私が初めて、テレビアニメ以外のさくらももこさんの作品に出会ったのはいつの事だったか…と、思い出してみると…乳がんのための左乳房全摘手術のために入院している時だったことを思い出した。今から24年前、私は33歳だった。
隣のベッドに、やはり胃がんで胃の何分の1かを採った当時の私より少々年上、40代後半くらいの女の人が居た。昔の事で、今なんかよりずっと開けっぴろげの病室はカーテンなど引くこともなく馴染んで来ると修学旅行の宿屋みたいにベッドに寝転んで枕を並べて、ガヤガヤおしゃべりをしたものだった。
この彼女がスゴイ人だった。
成人した息子さんがいるが、全盲で、今はマッサージ師を開業しているという。その息子さんは、実は前夫の連れ子で、小さい頃、父親に手を引かれて、彼女の働く八百屋へと買い物に 毎日のようにやってきたのだという。「夫に惚れたというよりも、その子が可愛くて可愛くてねー。それで、その人と一緒になったようなもんよ。」
でも、結婚してみたら、なんと男は酒乱でDV男だった。でも、息子のことが可愛いそうで、必死に耐えて頑張った。自分の子を妊娠もしたらしいが、酒乱の夫に階段から突き飛ばされて流産。仕事を選ばず働きづくめで働いて、身体はぼろぼろ。大人になった息子が「母さん、離婚したらいいよ」というので、やっと別れる決心がついたのだと。離婚後、元夫は数年後に病死。深酒がたたったのだろう。
そして、私と出会った当時は再婚していたのだが、その相手は筋ジストロフィーを患っている人で、その時の入院時には、旦那は来られず、代わりに旦那のお父さんが、長野から出てきてくれてるのだという。彼女はその筋ジストロフィーの男が見捨てられなかったのだろう。彼の父親は、彼女にエラく感謝していて、彼女の身体を心配して田舎からわざわざ出てきてくれるのだが、ありがた迷惑と、いうわけにもいかず、手術後の寝巻き姿で、点滴の台をガラガラいわせながらお父さんを迎えに階下に降りるエレベーターに向かう姿が今でも忘れられない。
その彼女が、「私の唯一の楽しみ」と言って貸してくれたのがさくらももこさんのコミックだった。さくらももこさんの子供の頃から青春、漫画家デビューまでのあれこれ…笑っちゃうけど、ちょっと胸がキュンとする、エッセイのような漫画だった。
それから私は退院して抗がん剤治療が続き、子供がまだ小さかった事もあり、彼女のことは遠い記憶の彼方へ行ってしまった。その頃の入院中に同室になった人達は色んなひとがいて、それぞれ自分の人生のことを語って聞かせてくれたが、つくづく一様に感じたことは「みんな不幸だった」ってことだ。場所が病院ということで、人はやはり様々なストレスから病気になるって事なのだろうか…。でも、女は強い。それで、病んでも、みんな語りながら「はっはっ」と笑っているのだ。
さくらももこさんがこんなにも早く逝ってしまわれるとは、余りにも突然で、ショックとしか言えない。
いつから闘病されていたのか、何も言わず耐えていたのか、我が身から想像するにも余りにも強すぎて辛い。
私達が病んだ時、まる子ちゃんは支えだった。
さくらももこさんにはなにが支えになっていたのだろう。
ただただ感謝あるのみです。
八月のひまわり。
隣のベッドに、やはり胃がんで胃の何分の1かを採った当時の私より少々年上、40代後半くらいの女の人が居た。昔の事で、今なんかよりずっと開けっぴろげの病室はカーテンなど引くこともなく馴染んで来ると修学旅行の宿屋みたいにベッドに寝転んで枕を並べて、ガヤガヤおしゃべりをしたものだった。
この彼女がスゴイ人だった。
成人した息子さんがいるが、全盲で、今はマッサージ師を開業しているという。その息子さんは、実は前夫の連れ子で、小さい頃、父親に手を引かれて、彼女の働く八百屋へと買い物に 毎日のようにやってきたのだという。「夫に惚れたというよりも、その子が可愛くて可愛くてねー。それで、その人と一緒になったようなもんよ。」
でも、結婚してみたら、なんと男は酒乱でDV男だった。でも、息子のことが可愛いそうで、必死に耐えて頑張った。自分の子を妊娠もしたらしいが、酒乱の夫に階段から突き飛ばされて流産。仕事を選ばず働きづくめで働いて、身体はぼろぼろ。大人になった息子が「母さん、離婚したらいいよ」というので、やっと別れる決心がついたのだと。離婚後、元夫は数年後に病死。深酒がたたったのだろう。
そして、私と出会った当時は再婚していたのだが、その相手は筋ジストロフィーを患っている人で、その時の入院時には、旦那は来られず、代わりに旦那のお父さんが、長野から出てきてくれてるのだという。彼女はその筋ジストロフィーの男が見捨てられなかったのだろう。彼の父親は、彼女にエラく感謝していて、彼女の身体を心配して田舎からわざわざ出てきてくれるのだが、ありがた迷惑と、いうわけにもいかず、手術後の寝巻き姿で、点滴の台をガラガラいわせながらお父さんを迎えに階下に降りるエレベーターに向かう姿が今でも忘れられない。
その彼女が、「私の唯一の楽しみ」と言って貸してくれたのがさくらももこさんのコミックだった。さくらももこさんの子供の頃から青春、漫画家デビューまでのあれこれ…笑っちゃうけど、ちょっと胸がキュンとする、エッセイのような漫画だった。
それから私は退院して抗がん剤治療が続き、子供がまだ小さかった事もあり、彼女のことは遠い記憶の彼方へ行ってしまった。その頃の入院中に同室になった人達は色んなひとがいて、それぞれ自分の人生のことを語って聞かせてくれたが、つくづく一様に感じたことは「みんな不幸だった」ってことだ。場所が病院ということで、人はやはり様々なストレスから病気になるって事なのだろうか…。でも、女は強い。それで、病んでも、みんな語りながら「はっはっ」と笑っているのだ。
さくらももこさんがこんなにも早く逝ってしまわれるとは、余りにも突然で、ショックとしか言えない。
いつから闘病されていたのか、何も言わず耐えていたのか、我が身から想像するにも余りにも強すぎて辛い。
私達が病んだ時、まる子ちゃんは支えだった。
さくらももこさんにはなにが支えになっていたのだろう。
ただただ感謝あるのみです。
八月のひまわり。
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