毎日大変興味深く読んでいました。幸運なことに私は
この小説が掲載され始めた2か月位後に、
地元の歴史研究会のバス旅行で埼玉(さきたま)古墳群を
訪れることが出来たのでした。
そこでつい最近、と言っても1968年にここで出土されたのが、
この小説の主人公ワカタケル大王(雄略天皇)の実在を証明するとされる
鉄剣で、資料室で目の当たりに見ることができたのです!
(美しい漢字ばかりの金文字が彫り込めてありました。)↓
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昨年のブログにもこの感動を書いていますが、古墳時代が
急に目の前に迫ってきた感じがしました。
この「金錯銘鉄剣」(きんさくめいてっけん)はワカタケルの親衛隊として
仕えてこの古墳に埋葬されているヲワケという方が、
任務を終え、持ち帰ってきたものと解釈出来ます。
詳しく説明をして下さった学芸員さんに
「今、ワカタケルの小説が進行中ですよね。」と思わず言って
しまったのですが「?」とかみ合いませんでした。
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それにしても、地図も磁石もない時代に関西の倭の国から
どうやってここへ辿り着いたのでしょうか?
見晴らしの良い広々とした平野の続くここ行田市の美しい風景は
5世紀ごろから変わっていないのでしょうか?
埼玉古墳群には古代のロマンが沢山埋蔵されているような気がしています。
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話が逸れましたが、古墳時代は人の心の動きを書き表す言葉の
用意がない時代で、「古事記」以外の資料が少ない状況ですから、
著者は大変なご苦労をされたと思い図られます。
ご自身、「最も本質的な困難はこれが神話・伝説から歴史への移行期を
扱う小説だという点に由来する。」と書かれています。
古墳時代の人々はみな直情径行だったそうですが、
ワカタケルも大王になるために、又なった後も多くの人々を抹殺する
直情径行で知られています。しかし、結果的に、23年に及ぶ治世で
倭の國を造るのによく力を奮ったと、稗田阿礼も記しています。
大王がゆるぎない権威を持って指揮したおかげで、
豪族たちは互いの争いを控え、百官百僚は安心して職務にいそしみ、
民草はそれぞれの小さな暮らしを憂いなく暮らすことが出来たと
いうように評価されているようです。
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