真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

多摩湖、狭山湖の思い出

2006年02月12日 10時46分04秒 | 思い出
次男が花小金井から多摩湖自転車道で多摩湖まで歩いて行ってくると出かけた。
多摩湖へも良く遊びに行った思い出はあるが、始めは狭山湖のほうであった、免許を取って、初めて母を連れて行ったのが狭山湖であった、浦和から志木街道でそこから浦所線を通り今の銀山町の五差路を左正面に行く、西所沢の踏切を渡りガードをくぐると道はダートとなっていた、高崎のY字路を右に行けば狭山湖の北側へ、左へ行けばユネスコ村入り口の方へと行けた。上の狭山湖の南にはお店があって広い駐車場があり、ユネスコ村の上の出入り口があった、おとぎ電車の西武園まで行く駅があったが、今は無く寂しい。昔は大噴水があったことを土地の年寄りから聞いた。桜の名所でもあった。今も覚えているのは大きな石灯籠が寝かされてごろごろしていたのを、不思議だなと覚えている。どうも芝のプリンスホテルを強引に立てるときに、そこにあった、立派な石灯籠を持ってきて棄ててあった?らしいと言う事を近年知った。この狭山湖などへは、もっと時間が空いた時に、虫プロ仲間と連れ立ってきた。やはり朝だった。確か富士山も見えたと思う。東の土手をござで滑ったりもしたし、バレーボールをついたりもした、流行っていた歌声喫茶の影響でグループが、歌集を開いて歌っているのを、眺めた事もあった。狭山湖も当時は一周出来た。車で行った事があるが、滑りやすく、斜めになったままで走らせなければならなく、スリップすると往生した。釣り人もたくさん入り込んでいた。
どこも、やはり、夜明け前が一番良かった。
 次男がいつの間にか帰ってきていた、往復して少し疲れたといっていた。
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