4月17日・水 午前4時頃、神山住宅バス停近くでトラック同士の衝突事故があり、双方の自動車が炎上しました。
このため事故処理のため、正午過ぎまでの9時間にわたり現場は通行止めとなりました。
また同日畑交差点から伊川方面に少し行ったところでも事故。前日にも山門自動車学校付近で追突事故などもありました。
道路が広いだけあってスピードを出しすぎるのでは。伊川の事故現場には「事故多発スピード落とせ」の警告標識板もありましたが。(写真は17日の夕時の「今日感テレビ」より)
8月17日午後6時より東京官邸前抗議集会に合わせて北九州反核キャラバン出発集会が門司港レトロ親水公園で行われました。参加者は90人余。関門港湾労働組合協議会を中心に若松や小倉の人も参加していました。年金者組合員は14人参加。主催者挨拶の後、波田市議、福島市議、年金者組合安藤門司支部長、西・新婦人門司支部副支部長、青年を代表して全港湾の仲間など次々と挨拶しました。明日18日は門司駅を出発し小倉駅まで行進し、途中九州電力支社まえで抗議のシュップレヒコールを行います。
終戦記念日宣伝
8月15日正午から門司駅前で終戦記念日にあっての日本共産党の訴えがありました。
弁士は田村貴昭衆議院比例候補、高瀬菜穂子衆議院10区候補、はだ千賀子市議です。
8月7日広島長崎間反核平和マラソンが門司区役所に正午頃到着しました。区役所職員の歓迎の中門司区長のメッセージを総務課長が代読。波田市議(共産党)の挨拶、市職労門司支部の歓迎の言葉と冷たいお茶やジュースの接待がありました。千羽鶴の贈呈と参加外国ランナー、フランス人4人、内女性1人、韓国人2人から挨拶を受けました。30人余の参加ランナーでした。
森下後援会長の挨拶
連日暑い日が続きます。お疲れさまです。多くの方々の浄財で、門司事務所の改修が出来ましたことを共に喜びたいと思います。改築された事務所を拠点に、門司の共産党のさらなる飛躍を心から願うものです。
この事務所が建てられたのは68年(昭和43年)です。60年代後半から70年代の門司の共産党は党員や赤旗しんぶんが右肩あがりに伸びていたときでした。「三浦久弁護士を衆議院議員にしよう」と後援会がつくられ、「第1回納涼ビアガーデン」が行われています。このことが72年の三浦久衆議院議員の誕生につながりました。「ビアガーデン、今年はやるのかどうか」などの声が多く寄せられ心配をおかけましたが、諸般の事情で例年より1ヵ月遅い9月15日(土)に開催することにしました。今回のビアガーデンを改築記念行事として位置付け、総選挙・参院選勝利と波田市会議員の再選をめざす団結と連帯の場、楽しい交流の場として大成功させたいと考えています。みなさんのご参加を呼びかけて、改築のお祝いのあいさつに代えます。
日本共産党(以下「共産党」という)は1922年7月15日(大正11年)に党を創立し、この7月で90周年になります。 私が共産党員となって47周年の月でもあります。 私が共産党に入ったのは、就職先の市役所職場での共産党員の献身的な活動に共感したからです。労働者の要求解決や「市民の幸せなくして、自治体労働者の幸せはない」と市政民主化のために活動する姿に心動かされました。 何が彼を動かしているのか、後で分ったことですがそれは「国民の苦難軽減と安全のために活動する」という立党の精神をもつ日本共産党の党員だったからです。 かつて市役所のなかには「一引き二ゴマ」という言葉がありました。出世するには1番にコネ(引き)があること、2番にはゴマをすることという意味です。 私には柳田桃太郎(門司市長・参議員)という「引き」があり、上司から「君の希望する人事をするから」と言われたことが何度もありました。 1度きりしかない人生をどう生きるかを考えました。私は自分の利益だけにとどまらず多くの人の利益のために活動する共産党員の道を選びました。 私が共産党員になり始めの頃、「息子さんは悪い道に入った」と親に告口する人もいました。母親は「息子が何か悪いことをしましたか」と反論したと聞き立派な母親だと思いました。 |
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7月21日小倉北区から延命寺のトンネルの先から受け継ぎ門司駅で昼休み。13時30分から出発集会をして一路門司港駅まで。途中片上で新婦人門司支部から冷たい水などの接待を受けました。15時45分に唐戸桟橋に到着。終着集会の後解散しました。松ケ江からは83歳の永野さんが行進団最高齢で見事完走しました。
日赤豊寿園裏の住宅の庭で野ウサギを見ました。近づいても2,3歩逃げるだけでじっと見つめられました。何かこころがホッとしました。写真を取れなかったので残念です。白鷺は田圃でよく見かけます。今時蛇もよく見ます。車に轢かれているのも時々。
6月30日午後2時から松ケ江のつどいを持ちました。16人余の集まりで意見も多様に出ました。労働組合不信、政党不信、などが出されました。オフイス松ケ江の近隣の方が4人もこられました。読者ではありませんが。これからが楽しみです。
路傍・山野の神仏信仰
まだ働いている頃は路傍の石仏などには無関心であったが、退職後は地域に目が向くようになり、風雨にさらされた石仏などを見ると建立した往時の人の思いが伝わってくるようでいとおしささえ感じるようになった。
(3)庚申尊
吉志6丁目15番地先・自動車道15番ガードをぬけると正面にある。
いつも野の花が供えられている。以前あった場所は自動車道に取り込まれたが古道(上往還)の脇にあったことから、交通安全の神・道祖神との習合(結びつく)が考えられる。
庚申尊とは、中国から伝来した道教に由来する庚申信仰にもとづく石塔である。石塔は庚申講を3年18回続けた記念に建立されると言う。
庚申講とは、人間の体内にいる「三巳の虫」(さんしのむし)が寝ている間に天帝に人間の悪事を報告されるのを防ぐために、庚申の日に夜通し寝ずに帝釈天や猿田彦神などを祀って宴会などをする風習である。
また庚申の申という字は干支で猿に例えられるから「見ざる・言わざる・聞かざる」の三匹の猿を彫った石塔もあるという。
仏教では庚申尊の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもある。
庚申尊は、伊川の平山、伊川神社にもあり、いずれも黒川にぬける古道(上往還)の脇にある。