古今和歌集(こきんわかしふ)
平安初期の最初の勅撰和歌集。撰者は紀貫之・
紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑。延喜五年(905)
醍醐帝の勅を受け、万葉集以後の秀歌約1100首を
編集。成立は延喜5年または14年ごろ。仮名序・
真名(漢文)序があり、四季・賀・離別・恋など
13に分類した構成。作者総数約120人。七五調
三句切れの歌が多い。八大集の一つ
【ここまで講談社日本語大辞典】
古今和歌集の特に難解とされる事項を師から弟子に
伝授することを『古今伝授』といいます。醍醐帝
勅撰ということもあり、『古今伝授』および『古今
伝授を受けたもの』は朝家から非常に重宝され
ました。戦国期では、三条西実枝から『古今伝授』
を受けた細川藤孝(当時の姓は『長岡』)が有名
です。関ヶ原の合戦のとき藤孝は丹後田辺の舞鶴城
を石田三成の軍に攻囲されますが、八条宮智仁親王
の使者が後陽成天皇の勅定を携え退城を勧告します。
一旦は退城を拒否しますが、前田玄以・三条西実枝
らの説得により退城します。時の帝から「古今伝授
がすたれるのは忍びない」と延命された稀有な例
です。
【ここまで戦国歴史大全下巻と信長公記より】
にほんブログ村
平安初期の最初の勅撰和歌集。撰者は紀貫之・
紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑。延喜五年(905)
醍醐帝の勅を受け、万葉集以後の秀歌約1100首を
編集。成立は延喜5年または14年ごろ。仮名序・
真名(漢文)序があり、四季・賀・離別・恋など
13に分類した構成。作者総数約120人。七五調
三句切れの歌が多い。八大集の一つ
【ここまで講談社日本語大辞典】
古今和歌集の特に難解とされる事項を師から弟子に
伝授することを『古今伝授』といいます。醍醐帝
勅撰ということもあり、『古今伝授』および『古今
伝授を受けたもの』は朝家から非常に重宝され
ました。戦国期では、三条西実枝から『古今伝授』
を受けた細川藤孝(当時の姓は『長岡』)が有名
です。関ヶ原の合戦のとき藤孝は丹後田辺の舞鶴城
を石田三成の軍に攻囲されますが、八条宮智仁親王
の使者が後陽成天皇の勅定を携え退城を勧告します。
一旦は退城を拒否しますが、前田玄以・三条西実枝
らの説得により退城します。時の帝から「古今伝授
がすたれるのは忍びない」と延命された稀有な例
です。
【ここまで戦国歴史大全下巻と信長公記より】
にほんブログ村