モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

オーストラリアの旧札が出てきた

2020-06-21 12:39:49 | 日記

先日、観光名所のテレビを見ていたら、娘B(25歳)が、

「ここにも行ってみたかったけど、行けなかったんだよなぁ」と言いまして。

娘Bは昨年の今頃は、南半球にいたのでした。

せっかく教員の仕事についていたのに、色々見てみたいと、

仕事を辞めて旅行に行ったのでした。

娘Bが行ってみたかったのはオーストラリアのウルル。

自分の時代は「エアーズロック」と呼んでいた場所です。

「母(=ワタシ)は行ったことあるよ」と言ったらちょっと驚いてました。

自分が小学生のころ見たドラマにオーストラリアが出てきて、

「行ってみたい」と思って、その思いを糧に学生時代はバイトバイトの日々。

高校時代の友人と、10日余のパックツアーでオーストラリアの地を踏んだのでした。

バックパッカーになる勇気はなかったけれど、

パックツアーでちょうどよかったです。初海外だったし、日中は自由行動なので。

エアーズロック(と呼ばせていただきます)に行ったことを娘Bに示すために、

アルバムを出してきて、見せました。

フィルムの時代だったので、枚数が少ないなぁ。

「あっ、ウルルに登ってる」と娘Bが言うので、どういうことかと問うと、

昨年の10月くらいで、エアーズロックには観光で登れなくなったそうなのですね。

自分の場合、他にも、モアイに触れたり、小笠原の南島で寝っ転がったりなんて、

時代が違うとはいえ、自然破壊に加担したようで、心が痛いっす

話はそれましたが、アルバムを見たことで、旅日記なども出てきて、

忘れていたことがよみがえって、自分でもちょっと新鮮に感じてしまいました。

当時の旅日記によると、エアーズロックのツアー(ホテルからバスに乗っての登山など)で、

15豪ドルだったようです。

「エアーズロックには日本人とハエしかいない」というジョークもあったようで、

そう・・・バブル時代だったのか、日本は。

日本の観光地に中国人がいっぱい・・・ということと似たような現象だったのかもねぇ。

ハエは確かに多かったです。

アルバムには、旅の思い出として、オーストラリアの紙幣も挟んでありました。

当時は「旅の思い出」も大切だったんでしょうけれど、

時を経て、「このお札、自分が死んだらアルバムごと焼かれちゃうんだね~」と思ったわけで・・・。

日本円に換金できないかなぁ・・・と調べてみると、

旧紙幣は、日本で換金するのはできないか、難しそうなのですね。

そこで、ネットオークションに出してみました。

落札されなければそれはそれであきらめもつくし。

結果としては、落札されました。純粋に嬉しいです。

オーストラリアでは使えるのでしょうね。

旅の後日談として・・・、オーストラリアに行った時、

お土産にお酒を免税店で買ったのですが、

あまり深く考えずに、そのお酒は割れないように厳重に包んだので、

(トランクではなく、スポーツバッグだったので、心配だった)、

空港で申告するのが面倒くさくなり、そのまま帰国しましたら、

・・・ちょっとしてから、しっかり脱税容疑(?)で免税店から手紙が来まして、

正当な方法がわからず、とりあえず、手元にあった50豪ドル札を、

免税店に送ってみたのでありました。

その後は何もないので、それで解決したのだったかなぁ。

お札を見て、そんなことも思い出したのでした。


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