昨日は、篆刻印のお話でありました。今日も続きであります。
平塚では、月に一回の第4土曜日に骨董市が催され、ワタシもたまに足を運びます。お目当ては書道用品。古い硯箱に入った硯、文鎮、篆刻印、印材などでありますな。他にも墨池という墨汁をためる容器や水差などもたまに見かけます。
ワタシは骨董趣味も、余計なお金も持ち合わせていませんから、専ら実用品でお安いものしか買いません。一個500円やそこらのものです。
よく買うのが、印材と既に彫ってある篆刻印です。ほとんどがタダ同然で無造作に置かれております。書道を長くやっているとおぼしい篆刻印は、名前であったり雅号であったり趣のある文字が残っています。
思うに、これらの持ち主の多くは既に他界し、家族が遺品整理で処分したものでしょうね。現役で書道をやっている人は、自分のアイデンティティーである印章を売ったり捨てたりはいたしません。ましてや、心を込めて彫ったものには思い入れがあるに違いないでしょう。
彫っては削りを繰り返して半分ほどに短くなった印材を見つけて手にすると、名前しかわからない見知らぬどなたかが、長年書道に打ち込んできたであろうと想像して感慨を覚えます。こうした印は、少しづつ削っては再利用いたします。もとの印影は跡形もなくなりますが、それが宿命であり泡沫のごとき人生と重なりますね。それをどこかで見ている元の持ち主が居たとしても、きっと喜ぶに違いありません。そう思いながら、少しずつ削れて浮いていく印石の粉を払っております。
それはそれとして、よく手元が見えません。若い時分遠視だったのが災いしてか、老眼が早く、ぼやけて見えるのです。さらに老化によるカスミ目、メガネは曇っとるし。
ここはひとつ「ハヅキルーペ」の出番です。ワイフから貰ったこれでどうやら刃先が見えます。┐(´∀`)┌ヤレヤレ
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