レーニンとスターリン
③レポーター村田一 小堀圭一郎/中西輝政『歴史の書き換えが始まった!~コミンテルンと昭和史の真相』(明成社)
*本書で指摘されているように、昭和史の(控えめに言っても)大幅な書き換えが必要であることを指し示す海外の最新の文献・文書がぞくぞくと登場しています(平成十九年当時)。「海外の最新の文献・文書」とは以下のとおりです。なお、記述の骨格は本書から借りていますが、適宜編集・加工してあります。
●『ミトロヒン文書』(2005年刊。ミトロヒン、クリストファー・アンドリュウ共著、本邦未訳) 旧ソ連のKGB対外情報局文書課長ミトロヒンはKGB本部の機密文書を大量に持ち出した。それには欧米、アジアへのKGBの工作活動が活写されている。冷戦期の日本においてもKGBの工作によって、多くの日本の政治家や官僚、マスメディアが国益に反するような行動に従事していたことが、実名やコードネームで紹介されている。具体例をWikipediaから引用すると以下のとおりである。
日本に対する諜報活動は2005年に出版されたMitrokhin Archives IIに「JAPAN」としてまとめられている。
同文書には朝日新聞など大手新聞社を使っての日本国内の世論誘導は「極めて容易であった」とされている。
政界等に対する工作
その中でKGBは日本社会党、日本共産党また外務省へ直接的支援を行ってきたことが記されている。
他にこの文書内で
「日本社会党以外でKGBに関与した政治家の中で、最も有力なのは石田博英(暗号名「HOOVER」)であった。」
とされている。
大手メディアに対する工作
新聞社等スパイによる世論工作
ミトロヒン文書によると、『日本人は世界で最も熱心に新聞を読む国民性』とされており、『中央部はセンター日本社会党の機関誌で発表するよりも、主要新聞で発表する方がインパクトが大きいと考えていた』とされている。そのため、日本の大手主要新聞への諜報活動が世論工作に利用された。
冷戦のさなかの1970年代、KGBは日本の大手新聞社内部にも工作員を潜入させていたことが記されている。文書内で少なくとも5人は名前が挙がっている。
1. 朝日新聞の社員、暗号名「BLYUM」
2. 読売新聞の社員、暗号名「SEMYON」
3. 産経新聞の社員、暗号名「KARL(またはKARLOV)」
4. 東京新聞の社員、暗号名「FUDZIE」
5. 日本の主要紙(社名不詳)の政治部の上席記者、暗号名「ODEKI」
中でも朝日新聞社の「BLYUM」については
「日本の最大手の新聞、朝日新聞にはKGBが大きな影響力を持っている」
としるされている。
「1972年の秋までには、東京の「LINE PR」(内部諜報組織)の駐在員は31人のエージェントを抱え、24件の秘密保持契約を締結していた。特に日本人には世界で最も熱心に新聞を読む国民性があり、KGBが偽の統計情報等を新聞に流すことにより、中央部はソビエトの政治的リーダーシップに対する印象を植え付けようとした。」
とあり、日本の主要メディアに数十人クラスの工作員を抱えていたことが記されている。
工作員となった新聞社員のミッションは『日本国民のソ連に対する国民意識を肯定化しよう』とするものであった。例えば、日本の漁船が拿捕され、人質が解放されるとき、それが明白に不当な拿捕であったのにもかかわらず朝日新聞は
「ソ連は本日、ソビエト領海違反の疑いで拘束された日本人漁師49人全員を解放する、と発表した」
と肯定的な報道をさせた、とされている。朝日新聞だけでなく保守系と目される産経新聞にもその工作は及んでいた。
「最も重要であったのは、保守系の日刊紙、産経新聞の編集局次長で顧問であった山根卓二(暗号名「KANT」)である。レフチェンコ氏によると、山根氏は巧みに反ソビエトや反中国のナショナリズムに対して親ソビエト思想を隠しながら、東京の駐在員に対して強い影響を与えるエージェントであった。」
一般人の工作員化
上記のような大手メディアの工作員は一般人である。それを工作員化する方法については
「メディアに属するKGBのエージェントの殆どは、主に動機が金目当てだったであろう。」
と記されている。またその他に、ソ連訪問中にKGBに罠にかけられて工作員になる者もいた。読売新聞社の「SEMYON」はモスクワ訪問中に『不名誉な資料に基づいて採用された。それは闇市場での通貨両替と、不道徳な行動(ハニートラップ)であった』と書かれている。
●『マオ』(ユン・チャン、ジョン・ハリディ共著。邦訳は『マオ―誰も知らなかった毛沢東』、2005年、講談社)
毛沢東が中華人民共和国建国の「英雄」であるという神話を綿密な取材と研究によって打ち砕き、残忍で執念深い独裁者という実像を浮かび上がらせた書。のみならず、日本にとって切実なのは、『GRU帝国』などの機密資料に基づいて従来の昭和史を根底から揺るがすような新発見、核心に触れた記述が多いことである。例えば、1928年の張作霖爆殺事件が実はスターリンの命令を受けたナウム・エイティンゴンが計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだったことや、中国共産党の秘密党員であった張治中がスターリンの指令によって蒋介石の方針に反して、日中を全面戦争に引き擦りこむために第二次上海事変(1937・8月)を引き起こしたことなどが記されている。
*当方、かつて本書を読書会で扱ったことがあり、その精読を通じて、毛沢東神話から100%脱却できた、という体験を有しております。
●『GRU帝国』(アレキサンドル・コルパキディ、ドミトリー・プロコロフ共著、本邦未訳)
GRUとは旧ソ連赤軍参謀本部情報総局のこと。リヒャルト・ゾルゲもこの機関の諜報工作員であった。同局は、ソ連が崩壊した後も存続し、現存する。GRU文書そのものは、プーチン政権時代になってアクセスが難しくなりつつあるとの由。
●『ベェノナ文書』(VENONA)
アメリカ陸軍省内の特殊情報部が、1943年以降、極秘裏に解読してきたソ連情報部暗号の読解内容を、1995年から公開、その文書を指す。解読作業はカーター・クラーク将軍が大統領にも秘密で始めたプロジェクトだったが、そこには、第二次世界大戦の戦前戦中そして戦後、アメリカ政府の中枢にいかに深くソ連の工作活動が浸透していたかが明かされている。例えばルーズベルト政権では、常勤スタッフだけで二百数十名、正規職員以外で三百人近くのソ連の工作員あるいはスパイやエージェントがいたとされる。
*GHQ内のソ連のスパイのなかで有名なのは、ハーバート・ノーマンでしょう。中西氏は小堀氏との対談のなかで多くのページをノーマンの記述に割いています。その要点を箇条書きにしましょう。
・GHQによる初期の占領政策が突出して左派的な傾向を示したのは、GHQ内に急進的ニューディーラーが多くいたからというのがこれまでの通説だったが、べェノナ文書の精査によって、彼らはニューディーラーなどではなくて、コミンテルンあるいは本格的なスパイ・工作員であることが分かってきた。
・少なくとも昭和二十三年までのGHQは、「コミンテルン・コネクション」の人々がその大半を動かしたが、そのなかで、ハーバート・ノーマンの存在が際立っている。
・ノーマンは、日本生まれのカナダ人。戦前のイギリス留学時代にコミンテルンに加入し、カナダ外務省に秘密工作員として入り、戦後、後にマッカーシズムで逆風にさらされたラティモアの強い推薦によりマッカーサーの特別の信頼を得てGHQの一員として来日。
・昭和二十年九月に来日したノーマンが最初にやったのは、アメリカ共産党の秘密党員だった都留重人との接触を再開し、都留といっしょに鈴木安蔵というマルクス主義憲法学者を探し出し、「憲法研究会」を作らせたこと。
・鈴木安蔵と憲法研究会自体が、ノーマンによってオーガナイズされたコミンテルンの工作組織の一端だった。そうして、鈴木らの草案を元にしてケーディスたちが現行の日本国憲法の最終案を作っただけ。
・ノーマンが終始重視したのが、憲法第一条だった。憲法一条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって」まではGHQのすなわちアメリカの案。その後の「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という文言は、極東委員会の修正案である。ソ連の意を受けて極東委員会に行動を促したのがノーマンだった。
・「国民の総意」を口実に、いつでも天皇制を廃止できるようにしておく、というのが一九二〇年代以来のスターリンの対日戦略だった。
・その意味で現行の日本国憲法は「GHQ憲法」というより「コミンテルン憲法」と称するほうが適切である。
*「マッカーシズムは、集団的ヒステリーであり、思想的魔女狩り運動であった」というのが少なくとも日本では通説であるものと思われますが、本書によれば、マッカーシズムの評価は次のようになります。
マッカーシーが依拠していた「ヴェノナ文書」が公開されたことにより、その正しさが証明された。
*ではなぜ、当時のマッカーシーが自説の正しさを証明できず、孤立し敗れ去ったのでしょうか。
(中西)ヴェノナを解読していた米陸軍の超秘密暗号解読機関、そこからFBIに流れた情報をマッカーシーは情報源にしていた。だから正しいのは当たり前なんですね。アメリカにいるソ連のスパイがモスクワに出しているルーズベルト無電を傍受解読した資料です。(中略)しかし、それをもしも公開したらアメリカは冷戦を戦えない。ソ連側に(ソ連が——引用者補)暗号を解読されている事実が分かってしまうわけですから。ですからマッカーシーを犠牲にしてまでも——というのはマッカーシーは「証拠はあるのか」と問いつめられてその証拠が出せないから失脚するわけですが、その証拠を出さない、という決断をしたのは、アメリカの情報部当局だった。あそこまでやったらもう充分という判断だったんでしょうね。
*このあたりで本書の紹介を終えようと思いますが、「陰謀論」と一蹴され貶められ続けてきた昭和史の見直し作業の必要性が、少なくとも真正面から現実を受け止めようとする者にとっては、明らかになったことが、よく分かるのではないかと思われます。
本書の発刊後、中西氏は、ベェノナ文書を同志たちと共訳し、世に問うたのですが、その後絶版になり、いまでは定価の数十倍の値段がついています。目下取り組み中のMMT関連の翻訳が終わったならば、ベェノナ文書の原書を取り寄せ、図書館から中西氏らの訳書を借りて参考にしながら読み進めてみたいものだと考えております。そういう思いに至るきっかけを作っていただいた村田さんに感謝します。
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