立ち上げから2年近く経ち、やっと休憩時間を1時間取ろう!という動きが出来てきた。
食事時間を1人減で回せば、交代で休憩が出来る。
35人の入居者のうち食事を摂れるのは、32人くらい。
うちの施設、見通しが悪いが、食事介助を含めて3人いれば可能だと思う。
現在4人で行っている。
スタッフ人数が豊富な中で育てられると、
あれもこれも、そしてアッチもとは気配りが出来なくなる。
なさねばならぬ「目の前のこれ!」になる。
お試し期間の2週間が経つ。明日はその評価をするが、何でもかんでも「評価」「共有」という言葉で治めたがるのも介護世界。
自分の頭で考えて「まずやってみる」「行動する」、それを忘れている。
だれか(専門職)の「評価」を受け、その「指示」に従うことが当たり前。
「まず行動する」ことは非難の対象となり兼ねないのだ。
何が出来るか出来ないか、やってみないと何も始まらないのではないのか。
情報共有は大切だが、日常ケアのタイムスケジュールから、
少し横道にそれることも必要なケアになる。
介護は日々変化する人間相手の仕事だから。
単なる「共有」「評価」では治まりきれないことも多い。
とりあえず1時間の休憩時間を共有することになりそう。
支援部スタッフの話では、1時間の休憩時間を取るのはうちがはじめて!?らしい
そんなア・・・、9時間拘束で1時間だよ。
当然の権利なんだけど。
休憩しないことが良いケアだと勘違いしてたわけ?
看取りをしたかたのお通夜、お葬式への参列。
入院した方へのお見舞い。
勤務時間になるべく行くべきではないかと私は思う。
当然のように行くのは、勤務後。残業は?もちろん付かない。
冷たいようだが仕事として関わっている私たちは、ある程度の割り切りをしたほうが良い。思いも残らない。
入院している方は、帰ってこられたときのケアが勝負。
どこまで回復させるかがかかっている。
看取りも、最後の時を穏やかに送られるように精一杯ケアをする。
ターミナルを看取ると、バーンアウトする若いスタッフは多い。
介護は家族のような錯覚と思い入れを入れすぎてしまうからだ。
ターミナルケアは、スタッフのケアを重視しなければならないと進言している。
食事時間を1人減で回せば、交代で休憩が出来る。
35人の入居者のうち食事を摂れるのは、32人くらい。
うちの施設、見通しが悪いが、食事介助を含めて3人いれば可能だと思う。
現在4人で行っている。
スタッフ人数が豊富な中で育てられると、
あれもこれも、そしてアッチもとは気配りが出来なくなる。
なさねばならぬ「目の前のこれ!」になる。
お試し期間の2週間が経つ。明日はその評価をするが、何でもかんでも「評価」「共有」という言葉で治めたがるのも介護世界。
自分の頭で考えて「まずやってみる」「行動する」、それを忘れている。
だれか(専門職)の「評価」を受け、その「指示」に従うことが当たり前。
「まず行動する」ことは非難の対象となり兼ねないのだ。
何が出来るか出来ないか、やってみないと何も始まらないのではないのか。
情報共有は大切だが、日常ケアのタイムスケジュールから、
少し横道にそれることも必要なケアになる。
介護は日々変化する人間相手の仕事だから。
単なる「共有」「評価」では治まりきれないことも多い。
とりあえず1時間の休憩時間を共有することになりそう。
支援部スタッフの話では、1時間の休憩時間を取るのはうちがはじめて!?らしい
そんなア・・・、9時間拘束で1時間だよ。
当然の権利なんだけど。
休憩しないことが良いケアだと勘違いしてたわけ?
看取りをしたかたのお通夜、お葬式への参列。
入院した方へのお見舞い。
勤務時間になるべく行くべきではないかと私は思う。
当然のように行くのは、勤務後。残業は?もちろん付かない。
冷たいようだが仕事として関わっている私たちは、ある程度の割り切りをしたほうが良い。思いも残らない。
入院している方は、帰ってこられたときのケアが勝負。
どこまで回復させるかがかかっている。
看取りも、最後の時を穏やかに送られるように精一杯ケアをする。
ターミナルを看取ると、バーンアウトする若いスタッフは多い。
介護は家族のような錯覚と思い入れを入れすぎてしまうからだ。
ターミナルケアは、スタッフのケアを重視しなければならないと進言している。