杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

福島いわき・ほんとうの被害(その2)

2011-04-19 09:34:08 | 東日本大震災

 前回の続きです。Imgp4232

 いわき市街から国道6号線を北上し、海が見えてきたとたん、景色が一変しました。3・11からひと月以上経っているとは思えない津波の 生々しい痕跡が延々続きます。国道に沿って続くJR常磐線の線路上には、動かない電車がそのまImgp4235ま放置されていました。

 

 

 

 

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 福島県いわき市久之浜地区は、東京電力福島第一原発の30キロ圏外ギリギリに位置する港町です。ひと月経ってなんとか道路上のガ レキが片付けられ、車が出入りできるようになっていました。

 

 

 

 

 

 Imgp4243 Imgp4244 最初に戦慄を覚えたのは、無残に寸断された橋。台風などで橋が崩れて寸断された現場は静岡県内でも見たことがありますが、多くは一般の人が立ち入らないよう進入禁止の規制線が張られていますよね。こんなふうに何の規制もなく、崩落現場に直接足を踏み入れるのは初めてです。

 橋のたもとにあった家のブロックが、そのまま津波の勢いで道路側に倒れています。家主と思われるおばあちゃんが、家の中に入ろうとして、近所の人々に「無理するな、男手が来るまで待ってろ」と引きとめられていました。

 

 

 

 

 

 

 防波堤に沿って家々が立ち並んでいたと思われる集落は、まるで戦場の後のよう。ところどころにコンクリートの家の基礎Imgp4252だけが残っていて、ここに家があっただろうと想像させるだけです。

 

 花がたむけられていた場所では、遺体で発見された家主が、津波が到達する寸前の15時20分に、家の前を歩く姿が目撃されていたそうです。ほんとうに、寸前まで、自分が亡くなImgp4257 るなんてまったく想像もしていなかったのでしょう。・・・何が起きたのかわからず、突然、目の前が真っ暗になって命を落とすって、どんな死に方なんだろうと震えがきました。

 

 

 

 

 

 吉野さんがガレキの中で探し物をしている男性に声をかけました。男性は、手に『感謝』と描かれた小さな絵文字の額を持ち、「家のもの、こImgp4249 れだけめっかんだんだぁ(見つかった)」と小さな笑みをたたえていました。

 

 震災当日は息子さんと一昼夜連絡がとれず、余震が続く中、火事も発生し、消防団さえ退去した中、危険を承知で近所の知人友人とともに捜し回り、倒木にすがり救助を待っていた子どもやお年寄りを何人も救ったそうです。その後、息子さんは職場にいて無事で、障害者施設に入居していたお孫さんも無事だったことが確認できたとか。・・・男性が『感謝』という絵文字の額をどんな思いで拾い上げたのか、想像するだけで目頭が熱くなってきました。

 

 

 

 Imgp4254 防波堤は、その頭上をいともカンタンに越えた巨大津波の威力に、無力さをさらけ出していました。

 

 

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 ガレキの中でかろうじて残っていた小さな社(やしろ)。よく見ると、2つ並んでいる長方形ブロックは横倒しになった鳥居の足場なんですね。ひっくり返ってそのまま社の軒下にすべり込んでしまったのです。社が生き残ったのは、ほんの数十センチの高さの違いなのでしょうか。それともやっぱり神様が祀られている特別な場所だからでしょうか・・・。

 

 

 海沿いの家は、本当に無残でした。この家は完全に屋根と床が180度ひっくり返っていました。どんな力が働けば、こんな倒れ方をするのImgp4262 か、建築の専門家に聞きたい衝動にかられます。

 

 

 

 

 

 地区の一部は火事で黒こげになっていました。このポストの向かい側にあり、かろImgp4266 うじて家屋が倒壊せずに残った電気屋さんのご夫婦が、「もう避難所にはいられない、今日(17日)から戻ってここで復興してみせる」と気丈に語っていました。

 

 周囲は黒こげのガレキ、家の内部はめちゃめちゃ、ライフラインも復旧していないし、いつ余震や津波が来るかもわからないのに、我が家に戻るという決心をしたご夫婦の心情を、吉野さんは「避難所で、何もせず、ただ周囲に気を使って黙っていると、ロクなことを考えない。一分一秒でも早く、我が家で日常の暮らしに戻ることが被災者の救いなんです」と代弁されていました。

 

 『感謝』の絵文字の男性も、親戚の家に一家で身を寄せているそうですが、「もう限界だ」と吐露していました。

 

 

 

 現状では、住まいを失った被災者はとにかく一時的に避難所に入ってもらって、そこに救援物資を届けることで手いっぱいなんだろうと思います。集団避難生活が長引いたとき、仮設住宅の完成や賃貸住宅の空きをじっと待つか、思い切って移住を考えるか、家屋が残っていたら危険があっても戻るかどうか―これは、誰もが我が身に置き換えてシミュレーションしておく必要があるようです。

 

 一瞬で住む場所が無くなるなんて、当事者にならなければリアルに想像できないのが正直なところ。それでも、いざという時、“ロクなことを考えない”自分に陥らないためには、自らの力で日常の暮らしに戻る方策を考えておくべきだ、と思い知らされました。それはたぶん、どんなことでも日頃から「自力」で考えるか、「他力」をあてにするのか、個人個人の生き方の問題につながっているのでは・・・と実感します。

 

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 次の港まちへ移動しようとしたとき、こんな貼り紙を見つけました。原発から30キロ地点の、ガレキだらけの町の片隅で、日常を取り戻そうと懸命に努力する人々がいることを、心にしかと刻みつけました。(つづく)