
二日後「囚人達」は、レジスタンス行動を行い、収容所を脱出しますが、発見され殺されます。
その時、サウルは逃亡する森の中で、少年を見ます。「息子」とうり二つでした。
スコープではない4.3の様な映像サイズ、カメラはひたすらサウルのみをドキュメントのように追う独特のスタイルでした。
森の様子は、私がドイツの電車から見た森と似ていました。
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スリランカでは、1983年から2009年にかけスリランカ政府とタミル・イーラム解放のトラの内戦がありました。
その根本要因は、かつてのセイロンを植民地支配したイギリスが多数派と少数派の民族分裂を作り、対立を煽り、支配した
歴史にあることは疑う余地がありません。
私が、2013年ピースボートでスリランカを訪れた時は、内戦は終わり、穏やかな日々となっていましたが、
内戦の傷跡は諸処にまだ残っていました。
映画は、内戦を逃れるために全く無関係な三人が偽造パスポートで「家族」となって、フランスに移民する話です。
ストーリーはちょっと乱暴でリアリティは希薄なのですが、折しも、ヨーロッパでは難民・移民の問題で揺れていて、
難民・移民達の苦しみや困難、その解決の難しさを思い起こさせます。
映画はこの重いテーマを受けきれず、途中で息切れしてしまい、「めでたし」で終わってしまい、残念でした。 【6月13日鑑賞】


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