ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

四百年に一度!?

2010年12月21日 | ひとりごと
なんて言われたら、ちょっと無理してでも見たくなるやん。
今夜は皆既月食。夜中の2時40分ぐらいから始まり、それから1時間あまり続くらしい。
皆既月食自体は珍しいことではないけれど、1638年以来372年ぶりに冬至に起きる月食らしく、スピリット的にかなりのパワーがあるのやそうな。ようわからんけど……。

なもんで、今、迷いに迷っているところ。
旦那も珍しく迷っていたけれど、そこはやっぱり旦那、いつものお眠の時間がきたらサッサと寝室に。
「もしも偶然に、その時間帯に起きたら起こしたるわ」、などと言ってたけれど、そういう時に限って朝まで完睡、ということになりそうで期待薄やし……。

外では北風がひゅうひゅう言うて吹き荒れてる。
こんだけ風が強かったら、きっと雲もぶっ飛ばされて、お月さんくっきり見えるやろなあ……。

う~ん……どないしよう……ちょっと最近風邪のようなそうでないような、なんとなく100%では無いって感じがしてるしなあ……。
あと2時間……う~ん……どないしよう……。



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我が家の初めてのクリスマスツリー!

2010年12月19日 | お家狂想曲
Merry Christmas←って……まだやし……

我が家での初めてのクリスマスが近づいてまいりました。
パソコンのラジオ局からは、クリスマスソングが次から次へと流れております。
旦那とふたり、ワインをちびちびやりながら、ツリーの飾り付けをしました。
とりあえず、一昨年までに使っていた物を飾り付けての完成です。



いやあ、うちのはいつも地味なんですが、今回、木がばかデカかっただけに、いつにも増して地味さが際立っております。
飾り玉もあんまりたくさんありません。ポツポツと集めているので、まあ、あと何年かするとまた、もうちょっとマシになるのではないかと。

ウィーンのクリスマス市で買いました。


ガレージセールでセットで買った手作りオーナメントの中のひとつ。他のもとても絵が可愛いです。


元生徒達からの贈り物。


そしてこれが旦那の手作り、名付けて『鍼灸師魂玉』気合い入ってます!


まあ、今年はこれでいっときましょか。

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クリスマスツリーをつれて来た!

2010年12月19日 | お家狂想曲
今日はクリスマス前最後の週末。今年のクリスマスには、なにがなんでもクリスマスツリーを飾らにゃ~いけん我が家。
どうしてかというと、今年のクリスマスはなんと、うちでやることになったからなのでした!ぎょえぇ~!

去年は渡米10周年という記念すべき年だったのに、引っ越し疲れがまだ尾を引いていて、なぁ~んも準備無し、ツリーも無し、という寂しいクリスマスになってしまい、やっぱなんぼ疲れててもちょっとはしよな、と旦那と誓い合ったのだけど、まさかホスト役をすることになるとは……。

ということで、まずはクリスマスイヴディナーの食材を買うべくホールフーズへ。
でも、へへへ、わたしは勝手に自分の好きなん買ったり、おもしろそうな売り場を写真に撮ったり、全くの役立たず。
あったあった!葉っぱ付きのみかぁ~んSatsuma(さつま)!しかもセールで1パウンド1ドル49セントやし!


ザクロもてんこ盛り。けど、ここのん高過ぎるし。1個3ドルもするし。なのであきらめました。


真ん中はおなじみのペッパー。右側の真っ黒のんがちょっと変わってて、それを撮りたかったのに……手元が狂いました。


お店の自家製ピーナッツバターとアーモンドバター。彼女は今、オーガニックのピーナッツバターをにゅるにゅると作ってもらっています。(←色的にちょっとヤバい……とつい思ってしまうわたしって……変?)


いろんなお米。


いろんなお豆。


いろんなレンズ豆。


なんてウロウロ回ってわたしがカゴに入れた物は……アーモンドチョコレート(いつもは3ドル50セントもするのに、今日はセールでふたつで5ドルだった♪)と、胡麻煎餅と、みかんと椎茸。すまん……旦那……。


同じ敷地内にある、どれでも一律29ドル99セントのクリスマスツリーのお店。


店といっても野外ですが、カナダから運ばれてきた木がぎっしり並べられています。


ネットで縮まっているので、それをまず外してもらい、だいたいの感じと木の高さを見て選び、水上げを良くするために幹の先端をカットしてもらいます。


そして家まで運び易いようにまたネットを被せてもらい、


車の天井にくくり付けて運びます。


ようこんなんひとりで運んだなあ~あの兄ちゃん……というぐらいの重さとデカさ……。
やっとのことでツリーホルダーに差し込み、まずは真っすぐに立っているかどうかを点検。


ネットを取って葉がすっかり広がるのを待ち、それから飾り付けをします。


もうこの時点で、部屋中、うんにゃ!家中、三階の恭平の部屋まで、もみの木のカホリが充満しています。
人間のわたしでもちょっと酔いそうなのに、この方、大丈夫でしょうか……。


毎回、クリスマスツリーがやって来ると、非常~に混乱してしまうショーティ。まあ、あんたのプレゼントもこの木の根元に置いたるさかい、ちょっとの間、がまんしなはれ


追伸。
それにしても、ものすごい水飲みさんです。
そりゃまあ、カナダから切り取られてここまで運ばれてお店に並び、うちに来るまでまったく何も飲ませてもらってなかったのだから、当然なんですが……。
さっきから1リットルずつ、1時間毎に足していますが、ほとんどスッカラカンになってしまいます。
「よほど喉が渇いててんなあ、可哀想に」と言いながら水を入れていると、
「木には喉あれへんし」とブツブツ言う旦那。
わかってるわい
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たんじょうびおめでとう!

2010年12月18日 | 家族とわたし
今から24年前、この世に生まれてきた息子。
初めてのお産だったので、みんなこんなんだろうかと思って我慢したが、それは世にも珍しい大難産だった。
今の時代だったら思いっきり裁判沙汰になっていたかもしれない規模の。

生まれた瞬間の喜びも、初乳がにじみ出てくる乳首の熱さも、全く持てないまま二週間が過ぎ、
両手に差し込まれた5本の点滴チューブを外してもらってやっと、抱っこすることができた我が子拓人。


鉛筆を持ち始めるとすぐに、幅1ミリにも満たない複雑な迷路を描き始め、広告の裏の端っこから始まったそれはどんどん広がっていき、紙一杯になるまでコツコツ、まるで国土地理院に勤める熟練の地図書き担当者のような真剣さでもって、長い時間描き続けていた。


彼の人生は母親の選択でもって嵐や渦やなんかがてんこ盛りの大変なものになったが、
持ち前の我慢強さと後ろ向きにならない能天気さで、親のわたしが言うのもなんだが、なかなか見事に乗り越えていった。

この世に生まれてきてくれてありがとう!
わたしの息子になってくれてありがとう!

24才の誕生日、おめでとう!

早よお腹治しや。
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つぶやき猫

2010年12月18日 | 家族とわたし
あたしの情熱の直球まつげ。

毛の色とちゃ~んと合わせて、右っかわが薄茶、左っかわが白。おしゃれでしょ?


かあちゃん、うらやましいねんて。うふふ。


 
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息子の病気

2010年12月17日 | 家族とわたし
拓人のお腹の調子が悪いらしい。
水曜日の夜から始まったそれは、今日金曜日の夜になっても続いていて、吐き気と腹痛、それから微熱でかなり弱っている。

明日の土曜日は彼の24回目の誕生日。
去年のそれは、やっとこさ迎えた卒業式をヴァージニア州で終え、意気揚々と家に戻ろうとしたら大雪の嵐。
それで高速道路の上で家族四人一緒に閉じ込められ、とっても濃密なファミリータイムを過ごした。
水も食べ物も無く、おしっこさえもできないままの12時間だった。

そして今年。お腹に菌が入ったらしい……気の毒過ぎる……。

明日はACMAのディレクターミーティングがあるので、せっかくの誕生日だし、なにか祝えるかしらんと思ったわたしは彼と連絡を取ろうとチャットを何回も覗いた。
けれどもめっちゃ珍しくずうっとAWAY。おかしいなあ……どないしたんやろ……と思っているところに旦那が仕事から戻ってきて、
「拓人、まだあかんみたい」
「は?」
なんのこっちゃ?

なんと、旦那は拓人と今日だけで3回もチャットで話していて、しかも拓人から話しかけてきたと自慢気。
「チャットの履歴を読みたい?」と聞かれ、「もちろん」と読み始めると……思いっきりの健康相談やんけ……。

今までにも、どんなに困っていても、旦那が「鍼打ったらだいぶ楽になるで」と治療を勧めると、「まあええわ」と断ってばかりだった拓人。
彼が親知らずをいっぺんに4本、全身麻酔で抜いた時、その中の1本の根っこが変な方向に伸びていて、歯茎を大きく切開したりしたものだから、帰りの車の中で大量の出血が続き、2時間経っても勢いが止まらなかった。
困り果てて仕事中の旦那に電話をかけると、「足の親指の爪の付け根、外側を強く刺激して!」と一言。
それで一瞬にして止まったりしたものだから、もちろん内心では父親の知識と経験を信じてはいる。

ま、えっか。確かにわたしは役に立てない。
できることといえば、梅干し入りの番茶とお粥を食べさせるぐらい。そんなん、わたしでなくてもできることやもんね。
早よ良くなりや。今晩は特に気合い入れてお祈りしとくわ。

明日は明日の風が吹く。できたらその風で風邪を吹き飛ばしてもらい。
ミーティングが終わってからまた電話かけるわ。その時の調子次第で、ビルとちょっくらお見舞いに行くかもしれへんし。
ビルも、「仕事道具一式持って行こ」言うてるし。
今回は観念して、鍼打ってもらい。誕生日祝いや
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ちっちゃな質問

2010年12月16日 | ひとりごと
今日も最高気温が零下。なかなか根性の要る寒さが続いております。

うちには車が三台。すべて親からのお下がり。しかもご高齢。
だからからか、ひっきりなしに故障したり、なぜだか頻繁にパンクしたり。
一番安定してるのは、一番年上21歳の日産のご老公。
あとの二台は似たり寄ったり。ベルトやギアなど、あちこちが摩耗してきて、新車を買ってローンを払っている方が安いんちゃうか?と思うほどの勢いでもって、修理の支払いをしています。
なかなかすっきりと、皆が元気で心配事も無く走ってくれるっていう状況にならないんですよねえ……はぁ~……

こちら、こういう寒さになると、ひたすらヒーターなお嬢。
びったりくっつけてあるのに、さらににじり寄って、見つめ合っております。

 
その現場を写真に撮っていると、にゃによっ!邪魔すんにゃっ!とご機嫌斜め。寝子の寝たふり。



さてここでちっちゃな質問です。
ボールペンのインクの出を確かめたりする時、広告の裏とかメモ用紙の端っこにちょいと字を書きますよね。
そんな時、なにを書いてますか?
わたしの場合、どうしてだか、旧姓の『森山』を無意識に書いていて、その書いたのを見るたんびに、なぜじゃ?!と自分で自分に聞いてるわけです。
で、他の人はどうなのかなあ……とふと思ったのでした。
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米国わたしの掃除機事情

2010年12月15日 | 米国○○事情
埃アレルギー持ちのわたしは、掃除機にチトうるさい。
自分の問題だけならまだしも、生まれてきた息子達も埃アレルギー持ちだとわかってからは、掃除機の排気にかなりこだわりだした。
その頃教えていた楽器店のある店員が、店の運営の一環だかなんだか、そこのところは全く覚えていないのだけれど、いきなり掃除機の通信販売を始めた。
当時、出産を控えている講師がちらほらといて、特にその、初めての出産でワクワクどきどきな新米妊婦の家庭に重点を置いて回っていたように思う。
わたしはその新米妊婦の中のひとりだった。

最初に、その店員が入ってきて、えっちらほっちらと運んできたその掃除機を見た時、「なんじゃこりゃ!」という言葉がスルッと出てきた。

飛行機を作っている会社が製造した物で、まさにミニチュア飛行機とも言える、飛行機と同様の強度を誇る本体です。
吸い込んだ埃やゴミは、このフィルターと次のフィルターを通り、最終的にこの、特殊な繊維で作られている布袋の中の紙袋に入り、一度入ったものが排気口から逆流することはありません。限りなく100%に近く清浄された空気のみが部屋の中に戻ります。
この吸引力、すごいでしょう~。(近くで会話していてもよく聞き取れないほどの爆音がした)

確かにとんでもなく強い吸引力だった。
掃除機本体はとんでもなく重かったけれど、丸くて滑らかなゴロゴロキャスターの足回りはとても良く、どういう角度にもスムーズに動いてくれた。
ホースが長くて柔軟だったので、あちこち細かい隅なども徹底的に吸い取ることができた。
そしてなにより、コードが異様に長かったので、一度プラグに差し込むと、ほとんどの部屋がそのままで掃除できた。
布団のダニや見えないぐらいの小さな埃も、すっきり吸い取った。
布団用のノズルもすごく使い勝手が良かったし、他のノズルも皆、それぞれに良くできていた。

でも値段が……その当時、1986年の当時で、25万円だった……。
そんなお金を掃除機に使うなっ!って話なんだが、その時はもう、赤ん坊のためならえんや~こら♪だったので、ついサインをしてしまった。

値段と重さとうるささ以外はもう、それはそれは気に入っていて、日本からこちらに来る時ももちろん、その掃除機も一緒だった。
もともと米国製だったので、掃除機にとっては里帰り。
こちらではなんとなく、前よりもっと自然な感じがした。
が……如何せん、日本とアメリカでは電圧が違った……。
知っていたけれど、ちゃんと使えていたので、ついつい大丈夫だと過信してしまった。
突如、コードの根元の辺りから白い煙が出てきたある日、それっきりその、25万円の飛行機掃除機は動かなくなってしまった。
三代に渡って使っていただけます、なんていうキャッチフレーズが、その煙とともにヘラヘラと笑いながら天井に消えて行った。

アメリカが、電化製品の質のいい加減さと悪さを誇る国だなんて露とも知らなかったわたしは、何台かの掃除機を買っては腹を立て、蹴飛ばしたり罵声を浴びせたりした。
それならばと、日本の会社の物を買っても、それがアメリカで売られているとなぜか、とんでもなくうるさいだけで全く埃を吸わない駄掃除機に成り果てる。
なぜっ!?
そこでとうとう精魂尽き果てたわたしは、ヨーロッパものを探し始めた。
で……ミーレ。
日本に居る時からこの名前はよく聞いていた。
自社の製品の性能と質にとことんこだわり続けているドイツの会社だと。

今、うちでは、本体が真っ白なミーレの掃除機が働いてくれている。
音が静かなのにとてもよく吸い込んでくれる。小回りも良く、ホースの根元が360度ぐるりと回るのも使い勝手が良い。
5万円もした(買う時かなり苦しんだ)けれど、掃除機をかけるたびに血圧がドカンと上がったあの不快感が無くなったことを思えば、全く文句は無い。

そしてこの掃除機もアレルギー用にいろんな工夫が施されていて、それはとてもありがたいのだけど、この9層特殊フィルター構造のダストバッグ、高度なろ過性能ってのはわかるけど、いっぱいになって捨てる時、なんだかとっても悪い事をしている気分になってしまう。


値段も高いので、そうやすやすと交換したくない。
だからもう、パッツパツにはちきれそうになるまでゴミをためて、お願いだからわたしをここから出してぇ~と悲鳴を上げる寸前、いや、もう上げているかもしれない……に捨てることにしている。一度なんて、引っ張り出すのに数十分かかったことも……あった……。

なのになのに……まだあと数回は余裕だな……と思っていたのに……、
カメムシの赤ちゃんを、旦那の漢方の錠剤だと勘違いして、うっかり吸い込んでしまった、らしい……
一瞬にして、辺りはカメムシのカホリでいっぱい!いくらミーレでも、カメムシのカホリは除去できないのだった……
残念ながら、このちっちゃな赤い蓋の向こうに居る埃まみれでパニクっているカメムシを、指でつまみ出す勇気も無く、泣く泣く新しいバッグと取り替えた


はい、これでよし。 


今日も最高最低ともに零下の、とっても寒い日。カメムシだって避難したいよな、暖かい部屋に。
でもね、お願いだから、わたしが掃除機をかける時に、床を歩いたりしないでね



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米国デンショク事情

2010年12月14日 | 米国○○事情
最高気温が-4℃、最低気温が-9℃。もうめちゃくちゃ寒い。

最後の生徒、トムの家のお向かえに、有名な電飾坊やの家がある。
彼はまだ小学生なのに、毎週ごとにコツコツと、自分でデザインした電飾を増やし続ける。
トムとわたしは、それを家の中から眺めながら、
「電気代、大変だろうなあ……」
「けれども、あの創作意欲を尊重したいしね、親なら……」
などとボソボソとつぶやく。


雪だるまを正面から。


よっしゃ、せっかくカメラが車にあったことだし、うちの近所の電飾も撮っておこう。
そう思いつき、いそいそと走っていたら、
ピカッピカップウップウップウゥ~
なんでやねぇ~ん

ド派手なライトとスポットライトをさんさんと浴びながら待っていると、おまわりさんがやって来た。
「車の保険証と登録証明書、それから運転免許証出して」
「あのぉ~、わたしがなにをしたんでしょか?」
などと聞きながら、実は運転しながらカメラをいじくってたし、車の右のブレーキランプがつかないままだし、そのどちらかがひっかかったのかと推測していた。
「君ね、こんな寒い晩に、ハーイ、今晩は!なんて挨拶をしに来ると思う?」
「いや、そんな物好きな人はいないと思う」
「そうだよね。あのね、君ね、そこの角を右折する時、一旦停止しなかったでしょ。しかもスピードも落とさなかったし」
「えぇ~!!マジで?ほんとにわたしがそんなことした?ほんとに?そんなの絶対信じられない!いくらなんでもスピードは落としたはず……」
「君が信じられなくても今ボクの目の前でやったんだから」
「いや、それでも信じられない……」
「まあ、いいからカードを全部渡して、待ってて」

捕まった道は、一旦停止を見張っているパトカーの台数が半端じゃないので有名なのだった。
わたしがその直前に走っていた道は、長い長い下り坂になっていて、そこで捕まっている車を今までにもたくさん見ていた。
わたしもそれは重々知っていて、その通りに入る時はいつもきちんと車を停めていた。
けれども……きっと写真のことばっか考えていて、おまけに気が急いでいて、おまけに真っ暗で……ちゃんと停まらなかった珍しい夜に、ふふん、捕まる時ってそういうもんだよね、このおバカ、と自分で自分を叱ってみる。

アメリカのパトカーの電飾の派手さはきっと、他のどこの国にも負けないだろう。
ほんとに目に眩しいので、見ているのが嫌になってきて、頭をハンドルの上に乗せ、好きな歌を歌いながら待っていた。

コンコン!のろのろと姿勢を戻し、窓を開けた。
「ちょっと君、大丈夫?」
「あ、はい」
「ほんとに大丈夫?気分でも悪いの?」
(いや、こんな時気分がええ人いまっか?だいいちあんたらの車の電飾、下品なぐらい派手で眩しいねん!)……などとは言えないので、黙っていた。
「あのね、今君の履歴を調べてたんだけどね、ちっちゃな違反をしたのが6年前に1回。それ以降は安全運転してるみたいだし、だから今回は警告ってことにするよ」
「そうっすか。ありがとうございます」
「ほんとに大丈夫?」
「あの、ひとつだけ言っときたいんですけど……」
「なに?」
「わたし、一旦停止をちゃんと停まらないなんてこと、ほんと、無かったんですよね」(←警告だけで気が大きくなり、ちょびっと言いたい放題……ガハハ!)
「なるほど」
「ほんとにいっつも気をつけてたんですよね」
「まあ、そうだったんだろうけど、ふとやっちゃう時ってあって、そういう時にガチャンとぶつかったりしたら困るでしょ。だから、これからはもっともっと気をつけてっていう意味で、今回警告ね。わかった?」
「はあ……」
「家まで帰れるよね」
「まあ……」
「じゃ、いい夜を過ごしてね!」
「ども……」
よくよく見ると、いつの間にかもうあと1台、パトカーが来ていた。わたしが逃走するとでも思ったか?

ま、いいや、とにかくよかった……今日稼いだ分がふいにならなくて……。








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米国バッテリーのかみさま事情

2010年12月13日 | 米国○○事情
しつっこい生理でかなり怠いけど、だからといって仕事を休むわけにはいかないので、雪が降り始めている外に出た。

エンジンをかけるとなにやら鈍~い音。でもまあ、こんだけ寒いもんなあ~と思いながらシートベルトを装着。
ガソリン無いし……
誰やねんっ最後にこの車に乗ったんはっ

まあええわ、とにかく今はエリックの工場に行くことが先決。
ついこのあいだ、後ろのタイヤを新しく交換したところのお局アウディ、工場から戻ってきた日から、なにやら妙~なブィ~ン音が鳴り出した。
時速40キロまでならそれほど気にならないが、60キロを超えるとうるさいぐらい。
気がついてすぐに旦那に言うと、「タイヤが新しいからとちゃうの?」と、またまた希望的刹那的なことを言う。
走るたんびに「やっぱりおかしいって」と言っても、「別にそんなたいしたこととちゃうと思う」と向こうもしつこい。

数週間がこんな調子で過ぎ、わたしはいい加減イヤになってきたので、「よほど近場でない限りこの車には乗らない!」と宣言した。
ようやく旦那も楽観論を並べることをやめ、じゃあちょっとエリックに見てもらおうやないのと運んで行くと、
「後ろのタイヤのボールベアリングがかなりやられてる。交換は高いよ」……マジで高つくし、お局さん……。
で、三日にいっぺん空気を入れんとへこんでくる、新しいはずのタイヤは?
「ああ、ホイールが欠けてるわ」……号泣してもええよね、ええよね?!
修理をしてもらって戻ってきた次の日に、あらら?左のヘッドライトつかへんし……。
ということで、今夜、片目で町中を走るわけにはいかないので、とりあえずエリックの工場に行き、ヘッドライトの交換をしてもらってから仕事に行くことにした。

交換はものの数分で済み、これなら生徒の家に行く前にガソリンを入れられると判断。いつもの、狭いけれども町で一番安いガソリンスタンドに行く。
現金払いにするとカードよりも10セント安くなるので、もちろん現金。けれども慌てて家を出たので、財布の中には17ドルしか入っていなかった。
「ごめん、半端な数字やけど、17ドル分だけ入れて」
それでもまあタンク半分ぐらいは入り、さあ出発!
グイ……ブイン、プスッ……。
そんなまさかぁ~

その、まさかぁ~なのであった。

どないもこないもエンジンがかからず、店員は、さっさと車をどけろとばかりに睨んでくる。
「あんな、わたしかてこんなとこで停まってんと動かしたい気持ちは山々なんやけどな、エンジンがかからへんねんからしゃあないやん」
「まずブレーキを踏んで、パーキングにして」
あのなあ、わたしは運転歴30年以上のベテランなんやで!
「そやし、やることは全部やってんけど、それでもエンジンがかからんのやって!」
「バッテリーじゃないの?」
あ……。そうかも……。
「あのさあ、どうでもいいけどさあ、お宅の車、思いっきり商売の邪魔してるんだけど……」
もちろんそれもわかってるよ。だからなんとか早急に動かしたいと思てるんやん!仕事にも遅れたくないし。
「バッテリーの可能性が大やから、ジャンプスタートしてもらえたらありがたいんやけど」
「それならそこの修理工場で働いてる誰かに頼んだら?」
「わかった」

店の敷地内にある工場に飛び込んで事情を話すと、お易い御用だと、ジャンプスタートのケーブルを持って出て来てくれた兄ちゃん。あんがとぉ~!
瞬間でバッテリーは回復。さて……お礼は?
「ああ、ほんのチップ程度でいいよ」
「それが……その……現金は一銭も無くて……さっきガソリンに全部使てしもてて……」
「はあ?……」
なんとなく信じてもらえてない感じが強~くしたので、財布の中を見せたのだけど、それでもなんとかせぇ~よと言いた気な兄ちゃん、ムッとした顔して立っている。
「ごめん!今日はお礼を言うだけしかできませんねん。ほんまにごめんなさい!ありがとう!おおきに!」
どうしようもないので、それだけ言って車の中へ。
やっと呆れ顔の兄ちゃんも諦めてくれた。

で、生徒の家に着いたのがそれから5分後。レッスンの時間をすでに10分遅れている。
「いっぺん切れたバッテリーはね、せめて30分は走らないと再充電がちゃんとできないから、車を止めたらアウトだよ」
などと言われたけど、この世知辛い時に、通りにエンジンをかけたままの車を放っとけるわけがない。
ど~しよう……。またエンジンかからなかったら仕事をキャンセルしないといけなくなるし、だからといって車自体を盗られた日にゃ~元も子も無いし。

悩みに悩んだ末、きっとエンジンはまたかかる。に賭けることにした。

その家の、三姉妹のレッスンが終わり、それからはとりあえずどの家もスムーズに行くことができたけれど、車を止めるたびに神さんにお願いした。
「今月はそれでのうてもホリデイシーズンで仕事が少ないんです。神さん、無事に年末年始を過ごせるよう、守っておくれやっしゃ~!」

車がないと、冗談抜きでどこにも行けないここアメリカの郊外。
普段の点検をもっとしっかりしようと、自分で自分を戒めた貧血気味の今日のわたしだった。


追記。

昨晩眠る前、いつものように、今日もいろいろあったけれど、結局は無事に一日を終えさせてもらったお礼を言っていた時、ハッと気がついた。
あの場所でバッテリーが切れたことは、わたしにとってどんなに幸運だったのかということに。
あれが、生徒の家の前の通りだったらどうだったろう。
親もおらず、お手伝いさんだけで、しかも英語があまり通じない人達ばかりなのだ。
守ってもらったことを強く感じ、あらためて心からお礼を言った。

タイトルを変更した。
ししははちゃんの言葉がピッタリだと思ったので、拝借した。ありがとうししははちゃん!
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