杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

しずおか地酒サロン特別トークセッションのご案内

2008-09-20 20:43:06 | しずおか地酒研究会

 久しぶりに酒のイベントも映画の撮影も原稿の締め切りもない穏やかな週末。・・・といっても根っからの貧乏性の私には、のんびり休む習性はありません。早く案内を作らなきゃと焦りつつ、手つかずでいた『第31回しずおか地酒サロン特別トークセッション』の案内チラシを、ワードでガーッと作って関係者に校正出しをして、返事が出そろった昼ごろから、会員に一斉案内をかけました。とりあえず送るのは150人あまり。全員がメールアドレスを持っているわけではなく、中にはファックスもなく、郵送しか通信手立てのない人が20人以上いるので、封筒が足りない!切手もない!で、なかなか一度に片付きません。

 

 

 まぁ、そんなこんなで、この12年あまり、初期の『しずおか地酒塾』も含めると約60回、個人的に頼まれた酒蔵見学やグループミーティングなどを含めると、活動の延べ回数は100回を超えます。毎回、案内を出す時は、面倒でもメールの人、ファックスの人、郵送の人と小分けにしてきました。初期のころはメール1、ファックス4、郵送5ぐらいの割合だったのが、12年間で個人ベースでもIT化が進んだんですね、今はメール5、ファックス3、郵送2ぐらいになったでしょうか。郵送の手間は確かに煩わしいのですが、12年間、ずっと手書きで宛名を書いてきて、そのつど会員さんのお顔を思い出し、郵便1本でつながる酒縁に感謝し続けた、この習性もやめられません。不思議と、郵送の会員さんの出席率が高いんですね。手書きの枚数が年々減って、少し物足りないぐらい・・・。

 

 

 

 

 

 

 さて、今回の地酒サロンは、飲酒なしのトークセッションです。酒が呑めない地酒研究会なんて意味ないじゃん!ってお叱りの方もいらっしゃるでしょう。テーマも、酒に特化した内容ではありません。

 

 

 

 過去ブログでも紹介したように、『吟醸王国しずおか』の撮影で、6月末、藤枝の松下明弘さんの田んぼの草取りの撮影に行った時、『朝鮮通信使』の脚本監修でお世話になった金両基先生(評論家・哲学博士・人権語り部)に偶然お会いしたことに端を発します。

Dsc_0050

 

 

 

 金先生は、“変人の会”という不思議な飲み仲間の会を主宰する建築士の酒井伸吾さんに案内されて、飲み仲間の松下さんを訪ねてこられたのです。田んぼのあぜ道でひとしきり話をするうちに、金先生、松下さん、青島酒造の青島孝さん、カメラマンの成岡正之さんが、ともに海外でさまざまな異文化体験をした者同士という共通項を発見しました。いくつものボーダーラインを越え、ハタから見たら非常識に見えることに挑んできた彼らは、私から見ても“似た者同士”。そんな彼らが、藤枝の田んぼのあぜ道で、文明論やら人生論やらで熱弁を交わしているのがどこか可笑しく、私一人が聞くのはもったいないなぁと思いました。

 

 

 

Dsc_0038

 ちなみに、『吟醸王国しずおか予告パイロット版』で反響の多かった“豊年エビ”の登場シーンは、松下さんが金先生に見せていたところを偶然撮ったものです。先生のおかげであのシーンが撮れたようなものです!

 

 そうこうしているうちに、金先生のほうから、「松下さんと青島さんは若いのに本当に面白い。彼らとじっくり話したい。できたらたくさんの人に聞かせてやりたい。あなた、ちょっと企画しなさいよ」と振られ、なんだかんだでとうとう実現してしまいました。

 

 

 『朝鮮通信使』の脚本執筆時には、「このホンには感動がない、つまらんと思わないのか?」とガツンと言われ、山本起也監督と2人、歯ぎしりをし、この先生を見返してやる!の一念で必死に書き直したことを思うと、人の縁というのは本当に不思議です。

 9月8日の朝日新聞に映画制作のことが紹介されたとき、真っ先に「載ってるぞ」と連絡をくれた先生。記事の中で、朝鮮通信使の制作経験が映画作りにつながったという一文に対し、「あの仕事は本当に貴女に大きなものを残したんだね」と慰労の言葉をくれました。「(自分にとっても)朝鮮通信使の映像事業で残ったのは真弓だけだな(他の人とは、事業が終われば縁も終わり)」とも。

 

 

 私は、打たれればすぐ凹み、褒められるとすぐ有頂天になる単純な人間ですが、金先生にあのときガツンと言われたことが、今の私を創ったんだとしみじみ思います。

 

 

 

 

 そんな金先生が、わがしずおか地酒研究会発足の年―1996年に時同じくして出会い、思いを重ねてきた松下・青島両“変人”とトコトン語り合う地酒サロン。酒なしツマミなしのガチンコトークバトルですが、地酒ファンのみならず、多くの市民や若者に向けて、地に足をつけて生きることの価値を伝える普遍的な内容になるはずです。ぜひ多くの方に聞いていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

第31回しずおか地酒サロン特別トークセッション

『国境を越えた匠たち~知の匠・農の匠・酒造の匠が、地に足のついたモノづくりを語り合う!』

 

 

◆日時 10月25日(土) 19時~21時 (18時30分受付開始)

◆場所 静岡市生涯学習センターアイセル21 1階ホール

◆内容  映画『吟醸王国しずおか予告パイロット版』上映(最後の公式上映になります)

      金両基氏、松下明弘氏、青島孝氏によるトークセッション

 

 

食の情報誌『dancyu083月号でも、「日本酒の入り口にして到達点」とイチオシされた『喜久醉純米大吟醸松下米』の作者2人によるモノづくりの心を、比較文化人類学・民族芸術論の識者である金先生が、斬新な視点で“解体”します。

2人の清々しい姿を映した『吟醸王国しずおか予告パイロット版』も併せて上映します。予告パイロット版の公式上映はこれがひとまず最後となりますので、未見の方はこの機会にぜひご覧ください。

会場は100名収容可能なホールですので、地酒ファンのみならず、農業に関心のある方、モノづくりに関心のある方、さまざまな世界観・職業観に触れたい若い人など多数ご参加くださいませ!

 

 

 

◆会費  1000円

◆申込  しずおか地酒研究会 (鈴木真弓)  msj@quartz.ocn.ne.jp 

*メールで申込みの上、会費は当日会場でお支払いください。


新米三昧!

2008-09-19 22:15:03 | NPO

 今日はお昼にNPO法人活き生きネットワーク理事長の杉本彰子さんを、岡部町のごはん処・ゆとり庵にご案内しました。いただいたのは、森町の究極のコシヒカリ新米。4年前の浜名湖花博の地酒テイスティングサロンで、かの料亭青柳の小山料理長とコラボしたとき、静岡一うまい米を用意してほしいと頼まれ、手を尽くして取り寄せたのが、このコシヒカリでした。新米が出回るひと月足らずで売り切れてしまい、私も実際いただくのは4年ぶり。プロのごはん炊き職人の手によってツヤツヤと炊き上がった新米は、口中でほんのり甘味が広がり、適度な粘り気もあって、おかずや箸休めもまったく要らないほど。彰子さんは2膳、私は3膳、夢中でおかわりしてしまいました。肝炎治療中の彰子さんは「ごはんをおかわりするのは何年ぶりかな」と自身の食欲にビックリしていました。

2008091911550000  

 

 夜は、店頭で売っていた塩むすび3種(静岡産なつしずか、磐田産こしひかり、会津産こしひかり)の食べ比べをし、品種の違い、産地の違いが、塩だけで食べることでさらに顕在化することを実感。おいしく炊けた米は冷めてもうまいことも、よ~く解りました。「米だけでも、これだけ奥が深いんだものね、真弓ちゃんが酒にこだわる気持ちもよく解るわ」と彰子さん。

 

 彰子さんをごはんランチにお誘いしたのは、活き生きネットワークが運営するケアハウス「喜楽庭」で、障害を持つ通所者の方に仕事の機会を与えたいと、かねてからおにぎりかお弁当の製造販売を考えていたから。NPOの収益事業、とりわけ飲食の商売は難しい面も多いようですが、どうせやるなら、働く人々が自信と誇りが持てるようなものを作ってほしい・・・そんな思いからでした。

 

 

 プロが厳選した米を釜で炊き上げるゆとり庵と同じレベルの商売は、もちろん不可能です。それでも「まずは高齢者さんや障害者さんに食べさせてあげたいわ!」とお土産に何パックも買い求める彰子さんを見ていたら、いいモノ、おいしいモノを観て味わって心がはずむ・・・そんな体験が、人が生きていくにはホントに大切だなって思いました。商売につなげるにしても、作り手自身がいいモノの価値を実感して、「自分も作ってみたい、お客さんを喜ばせたい」という気持ちになることが出発点じゃないかと。

 

 

 

 ここ数日、テレビで北京パラリンピックを観ながら、オリンピック以上に感動してウルウルしています。高い目標を目指し、自らの限界に挑む彼らは、健常者と何ら変わりのない一流のアスリートであり、健常者の指導経験のあるコーチが手を抜かず、トコトン指導しています。活き生きでも、挑戦するなら高い目標を持って、ホントにおいしいもの、長続きするものに取り組んでほしいと思います。

2008091916110000

 

 

 

 さて、過去ブログでも紹介したとおり、来週27日(土)から11月3日(月・祝)までの約1ヵ月間、島田市お茶の郷博物館で、松井妙子先生の染色画展が始まります。染色作家生活32年の中から、厳選した40点が再結集。松井先生の分身ともいえるフクロウ、カワセミ、魚などをモチーフに、自然や生き物や故郷への賛歌を温かく謳い上げる作品ばかりです。

 

 

 松井先生は、27日(土)、10月5日(日)、11日(土)、19日(日)、25日(土)、11月2日(日)、3日(月・祝)に会場へいらっしゃる予定です。先生とお話ししながら作品を眺めていると、大袈裟でなく、ホントに心が浄化される思いがします。ぜひ足をお運びください。


他者からのアテンション

2008-09-18 23:06:09 | 地酒

 16日(火)夜は、静岡の酒を卒論に書きたいという静岡大学の学生さんの相談に応じ、篠田酒店ドリプラ店の萩原和子さんも呼んで、ひとしきり熱弁をふるいました。

 17日(水)夜は、酒蔵環境研究会を主宰されている世古一穂さん(金沢大学院教授)の静岡集会に呼ばれ、地域活動を支援する行政関係者と一献くみかわしました。

 18日(木)は、静岡大学の学生主導ゼミ「天晴れ門前塾」の社会人講師5人のうちの一人に呼ばれて県庁で記者会見。夜は東京の観光コーディネーターから地酒についてのレクを頼まれ、県観光協会で打ち合わせ。

 

 

 

 ・・・というわけで、この3日間、なんだかエラそうに人様の前で酒の話をする羽目になり、ばつの悪い時間を過ごしました。人前で話をすることに慣れているカルチャー講座の講師とか、きき酒師の先生とか、それなりの肩書とキャリアがあって人様に語るものを持っている方々ならまだしも、自分はただただ好きで追いかけているテーマを活字や映像で伝えるだけの人間なのに・・・。聞かれることにはつい夢中で答えてしまうのですが、終わってから一人になると、自分は何さまだと自己嫌悪に陥ります。分をわきまえずに出過ぎたことをすると、後でしっぺ返しが来るぞと。

 

 

 

 その一方で、自分より2回りぐらい下の大学生たちが、「地酒の世界って面白い」と目を輝かせて懸命に話を聞く姿には、無条件で心を打たれます。

 映画作りのことが新聞に載ったことで、自分よりはるかに高給取りの公務員さんや新聞記者さんたちが一目置くようになったのも、これまで経験したことのない待遇?かも。

 

 

 

 今、話題のベストセラー・姜尚中さんの『悩む力』の中に、「他者からのアテンション」というキーワードが出てきます。「人はなぜ働かなければならないのか」という問いの答えは、「他者からのアテンション」そして「他者へのアテンション」だと。アテンションとは「“そこにいていい”という承認のまなざし」だと姜さんは言います。

 

 

 

  ずっとフリーランスで働いてきた自分にとっては、自分の存在を他者から認められる、自分の仕事が社会で何らかの意味を持っていると実感できる・・・それはとても重いことです。好きなテーマを自己実現と称して、ただただ夢中で追いかけてきた20~30代とは違い、今は、社会に還元する役割を自覚し、責任を果たすという姿勢で取り組まねば、と実感しました。

 

 

 

 天晴れ門前塾は県内の学生(短大・専門学校生も可)を対象に、11月から3月にかけ、5人の講師がそれぞれのテーマで数回、学外ゼミを行います。講師は私のほか、フリー編集者で茶っ都会代表の大国田鶴子さん、静岡福祉大学非常勤講師で元静岡新聞記者の河合修身さん、静岡観光コンベンション協会の佐野恵子さん、㈱キャリアクリエイトの杉山孝さん。

 

 

 

 私は「酒造り、映画づくりを通してモノづくりの心を学ぶ」というテーマで、試飲会や酒蔵見学、映画撮影見学などを行う予定です。まさか映画づくりに学生を巻き込むことになるとは、自分でも予想していませんでしたが、これは、映画づくりを始めた自分への、社会からのアテンションかもしれない、と直感し、引き受けることにしました。

 

 

 

 学生限定企画ですが、興味のある人は、ぜひ参加してください。初めて飲む日本酒が静岡吟醸ならば、日本酒を一生好きになること、間違いなし!です。

 天晴れ門前塾についての問い合わせ monzenjyuku@yahoo.co.jp

 

 

 


若宮八幡宮千百年祭ラベル

2008-09-15 11:38:54 | 吟醸王国しずおか

 13~14日の2日間、『吟醸王国しずおか』の撮影で、今年1100年目を迎える岡部町の若宮八幡宮大祭(神ころばしと七十五膳)に密着し、初亀の橋本謹嗣社長が氏子として活躍する姿をカメラにおさめました。

Img_3972 

 

 

 1996年12月発行の「静岡アウトドアガイド」(フィールドノート社刊)で、初亀醸造を取材した私は、橋本さんの「地に根がはった仕事がしたい」という言葉に感銘を受けました。

 

 

 

 謹嗣さんの父で4代目・橋本守氏は、岡部町長職で多忙だった3代目を補佐し、若い頃から暮ら仕事に励んだ。東京農大では吟醸造りの指導者として知られる山田正一先生に学び、新潟杜氏松井万穂さんと二人三脚で酒質向上に努めた結果、昭和42年、静岡県清酒鑑評会、名古屋国税局酒類審議会、全国新酒鑑評会の3大コンテストですべて一位という“三冠王”に輝き、それ以降、5年連続全国新酒鑑評会金賞、昭和46年には酒の勲章ともいうべき全国酒類ダイヤモンド賞を獲得した。

 三冠王に輝いた大吟醸は、先生方の勧めで昭和46年、市販に踏み切った。米を半分以上磨き、低温でじっくり発酵させる大吟醸は、香りよくさらりと軽い呑み口。それまで一般に出回っていた日本酒とは、まったく異質なものといっていい。当然、一升瓶にコップ酒というイメージにもそぐわない。そこで初亀大吟醸は、テーブルワイン風に楽しめるよう、500mlサイズで発売された。地酒・吟醸ブームが起こる10年以上も前のことだった。

 昭和52年、それまで勤めていた酒販会社を辞め、実家に戻った謹嗣さんは、正月の地元消防団出初式で振る舞われた酒が、灘ものだったことにショックを受けた。祖父(元岡部町長)、父が町の発展に尽力し、酒造りに信念をかけ、品質では確かな評価を得たというのに、肝心の地元では相変わらず大手有名銘柄が一流扱いされている現実に愕然とする。

 酒販会社にいたときも「灘ものに対抗して地方酒が生き残るには、安い酒を売るしかないよ」と言われ続け、つねに灘ものを基準にされることに抵抗を感じていた。

(中略)

 謹嗣さんは「灘ものより安い酒を造れば酒質が落ちる。地酒はまずいとレッテルを貼られるだけだ」と主張し、一升瓶1万円という純米大吟醸「亀」の発売に踏み切った。

(中略)

 5代目を継いだ謹嗣さんは、三冠王から30年経た今、「地酒の原点に立ち還り、地に根がはった仕事をしたい」と語る。どんな事業も30年がひと区切りといわれるが、数百年連綿と続く酒造業も、実は小さなサイクルで地殻変動が繰り返されているのである。地方銘柄に光が当たるようになった現在、高級酒の質を競い合うよりも、地元の人が晩酌で気軽に飲めるような経済酒の品質向上へと流れている。謹嗣さんがいう“地に根がはった仕事”とは、地元で本当の意味で信頼され、親しまれる酒蔵を目指すということだろう。

 

(以下省略  フォールドノート社刊 静岡アウトドアガイドVol.14(1996年12月11日発行号) 静岡の地酒を楽しむ⑧「初亀」より  文・鈴木真弓)

 

 

 

 

  『吟醸王国しずおか』で初亀を描くとき、私は、このときの橋本さんの信念の言葉をベースにしようと考えました。映像では、地元の伝統行事に参加し、地域の人々に信頼される橋本さんの姿が、それを一番わかりやすく伝えてくれるのではないかと。

 

 

Img_3951_2   

13日10時から始まった本殿式では、若宮八幡宮の創設にかかわった堤中納言家のご子孫、地元豪族・岡部氏、朝比奈氏のご子孫、岡部町長、学校長、氏子総代らに次いで、橋本さんも指名を受け、榊を奉納しました。

 14日の神輿行列では、太鼓を打つ担当です。御殿屋台の上で華麗に打つのかと思ったら、トラックの荷台に乗ってのお披露目(さすがに祇園祭とか高山祭とか浜松まつりクラスのスケールを期待するのは酷だったかも・・・)。

 トラックの上で太Img_3961 鼓を鳴らす橋本さんを、カメラマンの成岡さんがおっかける姿が、なんともほのぼのしてました。

 

 

 Img_3977_2 

 

 12時すぎから始まった神ころばしとは、氏子若衆(泰平衆)がお獅子の御膳、御内膳、お丁屋の御膳を捧げ持ち、広場を練り歩いて転びながら奉納する奇祭です。人間まで菰にくるんで抱えて練り歩き、最後にみんなでひっくり返るんですから、観客も大笑い。

 どこかのアマチュア写真家グループのおじさま・おばさまが、高そうな一眼レフを何台も肩に下げて、前列を占領し、氏子衆にポーズをとらせる様子に、某紙の記者が「神事なんだから“作り写真”を撮るのはやめなさいよ」と怒っていたのが印象的でした。

 

 Img_3978

 七十五膳というのは、神前に75種類の食材をお供えする儀式。食材を手渡しリレーする氏子や舞姫たちは榊の葉を口にくわえています。神様のお供え物には手を出しません、という意思表示にも見えました。

 

 

 

 汗だくで撮影を終えたあと、橋本さんにインタビュー。「いやぁ、僕は神ころばしで転んだことがないんで(苦笑)…」と、多くは語りませんでしたが、今は地域になくてはならない酒蔵となった自信と責任のようなものが、全身から伝わってきました。

 

 2008091510050000

  

 

 岡部町は来年、藤枝市と合併します。1100年目のお祭りが、町としては最後のお祭りです。

 橋本さんにお土産にいただいた初亀純米(誉富士100%)若宮八幡宮ボトル。小さな地殻変動を繰り返しながら、変わりゆく地域の中で、地に足をつけて生きることの難しさとその価値を、再確認した撮影でした。


最初の一歩と継続

2008-09-12 18:38:39 | 社会・経済

 この3日間で何文字打ったんだろう・・・数えるのも恐ろしくなるぐらい原稿書きに没頭しました。またまた首が回らなくなりつつ、どこか心地よい疲れ。仕上げた2本の原稿は、いずれもインタビューや対談の書き起こしですが、内容が琴線に触れるものばかりだったからです。

 

 

 

 

 偉業を成し得た人の生の言葉を、間近に聞いて、それをいち早く文字にできる幸せ。自分で書きながら瞬時に読者になって、その人の一代記を読破するような感覚です。ライターという仕事に就けた幸運をしみじみ感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1本目の原稿は、北陸のとある繊維会社社長の1時間半にわたるインタビューテープの書き起こしです。文字にして12千字ほど。先月、『吟醸王国しずおか』の撮影で、能登半島に行って来たばかりなので、能登という言葉に親近感を覚えました。その社長さんの、「北陸の人間は粘り強いんだ」という台詞も、波瀬正吉さんと奥さんの姿に重なってきます。恥ずかしながら、能登が繊維産業のメッカだってこと、このテープを聞いて初めて知りました。考えてみれば加賀友禅のお膝元ですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 かつて地域を支える基幹産業だった繊維業も、海外からの安価な繊維に圧され、斜陽となり、後継者も激減。この社長さんは、織機の部品改良に力を注ぎ、糸を巻きつけるときに摩耗する部分に特殊なコーティングをして部品交換の頻度を飛躍的に減らすなど、地道な改革を推し進めました。

 

 

 

 

  

 

 コーティング技術の開発で知り合った大手電機メーカーと人脈を築き、やがて、極細糸のような金属線を編み込む技術が、そのメーカーの宇宙衛星機器の開発というビッグプロジェクトに採用。さらに軽くて高機能のスポーツウエア生地の開発にも成功。本業の白生地は、イタリアにも商圏を広げるなど、斜陽産業といわれた業界で次々に画期的な事業を成功させました。

 

 

 

 

 この社長さんの、一番印象に残った言葉です。

 

 

「最初の一歩を踏み出すまでの距離はとてつもなく長いが、やってみて、成功か失敗かがわかるまではとても短い。思い切ってやってみて、失敗しても、その経験を引き出しに置いておけば、その積み重ねが次の成功につながる。成功はつねにすぐ側にある。最初の一歩を踏み出さない人は、距離が遠いから何もできないし、引き出しにも何もたまらない」

 

 

  

 

 私も40代半ばにして、映画づくりという夢に挑戦するとき、最初の一歩を踏み出すまで、途方もない苦労を経験しました。撮影に入るまで、時間にしたら、わずか7ヶ月ですが、何年にも感じられるほど長かった。でも、先日のパイロット版上映会で感想をもらい、ある程度の手応えを得るまでの8ヶ月は、実に短く感じました。厳しい意見も、ちゃんと引出しに入った。

 一歩を踏み出した者だけが得るものがある!と心から思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2本目の原稿は、県広報誌MYしずおかの知事対談。昨日(11日)、東京のホテルニューオータニまで行って、石川知事と、静岡国際オペラコンクール第1回最高位受賞の大岩千穂さんの対談を取材しました。

 

 

 大岩さんは、10代の悩み多き頃、第9のコンサートで素晴らしいソプラノと出会い、「もらった感動はお返ししなきゃ」と即座に歌手になることを決断。声楽家修業は楽ではなく、「プロになれても、なり続けることは難しい」ことを何度も実感させられたそうですが、

 

 

 

 

  

 「続けているからこそ、感動を返せることができる。自分がそうだったように、喉が渇いている人・何かを欲している人に必ず届く。1000人2000人の観客のうち、一人でもそういう人がいれば本望。とにかく続けることが大切」

 

 

 と万感の表情で語っていました。芸術文化の世界でプロとして生き続けることの難しさを、何人かのアーティストとの出会いを通してそれなりに理解しているつもりなので、この言葉はジーンときました。

  

 

 

  自分は、アーティストと呼べるほど創造性のある活動はしていませんが、せめて、自分が書くもの、撮るものが、心の乾いた人に何かを届けられたら、と、心から思います。

 この2本の原稿からもらった感動も、ちゃんとお返ししなければ。