清水宏監督作品『有りがたうさん』
先の日曜日は、仲間内の映画会でした。今回は常連のGさんが担当で、清水宏監督の『有りがたうさん』(川端康成原作)が上映されました。ちなみに当作品の発表は、一九三六年の二月二七日。奇しくもあの二・二六事件の翌日です。暗い世相の最中、世に送り出された作品、ということになります。そんなわけで作中に、娘の身売りや失業や不景気の話がたくさん出てきます。しかし、当作品を観終えた後に心に残るのは、決して暗いものではありません。そこが、この映画の大したところと申せましょう。
当映画はトーキーです。同じ年に、小津安二郎初のトーキー『一人息子』が、またその前年には、成瀬巳喜男初のトーキー『妻よ薔薇のやうに』が上映されています。当時はまだ映画作品の八割がサイレント映画なのでした。日本初の本格的なトーキーである五所平之助の『マダムと女房』が発表されたのが一九三一年。一気にサイレントからトーキーに変わったわけではないのです。そのあたりの事情について、映画史の専門家 Mariann Lewinsky は次のように述べています。(Wikipedia 「トーキー」より)
西洋と日本における無声映画の終焉は自然にもたらされたものではなく、業界と市場の要請によるものだった。(中略)無声映画は非常に楽しく、完成された形態だった。特に日本では活動弁士が台詞と解説を加えていたため、それで全く問題はなかった。発声映画は単に経済的だというだけで何が優れていたわけでもない。というのも、映画館側が演奏をする者や活弁士に賃金を支払わずに済むからである。特に人気の活弁士はそれに見合った賃金を受け取っていた。
つまりサイレントは、当時技術的に成熟期を迎えていたのです。小津も成瀬も、そうしてここに紹介する清水宏も、そういう高度に発達したサイレント映画を十二分に作り込むことで、自身の映像作家としての力量に磨きをかけていたのです。そのうえで、トーキーに入っていった。
当作品を観ると、そのことがよく分かります。つまり、映像自体が語りうることはなるべく映像に語らせる、という映像作家・清水のハイセンスな創作態度が、当作品において貫かれているのです。だから、小うるさい説明は極力省かれていて、表現に無駄がない。ぜい肉がない。そうして、遊び心にあふれている。それが、映像表現としていかに優れたことなのか、当作品を観ていただければよくお分かりになるものと思われます。清水監督は、映像の天使を招き寄せることの巧みなお人のようですね。
戦前の映画に特有の、ゆるやかな時の流れに馴れるまで数分間ほどの時間が必要かもしれません。それさえやり過ごすことができたならば、もうしめたもの。七〇分前後の当作品を観終えた後、極上のお酒を飲んだ後のような陶酔感や幸福感があなたの心を包みこむことをお約束いたします。それは、つらい日常を寡黙にやり過ごす名も無き庶民に対する、清水監督の慎み深いエールを感じ取ることでもあります。
え?そんな感想は抱かなかったって?それは、問題です。ささくれだった今様の時間感覚が、あなたの心を蝕んでいるのかもしれませんよ。
と、まあ、これは冗談です。ゆるやかなやさしい気持ちで当作品とおつきあいいただくことを願っているだけなので、あまり怒らないでくださいね。
〔おもなキャスト〕
有りがたうさん…上原謙
髭の紳士…石山隆嗣
黒襟の女…桑野通子
売られゆく娘…築地まゆみ
その母親…二葉かほる
朝鮮の女…久原良子
〔スタッフ〕
監督…清水宏
監督補助…沼波功雄、佐々木康、長島豊次郎
脚色…清水宏
撮影…青木勇
特筆したいのは、「黒襟の女」を演じる桑野通子の美しさです。ふつう、戦前のいわゆる「美人」とされている女優さんは、戦後の私たちからすれば、いまひとつピンとこないところがあるケースがほとんどなのですが、彼女の場合は違います。いまでも十分に通用する美人です。いわゆるクール・ビューティの部類に入るでしょう。つまり彼女の美しさは、松尾芭蕉の「流行」の域を超えて「不易」の域に達していることになります。彼女は、三一歳で逝去した佳人薄命の典型のような女性です。頭の回転が早くて、ふだんは物静かな女性だったようです。さぞかし魅力的な方だったのでしょうね。当作品に出演したのは二一歳のとき。元女優の桑野みゆきは、彼女の一人娘です。
「淑女は何を忘れたか」の桑野通子(右は斉藤達雄)
上原謙についてもちょっと。当作品を観る者の目に、若かりし日の彼の鮮烈な像が焼き付きます。彼は、当時からすでに並外れた美青年だったのですが、後年のような、ポマードを塗りたくったスケこまし風はまだなくて、当作品では、彼の素の持ち味としての純朴な心優しい雰囲気がよく出ています。演技に、感情の自然な流れがあって、好感が持てるのですね。彼は、役者としての自分の作り方をどこかで間違ってしまった俳優さんなのではないかと思います。
当作品は、ぜひ拡大画面でご覧ください。いわゆるロード・ムービーの先駆けのような作品で、バスは旧天城街道を走ります。起点の港町は、おそらく下田でしょう。二つ目のトンネルは、おそらく天城トンネルで、バスは天城越えをしていることになります。その直前の、朝鮮女と「有りがたうさん」との会話やトンネル口でバスを見送る彼女の立ち姿が次第に小さくなっていくのがなんとも切なくて、こちらの胸を締め付けます。
当作品の撮影は、オール・ロケだそうです。それ自体、当時では斬新なアイデアだったに違いありません。
Mr. Thank-You / 有りがとうさん (1936) (EN/ES)
先の日曜日は、仲間内の映画会でした。今回は常連のGさんが担当で、清水宏監督の『有りがたうさん』(川端康成原作)が上映されました。ちなみに当作品の発表は、一九三六年の二月二七日。奇しくもあの二・二六事件の翌日です。暗い世相の最中、世に送り出された作品、ということになります。そんなわけで作中に、娘の身売りや失業や不景気の話がたくさん出てきます。しかし、当作品を観終えた後に心に残るのは、決して暗いものではありません。そこが、この映画の大したところと申せましょう。
当映画はトーキーです。同じ年に、小津安二郎初のトーキー『一人息子』が、またその前年には、成瀬巳喜男初のトーキー『妻よ薔薇のやうに』が上映されています。当時はまだ映画作品の八割がサイレント映画なのでした。日本初の本格的なトーキーである五所平之助の『マダムと女房』が発表されたのが一九三一年。一気にサイレントからトーキーに変わったわけではないのです。そのあたりの事情について、映画史の専門家 Mariann Lewinsky は次のように述べています。(Wikipedia 「トーキー」より)
西洋と日本における無声映画の終焉は自然にもたらされたものではなく、業界と市場の要請によるものだった。(中略)無声映画は非常に楽しく、完成された形態だった。特に日本では活動弁士が台詞と解説を加えていたため、それで全く問題はなかった。発声映画は単に経済的だというだけで何が優れていたわけでもない。というのも、映画館側が演奏をする者や活弁士に賃金を支払わずに済むからである。特に人気の活弁士はそれに見合った賃金を受け取っていた。
つまりサイレントは、当時技術的に成熟期を迎えていたのです。小津も成瀬も、そうしてここに紹介する清水宏も、そういう高度に発達したサイレント映画を十二分に作り込むことで、自身の映像作家としての力量に磨きをかけていたのです。そのうえで、トーキーに入っていった。
当作品を観ると、そのことがよく分かります。つまり、映像自体が語りうることはなるべく映像に語らせる、という映像作家・清水のハイセンスな創作態度が、当作品において貫かれているのです。だから、小うるさい説明は極力省かれていて、表現に無駄がない。ぜい肉がない。そうして、遊び心にあふれている。それが、映像表現としていかに優れたことなのか、当作品を観ていただければよくお分かりになるものと思われます。清水監督は、映像の天使を招き寄せることの巧みなお人のようですね。
戦前の映画に特有の、ゆるやかな時の流れに馴れるまで数分間ほどの時間が必要かもしれません。それさえやり過ごすことができたならば、もうしめたもの。七〇分前後の当作品を観終えた後、極上のお酒を飲んだ後のような陶酔感や幸福感があなたの心を包みこむことをお約束いたします。それは、つらい日常を寡黙にやり過ごす名も無き庶民に対する、清水監督の慎み深いエールを感じ取ることでもあります。
え?そんな感想は抱かなかったって?それは、問題です。ささくれだった今様の時間感覚が、あなたの心を蝕んでいるのかもしれませんよ。
と、まあ、これは冗談です。ゆるやかなやさしい気持ちで当作品とおつきあいいただくことを願っているだけなので、あまり怒らないでくださいね。
〔おもなキャスト〕
有りがたうさん…上原謙
髭の紳士…石山隆嗣
黒襟の女…桑野通子
売られゆく娘…築地まゆみ
その母親…二葉かほる
朝鮮の女…久原良子
〔スタッフ〕
監督…清水宏
監督補助…沼波功雄、佐々木康、長島豊次郎
脚色…清水宏
撮影…青木勇
特筆したいのは、「黒襟の女」を演じる桑野通子の美しさです。ふつう、戦前のいわゆる「美人」とされている女優さんは、戦後の私たちからすれば、いまひとつピンとこないところがあるケースがほとんどなのですが、彼女の場合は違います。いまでも十分に通用する美人です。いわゆるクール・ビューティの部類に入るでしょう。つまり彼女の美しさは、松尾芭蕉の「流行」の域を超えて「不易」の域に達していることになります。彼女は、三一歳で逝去した佳人薄命の典型のような女性です。頭の回転が早くて、ふだんは物静かな女性だったようです。さぞかし魅力的な方だったのでしょうね。当作品に出演したのは二一歳のとき。元女優の桑野みゆきは、彼女の一人娘です。
「淑女は何を忘れたか」の桑野通子(右は斉藤達雄)
上原謙についてもちょっと。当作品を観る者の目に、若かりし日の彼の鮮烈な像が焼き付きます。彼は、当時からすでに並外れた美青年だったのですが、後年のような、ポマードを塗りたくったスケこまし風はまだなくて、当作品では、彼の素の持ち味としての純朴な心優しい雰囲気がよく出ています。演技に、感情の自然な流れがあって、好感が持てるのですね。彼は、役者としての自分の作り方をどこかで間違ってしまった俳優さんなのではないかと思います。
当作品は、ぜひ拡大画面でご覧ください。いわゆるロード・ムービーの先駆けのような作品で、バスは旧天城街道を走ります。起点の港町は、おそらく下田でしょう。二つ目のトンネルは、おそらく天城トンネルで、バスは天城越えをしていることになります。その直前の、朝鮮女と「有りがたうさん」との会話やトンネル口でバスを見送る彼女の立ち姿が次第に小さくなっていくのがなんとも切なくて、こちらの胸を締め付けます。
当作品の撮影は、オール・ロケだそうです。それ自体、当時では斬新なアイデアだったに違いありません。
Mr. Thank-You / 有りがとうさん (1936) (EN/ES)
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