植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

筆の価値は、穂先にも筆管にもある

2020年11月20日 | 書道
 一昨日のブログで「幽玄斎筆」を話題にいたしました。届いた筆の中で一番の大筆(定価8万円)は、筆管が割れておりました。セロテープで止めた跡がいくつもついておりました。セロテープではさすがにそれは無理、竹で作られる筆はいずれひび割れが出来ます。乾燥と洗浄を繰り返すのでいつか縦に裂けてくるのです。

 資金的余裕があれば、製筆屋さんに頼んで穂先の羊毛だけを使って再生させることは可能です。しかし、ワタシの見立てでは、数万円かけて作り直すほどの毛には見えません。恐らく羊毛(山羊)細光鋒の長毛で、少なくとも非常に少なく高価な細嫩頂光鋒(さいどんちょうこうほう)ではありません。それだけの最高級の長い毛だけを大筆に仕立てたらとても8万円などでは作れません。恐らく50万円以上になろうかと思います。ワイヤーでぐるぐる巻きにして、アロンアルファーで接着してみようか、と思案中であります。

 手元にある7本の幽玄斎筆を見ての特徴がわかってきました。それは、中筆・大筆ともに極細の細光鋒から細嫩頂光鋒までの毛質の間で作られていることです。どの筆もシャンプー・リンスをしてみると、光沢があり先端が透明感のある飴色で、触ってみるとつやつや・サラサラであります。言うならば、シャンプーのCMのモデルさんの毛みたいな感じでしょうか(触ったことはありませんが)。細いその毛は、蜘蛛の糸や綿の繊維を連想させます。

 この毛を使った筆は、丁寧に使ってメンテナンスすれば、一生ものといいます。実際今ある筆は、すでに20年~40年は経過しているのですが、劣化を感じさせません。むしろ経年相当に、油脂分が抜け、練れて風合いが出てきているとも言えます。

 昭和の前半までは、高級な筆は中心に細光鋒などの命毛を集め、鋭く尖り、先端より下は太くなって、腰に行くほどさらに太く弾力を出すように作られていました。鼬などの毛を混用した兼毫筆で、下膨れの円錐形そのままの形に筆毛を整えたのです。S29年に、書道の大家上田桑鳩先生が先を切り落として平らに揃える筆を作らせたのが発祥と聞きました。

 これ以降、その筆の素晴らしさが知れ渡り穂先が平らな「長鋒羊毛筆」が書道家の間では主流となったのです。残念ながら、原料は中国、元々希少な毛で、それから急速に質が落ち、もはや往時の特上の毛先を持つ筆は作れなくなり今に至るのです。従って、S30年代に作られた長鋒の細嫩頂光鋒は、最高品質であり、もはや新たには作り得ないほどの貴重品なのです。

 もう一つの特徴は前述の筆管であります。通常この手の高級筆になると大筆を除き、斑竹という節の多い竹を使う事が多いのです。一つの筆に1,2の節があり、時には曲がっていたりします。茶色の丸みのある模様が点々とあり「斑竹」とよぶのです。見た目が趣があり高そうに見えます(笑)。やや重みもあるように感じますし、割れにくいのではなかろうかと思います。

 これと違い、幽玄斎筆は節の無い真っすぐな竹筆に拘っているようです。どの筆も濃い茶色のスベスベとした竹で、穂先の毛の量や太さに比べて細身になっています。軽く、どこをどう持っても違和感がない筆で、毛先の重さがより伝わりやすいように作られているのでしょう。

 更に、一本を除いて竹に銘名が刻まれていません。高価な筆には、筆の名前のほか、毛の種類や製筆店名、場合によっては作家名などが彫られます。すると箔がつきますし、いつまでも筆の情報が残るのです。ところが幽玄斎筆は、これが一切ない、のっぺらぼう、値段のラベルに幽玄斎と印刷されているだけなのです。通常の筆に比べて管が長いのも特徴でしょうか。
 
 何故か。ここからはワタシの推理・想像になります。
最大の理由は、竹の軸に傷をつけることが強度を低くすることにつながるということです。出来るだけ薄く真円の管を作るには、表面に刻印を残さないに越したことはありません。もう一つ、この筆が、注文生産のような作り方をしていて、命名の必要が無いから、あるいはそうした文字を彫る手間やコストを嫌ったからではないかとも思います。

 いずれにせよ、非常にこだわりを感じる筆であり、それゆえ書道人口が減って需要が落ちていく中、品質を下げコストの低い大量生産に向かうくらいなら、廃業を選んだのかもしれないとさえ思います。

 ふと、思い出しました。前回書いたように多くの高級筆がまとめて出品され落札したのが計100本以上ありました。半分以上は一本数万円はするような筆であります。自分では使わなそうな筆ばかり10本ほど持参して書道仲間に差し上げたのです。
 その中に、2本同じような筆が入っていました。文字がどこにも刻まれていないすっとした長く細い竹管で、先の平たい長方筆だった。あの頃は、まだ筆の良しあしや価値・毛質などにさほど知識も無かったのです。

しまった! もしかしたら、あれって「幽玄斎」だったのかも!?


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