先日、長年使っていたドライヤーが壊れてしまった。
思い起こせば20年ほど前の高校生の時から使っていたのである。
それがこのドライヤー
私自身、病気のとき以外、毎朝頭を洗っていくので、ほぼ365日
20年間働いてくれたことになります。
そう考えると、ふとある出来事を思い出しました。
高校を卒業した後、関西のとある大学へ入学しました。
そして、今でも忘れない、それは卒業論文を提出する当日だったのです。
1995年1月17日・・・
前夜に、数ヶ月かけてやっと完成させた卒業論文を翌日に持っていけるよう
最終チェックをし床につきました。
そして早朝、物凄い地鳴りと、叩き上げられるような揺れで飛び起きました。
しかし、すぐには立てなかった状況を今でも覚えています。
そう、阪神淡路大震災です。
もちろん、しばらく停電になり、今の状況が全くわかりませんでした。
こっちも卒業論文のことが気になったので、携帯電話で学校に電話をかけても
友達にかけても繋がりませんでした。
それもそのはずです。学校はその時、完全に崩壊していたのです。
次に友達のことが気になり、原付バイクで神戸市灘区へ向かったのでした。
国道2号線は、全国から駆けつけた自衛隊車両で埋め尽くされ
全く機能していない状況でした。時には地割れした道路を原付を担ぎ上げて
通過しました。神戸市内に入るにつれて、悲惨な状況、まさに地獄絵図でした。
家が燃えているのに、消防車すらいないのです。逃げ出した人は、ただ呆然と
燃えているのを見ている状況でした。また、道路上には・・・
いまでも鮮明に脳裏に焼きついています。
それで、何とか友達のマンションに着いたのですが、入り口が崩壊していて
中には入れず、どうすることもできずに、その場を後にしました。
後に、その友達が無事だったことが、わかったのでホッとしました。
結局、卒業論文は後日郵送になり、なんとか卒業できました。
あれっ、なんでドライヤーからこんな話に・・・
まぁ、でも私の人生の半分以上を毎日見続けてくれて、働いてくれた
このドライヤーに感謝の一言でもかけてやりたい、そんな心境です。