母の死から3週間。こうして身内に死なれると、つくづくおいそれと死ぬ事も出来ないな…と、思わされるのはお金の話である。
母が亡くなる直前、実家の玄関に一枚のハガキが届いていたという。
それは、かなり前(もう50年近く前)にかけたらしい母自身の死亡保険の通知ハガキだった。兄も、そんなものが有るとは知らず、母に聞いてもかなり認知症も進んで記憶はおぼろげ…。一体証書などはどこにあるんだろう?まぁ、そのうち探しておこう…なぁんて思っていたら突然の母の危篤。兄は「不思議な事もあるもんだ。虫の知らせって、こういうもんかね」と私に語った。
バブルの頃、結婚式やお葬式もやたら派手だった。
ウチの姑も、何をはしゃいでいたのか当時は「私の葬式の時は、仕出し料理じゃなくて、板前さんを呼んでその場で握ってくれる寿司を出したいもんだねぇ」なあんて言ってた。
しかし、実際には米寿まで生きた姑の葬式はほんの近親者のみの直葬。実際、殆どの故郷の親類は、亡くなっているか、高齢で、葬式に駆けつけるわけにもいかなくなっていた。壮年期には派手な人だったが、亡くなる間際には認知症も進み、人が変わって陰険になり、友人とも疎遠になっているか、亡くなっていた。要は葬式をするほど呼ぶ人も居なくなっていたのだ。
時代は変わって今はジミ婚、インスタ婚(写真だけ)、家族葬 流行り。有名人の結婚式ですら聞かなくなったし、お葬式も「近親者のみで」が、多くなった。
昔は〜閣とか、〜殿なあんてバブリーなネーミングの結婚式専門の会社のビルなんかあちこちにあったものだけど、今はほとんど見ないよねぇ。それでも時代の変遷に従って消えてしまえるものはそれで良いだろう。しかし、お寺…となると消えてなくなるわけにはいかない。
こうして大人になってみるまで、こういったことは改めて考えるなんてしたことはなかった。
"戒名"というのは宗派によっては要らなかったりするが、宗派によっては偉く高額な相場があったりもする。私が嫁に来たこの家は、神道なので、そもそも戒名が無い。だから、姑が亡くなった時は、諸々そこそこの出費はあったものの、それはまさに実費、という感じだった。
母が亡くなった直後、菩提寺に電話をした兄は、来る人も近親者のみの家族葬で、お通夜の無いいわゆる直葬ですること、したがってお経は斎場の焼場で、「窯前」のお経をあげて頂くだけで良い由を告げると、住職は、「それでは、戒名はそれまでにお付けいたしますが、どのように…?」と言った。
兄は、こういった経験は初めてなので、「どれ位かかるんでしょう?」とぶっちゃけて聞いた。するとなんと御住職は、「そうですねー、60万から…になりますが、上は90とかですね…」と、宣った!
「60万!から⁉️」
その値段が戒名のみではなく、その後に続く諸々の行事(四十九日法要やら、納骨やら)の費用も含まれて…のものなのか、戒名の値段オンリーなのか、今の時点ではまだ不確かなのだが、その話を聞いて私もたまげた。
その時、はっと、兄は母の死亡保険の通知ハガキが来ていたことを思い出したという。
だから虫の知らせと言ったのだろう。
兄は、それから家の大事なものがしまってある引き出しを慌てて覗き込み、古い、もうとっくに解約した保険の証書や、今はもう無い銀行などの小銭しか入ってないような古い口座の通帳などに埋もれた、母の死亡保険の証書を見つけ出した。それには、「大事」と、母の字で記されていたという。
その保険は、どうやらかなり高齢になって亡くなっても、100万円程度の保険金が降りるいわゆる「御葬式代くらい残したい人のための」シニア保険だった。
これが無ければ、定年して年金暮らしで、癌の治療をしている兄にはかなりの痛手だったことだろう。
菩提寺など無く、霊園にお墓が有る人に聞いてみたら、その家のお父さんが亡くなった折には、葬儀屋さんに「宗派は?」と聞かれ、特に無かったので、その場で選び、葬儀屋さんのつてで、然るべき僧侶の方に戒名を付けてもらったのだ…という人が居た。料金は20万円くらいだったとか。
今は、ネットで、戒名3万円くらいからあるらしい。
すると、菩提寺があって、よかったと言えるのか?という気までしてしまう。そもそも実家の菩提寺だって、ウチの場合、そう古い縁でもなさそうで、祖母がある時、ある商売で、ちょこっと儲けた時に探して買ったものだという。
昔は霊園なんてまだ馴染んでないからお寺でお墓…が、通例だったろうし、私達が子供の頃は、法事やなんだで親類が集まって座敷でお茶を飲んだり、本堂で太鼓を叩いて遊ばしてもらったりした思い出もある。お墓参りの帰りにうな重を食べるのが幼稚園の頃の私の楽しみだった。
そんな思い出のある私達の代まではともかく、これから先、先祖供養を甥や姪達に担わせることになると、彼らにその必要性が理解されるのか?はなはだ不安ではある。この話は、次回へ続く!
葉牡丹も花芽を出した。春だなぁ。
母が亡くなる直前、実家の玄関に一枚のハガキが届いていたという。
それは、かなり前(もう50年近く前)にかけたらしい母自身の死亡保険の通知ハガキだった。兄も、そんなものが有るとは知らず、母に聞いてもかなり認知症も進んで記憶はおぼろげ…。一体証書などはどこにあるんだろう?まぁ、そのうち探しておこう…なぁんて思っていたら突然の母の危篤。兄は「不思議な事もあるもんだ。虫の知らせって、こういうもんかね」と私に語った。
バブルの頃、結婚式やお葬式もやたら派手だった。
ウチの姑も、何をはしゃいでいたのか当時は「私の葬式の時は、仕出し料理じゃなくて、板前さんを呼んでその場で握ってくれる寿司を出したいもんだねぇ」なあんて言ってた。
しかし、実際には米寿まで生きた姑の葬式はほんの近親者のみの直葬。実際、殆どの故郷の親類は、亡くなっているか、高齢で、葬式に駆けつけるわけにもいかなくなっていた。壮年期には派手な人だったが、亡くなる間際には認知症も進み、人が変わって陰険になり、友人とも疎遠になっているか、亡くなっていた。要は葬式をするほど呼ぶ人も居なくなっていたのだ。
時代は変わって今はジミ婚、インスタ婚(写真だけ)、家族葬 流行り。有名人の結婚式ですら聞かなくなったし、お葬式も「近親者のみで」が、多くなった。
昔は〜閣とか、〜殿なあんてバブリーなネーミングの結婚式専門の会社のビルなんかあちこちにあったものだけど、今はほとんど見ないよねぇ。それでも時代の変遷に従って消えてしまえるものはそれで良いだろう。しかし、お寺…となると消えてなくなるわけにはいかない。
こうして大人になってみるまで、こういったことは改めて考えるなんてしたことはなかった。
"戒名"というのは宗派によっては要らなかったりするが、宗派によっては偉く高額な相場があったりもする。私が嫁に来たこの家は、神道なので、そもそも戒名が無い。だから、姑が亡くなった時は、諸々そこそこの出費はあったものの、それはまさに実費、という感じだった。
母が亡くなった直後、菩提寺に電話をした兄は、来る人も近親者のみの家族葬で、お通夜の無いいわゆる直葬ですること、したがってお経は斎場の焼場で、「窯前」のお経をあげて頂くだけで良い由を告げると、住職は、「それでは、戒名はそれまでにお付けいたしますが、どのように…?」と言った。
兄は、こういった経験は初めてなので、「どれ位かかるんでしょう?」とぶっちゃけて聞いた。するとなんと御住職は、「そうですねー、60万から…になりますが、上は90とかですね…」と、宣った!
「60万!から⁉️」
その値段が戒名のみではなく、その後に続く諸々の行事(四十九日法要やら、納骨やら)の費用も含まれて…のものなのか、戒名の値段オンリーなのか、今の時点ではまだ不確かなのだが、その話を聞いて私もたまげた。
その時、はっと、兄は母の死亡保険の通知ハガキが来ていたことを思い出したという。
だから虫の知らせと言ったのだろう。
兄は、それから家の大事なものがしまってある引き出しを慌てて覗き込み、古い、もうとっくに解約した保険の証書や、今はもう無い銀行などの小銭しか入ってないような古い口座の通帳などに埋もれた、母の死亡保険の証書を見つけ出した。それには、「大事」と、母の字で記されていたという。
その保険は、どうやらかなり高齢になって亡くなっても、100万円程度の保険金が降りるいわゆる「御葬式代くらい残したい人のための」シニア保険だった。
これが無ければ、定年して年金暮らしで、癌の治療をしている兄にはかなりの痛手だったことだろう。
菩提寺など無く、霊園にお墓が有る人に聞いてみたら、その家のお父さんが亡くなった折には、葬儀屋さんに「宗派は?」と聞かれ、特に無かったので、その場で選び、葬儀屋さんのつてで、然るべき僧侶の方に戒名を付けてもらったのだ…という人が居た。料金は20万円くらいだったとか。
今は、ネットで、戒名3万円くらいからあるらしい。
すると、菩提寺があって、よかったと言えるのか?という気までしてしまう。そもそも実家の菩提寺だって、ウチの場合、そう古い縁でもなさそうで、祖母がある時、ある商売で、ちょこっと儲けた時に探して買ったものだという。
昔は霊園なんてまだ馴染んでないからお寺でお墓…が、通例だったろうし、私達が子供の頃は、法事やなんだで親類が集まって座敷でお茶を飲んだり、本堂で太鼓を叩いて遊ばしてもらったりした思い出もある。お墓参りの帰りにうな重を食べるのが幼稚園の頃の私の楽しみだった。
そんな思い出のある私達の代まではともかく、これから先、先祖供養を甥や姪達に担わせることになると、彼らにその必要性が理解されるのか?はなはだ不安ではある。この話は、次回へ続く!
葉牡丹も花芽を出した。春だなぁ。
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