旧統一教会問題で世情は騒然としている。
ところが今の政治家の中で、政治と宗教の関係を明確に説明できる人がいるだろうか?
少なくとも岸田首相はきっちりと説明すべきだろうがまず無理だ。
「暗闇から牛を引き出す」ようなもので時間の無駄だと思う。
旧統一教会や創価学会が猛烈な信者獲得運動を展開したのは1960年代と言われている。
このころに信仰を始めた年代はおそらく「教義」を信じれば世の中が良くなると信じた世代だ。
しかし、その教義の中味が本当に良いか悪いかは、時代の波に揉まれて見ないと分からない。
今回の件で旧統一教会の教義を知る機会を得たが、はっきり言って「宗教とは言えない」代物だ。
早晩信者は減少していくだろうが、自民党にしぶとくへばりついて生き残りを図るだろう。
果たして自民党にその自浄作用が出来るか?
自民党は1990年代に創価学会叩きに奔走したことがある。
亀井静香など自民党の右派議員が先頭に立った。
この辺りのトラウマが公明党が自民党との接近を図った理由だろう。
創価学会の信者は、「選挙への関心は高いが政策への関心は低い」と言われている。
その辺を創価学会上層部が上手く利用しているのだろう。
公明党は、はっきり言って創価学会のための「羊の皮」なのではなかろうか?
多神教文化の日本には確たる宗教観はない。
たとえば正月にはこぞって神社にお参りするが、神社の一体何を信じているのだろうか?
寡聞にして神社の「教義」なるものを聞いた記憶はない。
しかしわれわれは神社の雰囲気が好きなのだ。
自然と一体になれるまたとない機会ととらえているわけだ。
このようなおおらかな宗教観を持つ日本人に対して、旧統一教会は自民党の頭(岸信介グループ)を狙うという戦法を取った。
まんまとその狙いが当たったのだが、山上容疑者の凶弾がその闇を白日の下にさらけ出した。
今や日本は「旧統一教会はおかしい」という空気が支配している。
この空気には誰も反対は出来ない。
この流れに水を差すのは唯一「時間の経過」、忘れてしまうという日本人の国民性だ。