『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

斉藤六大夫(さいとうろくたいふ)

2017-04-19 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
斉藤六大夫(さいとうろくたいふ)

〔現代仮名遣い〕さいとうろくだゆう


不詳。

1582年2月信長は雑賀で土橋の構えを攻めて

    いる織田信張に、野々村正成を検使

    としておくる。攻撃に成功すると敵

    根来寺千職坊は逃げ出すが、斉藤六大夫

    が追いかけうちとる。千職坊の頸は

    安土の信長へ送られ、斉藤は森長定

    を使いとして小袖・馬の褒美を授かる。


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