真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

展覧会の絵

2006年09月25日 15時19分39秒 | 虫プロ展覧会の絵
「展覧会の絵」
手塚治虫先生は、「デズニー映画の「ファンタジア」のようなクラッシック音楽をアニメにしたい」と夢を語っていた。
そして「ぼくはねぇ、つねづね映画化したいと考えているクラッシック音楽が三つあるんですよ、それは一つはチャイコフスキーの「白鳥の湖」でして つぎには、団伊玖磨先生の 「夕鶴」 それとこのムソルグスキーの「展覧会の絵」なんですよ」と雑誌の締め切りが終わった、ある晩のこと、貧乏ゆすりをしながら、楽しそうに手塚先生は私に語った。 そのレコードを聞かせてくれたが、ピアノ曲のその曲は、まだ聞いたことがなかった。「オーケストラに編曲されているので、あしたにでも、レコードを、買ってきてください」昭和41年初秋の頃であった。
 
「展覧会の絵」はさかのぼる事、昭和40年5月に手塚先生は、「虫プロ自主作品」として、企画書を「虫プロ役員会」に提出していた。制作費は1000万円、制作日数6ヶ月、スタッフ延120名というものであった。
この企画は子供向けテレビアニメの制作で手一杯で、「こんな無謀極まりないプランは、虫プロの現状を考えると机上の楼閣だ」と当然不採用になり、この企画書は手塚先生の引き出しの中で色あせていたのでありました。
昭和41年5月末W3の終了により、スタッフの編成替えが行われた。するとスタッフに余裕が出来たので手塚先生は無理やり、何人かのメンバーを引っこ抜いた。第5スタジオにはまだ空き部屋があった。ラッキー! といったかどうか知らないが、そこに「展覧会の絵」の準備室を設けてしまった。
スタッフが決まると手塚治虫先生のアイディアはどんどん膨らんでいくのでした。

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