北東北の五芒星

2010-08-29 08:48:26 | レイライン・パワースポット・龍神・古代
続き

上記写真は「レイラインハンター 日本の地霊を探訪する/内田一成・著」著書
から抜粋した青森県十和田湖付近の地図ですが、三角型のレイラインを写真図のように表しています。

三角のレイラインを結ぶ地名はそれぞれ

1 三内丸山遺跡(青森市)
2 大石神ピラミッド(新郷村)
3 大湯ストーンサークル(秋田県鹿角市)
4 十和田湖
です。

2の大石神ピラミッドのすぐ近くには「キリストの墓」もあります。

この著者の言う三角型のレイラインの真ん中に十和田湖が位置し、東北の覇者アテルイの聖地十和田湖を封じ込める為に桓武天皇及び坂上田村麻呂が仕掛けたと著者は述べています。


が、私の考えたレイラインは、この青森県地図に記した五芒星になるのでは…?
と考えました。でも正五角形ではないですが(^_^;)

1 靄(もや)山(五所川原市)
2 諏訪神社(六ヶ所村)
3 雲谷(もや)山(青森市)
4 十和田湖
5 母谷山(秋田県八峰町)
6 靄山(岩手県軽米町)
7 大日霊貴神社(秋田県鹿角市)

4の十和田湖を真ん中に挟み、6つの地を結んでみました。

ポイントは「もや山」です。

北東北には「もや山」がいくつか存在します。
写真で挙げた他にも、5から6のライン上に「もや山」は3つあります。
一体、もや山は何を指し示しているのでしょうか?
謎です。

続く

十和田湖と坂上田村麻呂

2010-08-26 07:36:37 | レイライン・パワースポット・龍神・古代

(上記写真は十和田神社)

「レイラインハンター 日本の地霊を探訪する/内田一成・著」から

――以下抜粋――

◆坂上田村麻呂の戦術

8世紀全般に渡り、西から勢力を伸張してきた大和朝廷が東国支配を目論み、蝦夷の天地にしばしば侵攻する。

ところが、蝦夷の抵抗は激しく、送り込まれた朝廷の軍勢はことごとく敗走することになる。
三内丸山から延々と続いてきた蝦夷の平和がそのまま続くかに見えた。

ところが9世紀に入り、朝廷は最後の切り札として、武運の誉れ高い坂上田村麻呂を征夷大将軍に起用する。
すると長年抵抗を続けてきた蝦夷は、田村麻呂の前に呆気なく平定されてしまう。

田村麻呂を起用したのは桓武天皇だった。
桓武天皇は平安京遷都にあたって風水や陰陽道を駆使し、自らが死に追いやった実弟の早良親王の怨霊を封じたことでも知られるが、唐様の習俗や文化を積極的に取り入れて呪術政治を行った。

その桓武天皇の腹心であった田村麻呂は、当然陰陽道にも精通していた。

ただし武人である彼は桓武天皇のように徹底した陰陽師であった訳ではなく、実際的な力である武力と霊的或いは心理的な力と言える陰陽道とを上手く使い分ける巧みな戦略家だった。

三内丸山の縄文精神を受け継ぐ蝦夷達は、人間と土地の結びつきを重要視していた。
限りない恵みを与えてくれる大地に感謝し、その大地と対話出来る場所を聖地として祀っていた。

その蝦夷の聖地に楔を打ち込んで、これを機能させなくすることでまず精神的なダメージを与え、それで骨抜きになった蝦夷に対して武力攻撃で止めを刺すのが、田村麻呂の戦略だった。

三内丸山遺跡(青森市)を起点に大規模な大湯ストーンサークル(秋田県鹿角市)と、

上大石神ピラミッド(新郷村)を結ぶと見事な三角形が出来上がり、

その三角形の中には十和田湖がすっぽりと収まっているのだ。

強大な水神が眠る湖として太古から信仰の対象とされてきた十和田湖は、巨石遺構を結ぶレイラインに囲まれると同時に、岸辺にも巨石遺構が残っている。

風水や陰陽道では、幾筋もの龍脈(大地の気が流れるルート)を流れてきた気が龍穴というポイントで集中すると言われる。
龍穴は池や湖であることが多いが、それは水が気を溜めて更に増幅するコンデンサの役割を果たすとされるからだ。

そして龍穴に漲った気は、龍=水神に象徴される。太古の巨石信仰を受け継ぐ蝦夷にとって十和田湖は、当然この上ない聖地であった。


この十和田湖の中に突き出た中山半島の根元に十和田神社がある。
(十和利山頂上から見た十和田湖。去年の6月の写真です)


この神社は坂上田村麻呂によって創建された。
ここは蝦夷にとっては、強大な気が集中する巨大龍穴であり、最重要とも言える聖地だった。

田村麻呂が朝廷から東征の任を受ける前、この地を本拠とする蝦夷は、アテルイというアラハバキ神を奉じるシャーマニスティックな指導者に率いられ、強大な勢力を誇っていた。

田村麻呂は、ピンポイントで十和田湖を攻略し、ここに神社を創建するという正に蝦夷の聖域中の聖域に楔を打ち込んだ訳だ。

それまで威勢を駆って都にまで攻め入ろうという程だったアテルイ軍は、坂上田村麻呂が率いる軍勢に対して、突然劣勢となり、各地で敗退し、ついには総崩れとなってしまい、アテルイは田村麻呂に捕らえられ、打ち首となる。

そんな田村麻呂のアテルイ軍の士気を阻喪させる心霊戦、心理戦に蝦夷は屈したと言えるのではないだろうか。


蝦夷は太古から縄文そして中世へと脈々と受け継がれてきた巨石信仰=アラハバキ信仰に由来し、それと結びつくアラハバキは天空神であり漂泊神とされる。

天の力と大地の力の両方に通じた神であり、巨石信仰の場所に降臨し、レイラインを伝わって移動して行く。

そしてアテルイにアラハバキが憑依して絶大な指導力と運を手にしたように、ある瞬間にその場にいる人間にとてつもない力をもたらす。

確かに坂上田村麻呂によって一つの重要なレイラインは封じられたが、北東北の巨石信仰レイラインのチャンネルはそれだけではなかった。



十和田湖子ノ口


レイラインとは

2010-08-24 15:54:33 | レイライン・パワースポット・龍神・古代
いつも通っている道の中に、その道を車で走っているだけで、なぜか気持ちがワクワクしたり、嬉しい気持ちになったり、元気が出たりする道ってないでしょうか

私はあります。
方角的に北西~東南に位置する道路ですが時々通るこの道は、私にとってのレイラインかなぁ…と。

では一般的に言われるレイラインって何だろう…?
と思い、調べてみました。

『レイラインハンター』の著者・内田一成氏は、

「旅をしていて初めて訪れた土地なのに、そこにいるだけでとても懐かしい感じがしたり、体の中に力が漲ってくるような場所があったり、

逆にそれまで元気だったのに、その場所に立った途端に体の中の力が吸い取られてしまうことがある。

そう言った正と負の感覚は、それぞれの場所に固有なもので、何度訪れても印象は殆ど変わらない。

紀元前1世紀、古代ローマ帝国が全盛を極め、ヨーロッパ全域から北アフリカにまでその範図を広げた時、辺境に派遣された兵士達は、進駐した土地に固有の雰囲気が漂っているのを感じとり、それを【ゲニウス・ロキ=地霊】と名付けたという。

ローマの兵士達がゲニウス・ロキ(地霊)を強く感じ取った場所は北ヨーロッパではケルトの聖地に符合し、北アフリカでも土着信仰の聖地に符合していた。

つまり太古から、人々は土地に秘められた地霊を感じ取り、他の土地とは区別していたことを物語っている。

一体、地霊とは何なのか。

山に登っていると、古い祠が祀られているのをよく見かける。

人々を拒むように聳える山岳は、世界のどこでも神々が住む場所とされた。

そこで神々の領域である山岳に踏み込み、そこで修行する修験道が発達した。


ゲニウス・ロキ=地霊を感じる場所は聖地とされていることが多い。

人に畏怖を抱かせるような場所だから、そこが特別な場所として聖別されるのは当然とも言えるが、

様々な聖地を訪ねてみると、単にそこが周囲とは異なる雰囲気の場所であるというだけではなく、他の聖地と共通する雰囲気を持っていることに気づく。

そして同じ雰囲気=ゲニウス・ロキを持つ聖地を地図上で結んでみると、直線上に並んでいたり、幾何学的な形に配置されているケースが多い。

そのように同じ雰囲気=ゲニウス・ロキを秘めた聖地同士を結ぶことで表れてくるラインを【レイライン】と呼ぶ。

日本でも古来から聖地を結ぶ直線(ライン)が存在することが知られている。
それは神社や仏閣、山々などを結ぶライン…修験道や密教の世界で“御来光の道”と呼ばれてきた。

太陽の運行と結びついた巨大建造物や聖地、そしてレイラインのような配置は一般的に“農事暦”と説明されることが多いが、自分でレイラインを巡り、劇的な演出が姿を表すその瞬間にその場に居合わせると、

レイラインは光と密接な関係のある大地に眠る地霊を顕在化させる装置なのではないかという気がしてくる。

東洋医学では、人間の体には見えない“経路”という循環ネットワークがあり、それに沿って気=生気が流れると考える。
気の流れがスムーズなら身も心も健康だが、それが滞ると病気になる。

複雑に絡み合う経路の交差する場所で気が滞り易くなるが、そのツボを指圧や鍼で刺激することによって気の滞りを解消して健康を取り戻す。

そんな考え方を地球に当てはめてみれば、レイラインは人体にとっての経路に当たるものであり、地霊が宿る聖地はツボということが出来る。
そしてツボに打たれる鍼は聖地に置かれる様々なランドマークと言える」

と、著書の中で述べています。