おとといの夜、東京へ帰ってきました。南の国へ優雅に夏休みのバカンス(笑)に出かけてる間に、集合知についていろんな「お手紙」をいただいたようだ。
夏休みだし、次は「人生スルー」系とか生き方関連のエントリを連発したいって思ってたんだけど……まあいいや。ここ何回かは寄せられたお便り群への反応エントリとさせていただく。
まずブログ「ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)」さんのエントリ
『「実名匿名論争」のその後』である。
筆者のmb101boldさんは、バランス感覚のある客観的な視点と筆致が特徴だ。私が言いたいこと、および私に反論されている方々の主張を、私よりうまくまとめられている。このエントリに反応しておけば、おおよそ他の反論エントリへのお返事にもなりそうだ。
なので私が提示する反証の第一回目は、mb101boldさん方面から書き始めることにしよう。
■実名制度は水戸黄門の印籠か?
『CONCORDE』のTristarさんが言うとおり(参照)、ブログは娯楽の領域に入っているんだと思うんですね。そういう人が大多数の場合、より精度や質の高い論議を守るために、実名化を制度化するとなると、少数の利益のために大多数が不利益を被ることになるんですね。だから、匿名の害悪をデフォルメせざるを得ないのかな。
●ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね):『「実名匿名論争」のその後』(以下、同)
同意できるご意見だ。ただし一点、少しちがうと思うポイントもある。それは弁護士・小倉秀夫さんらが主張されている実名制度をもってしても、「より精度や質の高い論議を守る」ことができるのか? が不透明な点である。
ゆえに、「彼らがそれによって『質の高い議論が可能になる』と考えている実名制度を導入しようとすると」みたいな書き方のほうが正確かもしれない。
加えてインターネットの実名化は、
メリットよりむしろデメリットのほうが大きいと私は考えている。繰り返しになるので、その理由については文末にあげた過去の「関連エントリ」を参照してください>読者のみなさん。
■小倉さんはSNSの活用やコメント欄の閉鎖に否定的だ
要は、Tristarさんは、匿名さんと一緒にいるのが嫌な人は、じゃあ、自分たちの場所を別に作ったらいいんじゃないですか、ネットの空間は無限だし、SNSとかもあるし、ということだと思うんですね。それよりも、学会の活性化を行えばいいじゃん、と思います。その誤解がちょっと生まれているのが、残念かなあ、と思います。
この点については後日、Tristarさんへの反論エントリで書こうと思うが少しだけふれておく。
私は基本的に小倉さんのご意見へのアンチテーゼとして、一連のエントリを書いている。でなければ議論にならないからだ。
で、(Tristarさんのお考えとは関係なく)当の小倉さんはSNSを否定されている。またコメント欄を閉じる手法も支持されていない。これらは小倉さんと、えっけんさんとの質疑応答ですでに明らかになっている。
つまり小倉さんはSNSの活用やコメント欄閉鎖などの
空間の閉域化を行わず、かつ、そのオープンな空間から匿名者を排除したいとお考えだ。なのでTristarさんが個人的にSNSの活用をイメージされていたとしても、それは小倉さんへの対案にはならない。
もっとも個人的には、小倉さん的な発想の方はご自分がSNSに閉じこもるなり、何らかのアクセス制限をかけるなりするのが筋だと私は思う。
だけど小倉さん個人はそうするつもりはないようだし、また世の中にそれらの対策を呼びかける意思もお持ちになっていない。
つまり
オレは自分でできる対策はいっさい取らない。だからお前らは言葉を発するな。匿名の人間はみんな実名で書けってことなわけ。
でもさあ、これって車の両輪じゃないの? 自分でできる対策と、(実名化に限らず)それ以外の社会的な対策は同時にやんなきゃだめでしょう。で、私は一連のエントリにおいて、このご意見に対する反論をしているわけだ。
※mb101boldさんのおかげで、かなり論点が整理できました。
■集合知の概念ってそんなにわかりにくいかなあ?
またmb101boldさんは、こうもお書きになっている。
「集合知」というネーミングが誤解を与えるのかなあ。それは、「みんなの意見(集合知)」と書き直されていたので、もしかすると松岡さんは気づかれているのかもしれないですが。集合知、質が高い、専門性、アカデミズム、みたいな連想になりますが、この「実名匿名論争」も「集合知」のひとつですよね。W-ZERO3[es]というウィルコム端末があるのですが、この本質的に不完全なスマートフォンをよってたかって素晴らしい端末に変えてしまったのは、ネットにいる有名無名人たちです。これも立派な「集合知」だと思うんですわ。
前段については、「もしかすると」じゃなくその通りです。
実際、ブログ「幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする」さんが
7月31日にお書きになったエントリ
『インターネットはローカル現実と違うリアリティを目指した方が良いよね』の次のくだりを読み、「ああ、そういう誤読のしかたもありえるのか」とは感じていた。
「集合知」って単語だけを聞くと「世界中の天才の知性を集結!」的なファンタジーを思い浮かべがちで、小倉センセイ辺りは松岡さんの説明だけだと誤解しちゃうんじゃないかと思ったり。
集合知って概念はもう常識だと思ってたんで、私は当初よけいな説明を省いた。私の文章はただでさえ長文になりがちなので、読みやすく整理するためだ。ところが上記のご指摘を読み、何も知らない方にもわかる書き方をしなきゃダメだなと考えた。
そこで私はその後に書いたエントリ
『みんなの意見(集合知)が正しい場合と、そうでない場合』の中で、かなりわかりやすく集合知について再説明したつもりだ。
また客観性を持たせるために、いくつかの参考文献もあげている。ところが小倉さんとTristarさんのその後のエントリを読む限り、お二方は依然として集合知なる概念・定義を誤解されているようである。
だけどこれ以上の説明を加えるのもくどいし、なによりmb101boldさんが上記の後段で一発回答されている。なのでそれにからめてもう一度だけ、集合知について以下の通り補足しておく。
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CGMから生み出される集合知が有効に機能するための要件は、多様性や独立性など前々回のエントリで説明した通りだ。また広い意味では、CGMによって総体としてなされる意思決定や作られるトレンド、世論など、
思考のありようやそのメカニズム自体も集合知だと個人的には思っている。ただし、もちろんそれらが
常に正しいとは限らない。
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■「匿名で書くか、実名で書くか」は他人が判断すべきことか?
一方、mb101boldさんの次の主張もうなずける。
実名の人から、おまえら匿名で卑怯だと言われると、まあ、少しばかり後ろめたいとこあるから、うーん、となるんですが、私は本業が広告屋でいま午前4時30分で、一仕事終えてから「実名匿名論争」という仕事に何の関係もないことをつらつら書いているわけで、実名でやってるとおまえ仕事中途半端にして何をしてるんだ、と言われそうですよね。それが匿名だと、気楽に書けると。別に、私個人は別人格でこれを書いてるわけではなくて、匿名が与えてくれるこんな自由は認めてくれてもいいんじゃないですか、と思うのですがねえ。
おっしゃる通りだ。実際、私も2005年4月1日に書いたエントリその他で、実名でブログを運営することの窮屈感について以下の通り言及している。
おい、仕事の原稿たまってんのに、こんなん書いててどうするんだよ? 編集者様もこれ見てるぞやばいぞ、おまい。
●『ほりえもんで読み解く「ブログはアウトサイダー」か?』。
私は実名なので、仕事の締め切りをシカトしてブログを書けない。それどころかコメント欄に応えることすら不可能だ。「松岡さんは仕事の原稿が1日遅れてるのに、ブログなんか書いてるッ」ってなっちゃうからだ。
いや私の個人的な事情が主題なんじゃなく、
一般論として実名で書くといろんな縛りがかかりますよって話だ。
かといって私は別に
だから匿名のほうが優れてるとも言わないし、逆にもちろん
ネット全体を実名化しよう。実名以外のヤツは書くななんてことを言うつもりもない。
匿名で書くか? 実名で書くか? んなこた、各自が勝手に判断すりゃいいことなんだから。
■その昔、ネット上には「公益」なる概念があった
さてその他の方々への問題提起や反論は、別途、次回以降のエントリで書くつもりだ。
「おいおいまだ続くのかよ」と思わないでもない。けど、こりゃ徹底的に論点をあぶり出し、みなさんに提示しておいたほうが
公益にかなうかな? って気がしてきたのだ。
そのほうが勝ち負けにこだわりがちな論争の当事者以外(読者のみなさん)の判断材料になる。また、なによりこの論争を読まれている第三者の方々がネットを使う上で、何かしらのメリットになるかもしれない。
なんでかって? いや、このテの質疑応答やら問題提起自体がコレすべて、みーんな
集合知なんだからね。
(こう書くとまた誤読されるのかなあ。ポリポリ)
【関連エントリ】
『みんなの意見(集合知)が正しい場合と、そうでない場合』
『実名制度は集合知の多様性を奪うか?』
『インターネットの「リアル世界化」は正解か?』
『誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由』