ゆうべから私用で外出していた私は、1本の電話で食事を中断された。携帯を取り出し電話に出ると、知人である。いまオレ店でメシ食ってるんだけどなあ……。すると知人は意味不明なことを言う。「松岡さん、コメント欄が大変ですよ」。彼の声はやや上ずってはいたが、心なしかうれしそうだった。
私「え、コメント欄? なに?」
知人「いや、ほら松岡さん、2ちゃんねるの一部がどうとか書いてたでしょ? ブログに」
私「うん」
知人「だからそのエントリのコメント欄がね、爆発してるんですよ」
(※やはり彼は明らかにうれしそうな感じだ)
私「はぁ?」
知人「いや、今もうコメントの数がね、40本こえてます」
私「はぁぁぁぁぁ?」
【場面転換】
ガランとした部屋。効果音は、ロバート・フリップが作ったおどろおどろしい悪魔の音楽。うす暗い部屋にモニターの青白い光がほのかに浮かびあがっている。
【ACTION!】
(カチンコの音)
さて私は今、パソコンを前にしている。43本のコメントを読み終えたところだ。というか今現在も、コメントが送られ続けている(笑)。くだんのエントリーは知人の通報通り、この状態である。
『2ちゃんねるの「一部の人」論争を考える──これは2ちゃんねるに限った話なのか?』
もはやこの数になると、1人1人にレスをつけるのは不可能だ。そこで総評的な形で書こうと、このエントリを立てたってわけだ。
さて、コメント欄を通読してまず最初に感じたのは、ロジカルで知的な書き込みがほとんどだった点だ。主観的な感情論に流されてる人がほぼいない。しかも大部分がおハツの人たちなのに、である。
さすがは私のブログにお見えになるだけのことはある(おい)。
もちろんなかにはごく少数の意味不明なノイズもあったが、43本という総数を考えれば占める割合は驚異的に低い。
やはりブログで問題提起し、議論を呼びかけるのは意義があるな、って感じだ。ちなみにこのエントリでは、トラックバックはほとんど打っていない。
いやはや、やっぱりブログが議論を喚起する力はすごいわ。
しかも書き込みの内容を見ると、私が書いた文章に賛同している人は少ない。たいてい何がしかの異議を唱えている。これがとても貴重な点であり、重要なポイントだ。
私がブログに求めているのは、まさにコレだからである。
【ご参考】
※うちの過去の関連エントリです(議論・ブログ論)
●『ファンクラブ志向と議論志向──SNSとブログにみるコミュニケーション・ギャップの原理』
●『なぜ日本では議論が生まれにくいのか? ──議論とケンカのメンタリティ』
●『【匿名論争始末記】トラックバックスパムと議論の「呼びかけ機能」のあやうい関係』
●『ほりえもんに見るメディアリテラシーの憂鬱』
【商業サイトに書いた原稿】
●RBB TODAY『第11回:議論の呼びかけはトラックバックスパムか?』
ブログのコメント欄や送られてくるトラックバックが、「お説ごもっとも」みたいなうなずき系ばっかじゃ意味がない。過去に何度か書いたが、私は自分とは異なる価値観と出会いたい。
たくさんの異論を聞き、私がそれまで想像もしなかったような独自の視点や、ユニークな発想にふれたい。で、胸いっぱいのエンドーストメント、じゃなかった、インスパイ(ヤ)されたい。
私は教えてほしいのだ。
で、最後にひとつささやかな提案なのだが……。
今回みたいに議論になることが予想されるテーマのとき、あるいは文章が一定以上の長さになる場合は、できればご自分のブログで新しくエントリを立て、トラックバックの形で送ってもらえると助かります。
たとえば今回は各コメントがけっこう長文で、閲覧者はおそらく読みにくいんじゃないかと思ったり。またコメント欄の機能上、基本的にみなさんと1対1のやり取りがしにくい。
やっぱりまとまった議論をするなら、トラックバックを送りあうのが理想的だなあと感じた。
上にあげた過去の議論系エントリを読んでもらえればわかる通り、私はむしろ異論を聞きたい。
だから反論エントリが送られてきたからといって、相手のブログに乗り込んで、みょうなことをやったりするようなセコイ人間じゃない。この場でそれを証明して見せることはできないが、そこはもう「信頼してほしい」というしかない(笑)。
とはいえもちろん、「コメントするな」なんて意味じゃない。むしろ逆だ。トラバじゃなくやっぱりコメントがいいと思えば、そうしてもらってけっこうだ。
長くなったのでひとまず店じまいしよう。今回はいただいたコメントに対する踏み込んだ感想は書けなかったが、機会があれば回をあらため、それ用のエントリを立てようと思う。
さて……。いまこの原稿を書き終わり、ふとコメントの本数を見たら60本になってるし(笑)。
わはは。
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私「え、コメント欄? なに?」
知人「いや、ほら松岡さん、2ちゃんねるの一部がどうとか書いてたでしょ? ブログに」
私「うん」
知人「だからそのエントリのコメント欄がね、爆発してるんですよ」
(※やはり彼は明らかにうれしそうな感じだ)
私「はぁ?」
知人「いや、今もうコメントの数がね、40本こえてます」
私「はぁぁぁぁぁ?」
【場面転換】
ガランとした部屋。効果音は、ロバート・フリップが作ったおどろおどろしい悪魔の音楽。うす暗い部屋にモニターの青白い光がほのかに浮かびあがっている。
【ACTION!】
(カチンコの音)
さて私は今、パソコンを前にしている。43本のコメントを読み終えたところだ。というか今現在も、コメントが送られ続けている(笑)。くだんのエントリーは知人の通報通り、この状態である。
『2ちゃんねるの「一部の人」論争を考える──これは2ちゃんねるに限った話なのか?』
もはやこの数になると、1人1人にレスをつけるのは不可能だ。そこで総評的な形で書こうと、このエントリを立てたってわけだ。
さて、コメント欄を通読してまず最初に感じたのは、ロジカルで知的な書き込みがほとんどだった点だ。主観的な感情論に流されてる人がほぼいない。しかも大部分がおハツの人たちなのに、である。
さすがは私のブログにお見えになるだけのことはある(おい)。
もちろんなかにはごく少数の意味不明なノイズもあったが、43本という総数を考えれば占める割合は驚異的に低い。
やはりブログで問題提起し、議論を呼びかけるのは意義があるな、って感じだ。ちなみにこのエントリでは、トラックバックはほとんど打っていない。
いやはや、やっぱりブログが議論を喚起する力はすごいわ。
しかも書き込みの内容を見ると、私が書いた文章に賛同している人は少ない。たいてい何がしかの異議を唱えている。これがとても貴重な点であり、重要なポイントだ。
私がブログに求めているのは、まさにコレだからである。
【ご参考】
※うちの過去の関連エントリです(議論・ブログ論)
●『ファンクラブ志向と議論志向──SNSとブログにみるコミュニケーション・ギャップの原理』
●『なぜ日本では議論が生まれにくいのか? ──議論とケンカのメンタリティ』
●『【匿名論争始末記】トラックバックスパムと議論の「呼びかけ機能」のあやうい関係』
●『ほりえもんに見るメディアリテラシーの憂鬱』
【商業サイトに書いた原稿】
●RBB TODAY『第11回:議論の呼びかけはトラックバックスパムか?』
ブログのコメント欄や送られてくるトラックバックが、「お説ごもっとも」みたいなうなずき系ばっかじゃ意味がない。過去に何度か書いたが、私は自分とは異なる価値観と出会いたい。
たくさんの異論を聞き、私がそれまで想像もしなかったような独自の視点や、ユニークな発想にふれたい。で、胸いっぱいのエンドーストメント、じゃなかった、インスパイ(ヤ)されたい。
私は教えてほしいのだ。
で、最後にひとつささやかな提案なのだが……。
今回みたいに議論になることが予想されるテーマのとき、あるいは文章が一定以上の長さになる場合は、できればご自分のブログで新しくエントリを立て、トラックバックの形で送ってもらえると助かります。
たとえば今回は各コメントがけっこう長文で、閲覧者はおそらく読みにくいんじゃないかと思ったり。またコメント欄の機能上、基本的にみなさんと1対1のやり取りがしにくい。
やっぱりまとまった議論をするなら、トラックバックを送りあうのが理想的だなあと感じた。
上にあげた過去の議論系エントリを読んでもらえればわかる通り、私はむしろ異論を聞きたい。
だから反論エントリが送られてきたからといって、相手のブログに乗り込んで、みょうなことをやったりするようなセコイ人間じゃない。この場でそれを証明して見せることはできないが、そこはもう「信頼してほしい」というしかない(笑)。
とはいえもちろん、「コメントするな」なんて意味じゃない。むしろ逆だ。トラバじゃなくやっぱりコメントがいいと思えば、そうしてもらってけっこうだ。
長くなったのでひとまず店じまいしよう。今回はいただいたコメントに対する踏み込んだ感想は書けなかったが、機会があれば回をあらため、それ用のエントリを立てようと思う。
さて……。いまこの原稿を書き終わり、ふとコメントの本数を見たら60本になってるし(笑)。
わはは。
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『2ちゃんねるの「一部の人」論争を考える──これは2ちゃんねるに限った話なのか?』
ってタイトルとはずいぶんかけ離れた内容ですよね・・・。中立というより2ちゃんねるたたきに聞こえました。そして今回は言い訳のようにしか聞こえません。
いろんな意見が出たほうがいい、異論を聞きたい。って趣旨だったんですか?
その割にはコメント欄のレスは「異論歓迎!」っていうよりか「お前は間違ってる。おれが正しい」っていう異論を受け付けないのレスをつけていたように感じました。わたくしがそう感じただけかもしれませんが。
ここも2ちゃんねるとほとんど同じですよ。
ネット上の匿名の掲示板(っぽいもの)。ひろゆきの変わりに美樹。
誰かも書いてましたが、もしここでわたしが「○○ふざけんな!ナイフで刺してぶっ殺す!」と叫んだらこのブログはとたんに犯罪者の集まりですか?
もし「お前も匿名でなんやかんや言ってんじゃねえ」とかって思われましたら言ってください。メールでもします。まあ、言わないとは思いますが・・・・。
文才ないのでまとまらない文章ですいません。
結局なにが言いたいかというと、「管理人さん、それ本音?」って事が言いたいです。なんかこのままだとアクセス数かせぎにのまねこ問題かじったととられてもしょうがないと思いますし。ってかそう感じました。
えー、長々とすいません。全てわたし個人が感じたことなので偏見等も入ってるかもしれませんが、こういう異論(考え方?)もありかな、と歓迎してくれれば幸いです。
乱文失礼いたしました。
>ブログが議論を喚起する力はすごいわ。
これはおそらく単なる思い上がりです・・・。べつにこのブログがすごいのではない・・・。のまねこ問題がすごい、ってだけではないでしょうか?
あと、大西宏さんのブログ記事からリンクされてますので、そっちからの人間もいると思います。
>教えてほしいんですか。
ええ。もちろんそれがすべてじゃないですけどね。ブログでコミュニケーションしていると、自分が予想もしなかった意見が聞けるときがよくあるんです。「この考えっておもしろいなあ」って。で、そんなとき、「教えられたなあ」と感じます。このことは過去のエントリにも、何度か実際に書いています。このエントリで【参考】としてあげてある過去のエントリでも、私がそう書いている場面が出てくるんじゃないかな? うろ覚えですけど(^^;
>的を得たコメントしてるなーって思ってたコメントがさっき見たらなくなってたり。
いえ、コメントは1件も削除してないです。
>なにを教わりました?
コメント数が多くて、いますぐカンタンには探せませんが……。たとえば「異」さんの以下のコメントは印象に残りました。この方がおっしゃっていることは、私が書きたかったことにかなり近いです。
-------------------------------------
>>ゆえに良いことは自分もふくめた「みんながやったこと」になる。
>>かたや悪いことは、自分を除く「一部の人」の責任だと認知する。
>>もともと人間とは、そういうものなのである。
>これが(世界中の)人として当然の行動であるなら
>>2ちゃんねらーは、2ちゃんねる上で良いこと(千羽鶴、電車男など)が
>>起こると2ちゃんねるのみんながやったことだと言う。
>>だけど一方、2ちゃんねる上で悪いこと(犯罪予告など)が発生すると、
>>それは2ちゃんねるの一部の人がやったことだと主張する。
>>これはまるで手前勝手な論理じゃないか?
>このような疑問を感じること自体がおかしいという事かな?
-------------------------------------
はい、そうです。私は、(一般論としての)人間は「不完全な生き物」だと考えいます。不完全であるがゆえに、人間はダブルスタンダードなことをやったり、あちこちごまかしながら辻褄を合わせて「なんとか生きている」ものである……。これが私の書きたかったことです。私はあのエントリで「2ちゃんねるについて」書いているんじゃないんです。社会における「人間全般」について書いています。たとえば以下のコメントにあるように、えっけんさんは私のそういう意図を正確に読解されています。
>このエントリーにおいて、松岡さんは、
>2ちゃんねるに関する「一部の人」問題を取り上げ、
>その是非が云々言っているわけではなく、
>こうした問題は2ちゃん以外の、あらゆる場面でありうる事、と述べているはずなのに、
>匿名発言者の多くが、2ちゃんねるについての言及と捉えている所が面白いですね。
ただし最後の1行だけは、私の考えとはちがいます。だって誤読されずに、私の主旨通りに読んでもらえたほうがいいに決まってますからね(笑)。書いた本人としては。
>中立というより2ちゃんねるたたきに聞こえました。そして今回は言い訳のようにしか聞こえません。
このあたりが、えっけんさんも書いているように誤読されている部分なんです。実はさっき、あちらのエントリのコメント欄に、私が今回の原稿を書いた意図を書き込みました。けっこう長いので、それをまたこっちにコピペするのもナンですから、もしよろしければあちらのコメント欄をのぞいてみてください。
>いろんな意見が出たほうがいい、異論を聞きたい。って趣旨だったんですか?
その割にはコメント欄のレスは「異論歓迎!」っていうよりか「お前は間違ってる。おれが正しい」っていう異論を受け付けないのレスをつけていたように感じました。わたくしがそう感じただけかもしれませんが。
それは「異論を受け付けない」ということじゃなくて、「私が書いた意図はそうじゃないですよ」と答えただけだと思いますよ。もちろん基本的には文章って、自由に解釈してもらっていいものです。でもたとえば、「松岡さんはこの文章を、2ちゃんねるタタキを狙って書いたんでしょう?」と問われれば、それは私の本意じゃないですから、当然「いえ、それは私の主旨とはちがいます」と答えますよね? これは「異論を受け付けない」というのとは、意味がちがうんです。
>文才ないのでまとまらない文章ですいません。
いえいえ、とんでもないです。
>結局なにが言いたいかというと、「管理人さん、それ本音?」って事が言いたいです。
ええ、本音ですよ。私は、自分と異なる価値観と出会いたいと思ってますし、過去のエントリにも何度かそう書いています。それからこのエントリにあるように、「ロジカルで知的な書き込みがほとんどだった」と感じた、というのも本音です。みんな感情的になってないので正直、おどろきました。ただこれはコメントが40本くらいの時点で、全体を見て感じたことです。いまはコメントが60本くらいに増えてますが……いま見ると40本以後に、脊髄反射っぽいレスがいくつかありますけどね(笑)
>なんかこのままだとアクセス数かせぎにのまねこ問題かじったととられてもしょうがないと思いますし。
それ、とんでもない誤解です。アクセス数だけ増えたとしても、読んだ人に「おもしろい」と思ってもらえなければ意味がないですから。
>>ブログが議論を喚起する力はすごいわ。
>これはおそらく単なる思い上がりです・・・。べつにこのブログがすごいのではない・・・。のまねこ問題がすごい、ってだけではないでしょうか?
上記の部分で「すごい」と書いたのは、「私のブログがすごい」という意味じゃないです(^^; 「一般論としてのブログ全般」がすごいなあ、すごい力をもってるなあ、って意味です。
>全てわたし個人が感じたことなので偏見等も入ってるかもしれませんが、こういう異論(考え方?)もありかな、と歓迎してくれれば幸いです。
はい、もちろんです。りょうさんは私の意図を誤解されてる部分は何点かありましたが、これできちんとおたがいにコミュニケーションが取れたと私は感じていますよ。またよろしくです。
■いかさん
はい(笑) どうもご親切に。どちらもわかっております。
まぁ、論点がズレていることは自覚していましたので、何を言われても文句は言えないんでしょうけど。
ただ、松岡さんの文章を見ていると、どうしても「2ちゃんねる」に関して言及しているように見えてしまいます。
そういう意味では、「閲覧者が誤解をしている」というよりも「誤解を招きやすい表現だった」と解釈するのが妥当なのでは・・・とも思います。
自説の意図を説明するよりも、まずは自身の文章を省みて、「何故相手がこのような誤解をしてしまったのか」を考えるのが第一ではないのでしょうか・・・。
コメント汚し失礼致しました。ただの愚痴なので、スルーしてくださって結構です。
一連のエントリーとコメント欄、興味深く読ませていただきました~。
ではでは、コメント汚し失礼しましたっ!
そのうち考えがまとまったら、コメントしてみたいと思います。
自身のブログのコメント欄でこちらの話をうかがい興味深く拝読させていただきました。
互いの知見を深めるためにトラックバックさせていただきました。
反論とは違うかも知れませんが・・・
ではでは。
物書きであれば全て書いたもので語り尽くすべきものであり、誤解されず正確に読み手に受け取って貰えるものを書くべきところでしょう。
来られた方は恐らく私同様に大西さんの記事からのリンク(ひいてはのまネコ問題のまとめサイト)や2chから、という率が高いのではないでしょうか。
そのため必然的に思考にある程度のバイアスがかかった状態だったというのも原因の一つではあると思います。
ですが、物書きである以上「そういうつもりで書いたのではない」「読み違えている、私の意図はそこではない」と返すのは言い訳であると思います。
失礼な言い方ではありますが、議論がお好きなようなので、わざと誤解を招きやすい、「議論」となりやすいように書いたのではないかと邪推すらしてしまった次第です。
#結局一晃さんと同じ事が言いたいだけですので無視して頂いて結構です
普段はROMさせていただいているLastと申します。
『人は自分が真実であって欲しい事を真実にしてしまう』
という言葉が有りますが、逆も真なりというか
『人は「自分が批判されていそう」な事は批判にしてしまう』傾向が有るような気がしますね。
一種の防衛本能みたいなものなのでしょうか?
誤読してしまう人の多くは「それは誤読ですよ」と指摘されると、
まず「書き手の表現が悪い」と言い自分の読解能力に疑問を持つ事は少ないようです。
それも書き手の意図通りに受け取っている人が確かに存在するにも関わらず、です。
国語のテストを思い返して貰えれば分かると思うのですが、
文学作品に限らず論評の類であっても、
読解問題の正答率100%ってまず有り得ませんよね?
メディアリテラシーの観点からすれば、
自分の読解能力に一切疑問を持たないというのは忌避すべきだと思うのですが。
余談になりますが、
理由を述べず「書き手が悪い」という人は、
えてして根拠も述べずに「異論に耳を貸せ」と自論を押し付ける人が多い気がしますね。
異論の背景を説明願うと「皆そう思ってる」という旨の返答を貰う事がしばしば。
此処では例示等しませんので、偏見だと言われてしまえばそれまでですが。
エントリとはあまり関係無い話題ですがご容赦くださいませ。
それでは駄文失礼いたしました。
どのような内容であれ「完全に」意図を理解できる人はいないでしょう。
ですが、それでもこの一連に関しては例え話(ニュアンス的な表現とあえて言わせて頂きます)での説明をメインに持ってきたせいで論点がずれてしまい、説明不足が長引いた感が強かったです。
議論を求める場合、書き込むのは元となる記事に納得できなかった人がまずコメントをする事が多いでしょうから
「あのコメント群を見れば意図が伝わらなかったのは解るだろう」
というのを「書き手の表現の問題」の理由にするには難しいと思います。
ですが「読み手の読解力の問題」とするのであれば、それこそ問題ではないでしょうか。
書き手として、発信する側としてそれは暴論でしょう。
この一連の記事とコメントは「試験に使われるような文学や論評」ではないのですから。
ただの自己満足・垂れ流しの持論発表であるのならば別でしょうけれども。
少なくともLastさんのように「此処では例示等しませんので」などと書かれると「逆批判したかっただけじゃないのか」というように感じてしまいます。
(揚げ足をとるようですが、メディアリテラシーは読解力とはまた別の問題です)
単に私の読解力が低かっただけである事も承知の上でコメントさせて頂きました。