歌う介護士

看取りをしたご入居者から「あなたの声は癒される」と。お一人一人を思い浮かべながら、ずっと歌い続けています。

お仕事時間の割り切り

2009-02-26 21:07:41 | Weblog
立ち上げから2年近く経ち、やっと休憩時間を1時間取ろう!という動きが出来てきた。
食事時間を1人減で回せば、交代で休憩が出来る。
35人の入居者のうち食事を摂れるのは、32人くらい。
うちの施設、見通しが悪いが、食事介助を含めて3人いれば可能だと思う。
現在4人で行っている。

スタッフ人数が豊富な中で育てられると、
あれもこれも、そしてアッチもとは気配りが出来なくなる。
なさねばならぬ「目の前のこれ!」になる。
お試し期間の2週間が経つ。明日はその評価をするが、何でもかんでも「評価」「共有」という言葉で治めたがるのも介護世界。

自分の頭で考えて「まずやってみる」「行動する」、それを忘れている。
だれか(専門職)の「評価」を受け、その「指示」に従うことが当たり前。
「まず行動する」ことは非難の対象となり兼ねないのだ。
何が出来るか出来ないか、やってみないと何も始まらないのではないのか。
情報共有は大切だが、日常ケアのタイムスケジュールから、
少し横道にそれることも必要なケアになる。

介護は日々変化する人間相手の仕事だから。
単なる「共有」「評価」では治まりきれないことも多い。

とりあえず1時間の休憩時間を共有することになりそう。
支援部スタッフの話では、1時間の休憩時間を取るのはうちがはじめて!?らしい
そんなア・・・、9時間拘束で1時間だよ。
当然の権利なんだけど。
休憩しないことが良いケアだと勘違いしてたわけ?


看取りをしたかたのお通夜、お葬式への参列。
入院した方へのお見舞い。
勤務時間になるべく行くべきではないかと私は思う。
当然のように行くのは、勤務後。残業は?もちろん付かない。
冷たいようだが仕事として関わっている私たちは、ある程度の割り切りをしたほうが良い。思いも残らない。
入院している方は、帰ってこられたときのケアが勝負。
どこまで回復させるかがかかっている。
看取りも、最後の時を穏やかに送られるように精一杯ケアをする。

ターミナルを看取ると、バーンアウトする若いスタッフは多い。
介護は家族のような錯覚と思い入れを入れすぎてしまうからだ。
ターミナルケアは、スタッフのケアを重視しなければならないと進言している。

認知症を生きるということ

2009-02-23 01:27:08 | Weblog
認知症といっても、穏やかな症状から本能を抑制できない《BPSD(周辺症状)》まで、様々で一人一人異なっている。

数多くの方をケアしてきたが、一人として同じ方はない。
その人の育ち、経験、職業、家庭環境、の全てが異なるからだ。

自分の行動を抑制できなくなる認知症がある。
そのため、本人は悪気でしているわけではない行動が他人から恐れられるし誤解も呼ぶ。

そこに叩きやすそうなもの(頭)があったから・・・、ポン!と叩いてみた!
叩かれた方は、暴力を振るわれた!と取る。
この人をからかってやると面白いな・・・、ワッ!と、急に振り向いてみた!
驚いてひっくり返ってしまった!

共同生活では許されない行為となる。

向精神薬で押さえると、嚥下が悪くなり・・・誤嚥の危険性
(薬を増量)     ふらついて・・・・・転倒の危険100%
  その人の人格は消えてしまう。ただただ、不安で計り知れなくなる。

向精神薬を全て切った、鬱の表情,発語も少なくなり
           油断する間もなく手加減なく手が飛んでいる。
           飲食をほとんどしなくなっている。


他者への手出しが増えたため主治医に相談の上で行っていることだが、
果たしてこれでよいのだろうか?
スタッフの中で、最も穏やかに接することが出来る私は、どうしても疑問を感じる。手が飛んできても手加減しているのがわかる。
現在の症状は、ちょうど覚せい剤の切れたときと同じなのだろう。
スキンシップは求めてくるし、心淋しいのも同じ。
まわりへの関心は薄れているが、礼儀は残っている。
私だと身体に必要な服薬だけはしてくれた。
この方のために「プロセスレコード」をつけている。
この方にとって、今最も必要なケアは家族の訪問なのだが、この週末も訪問はなかった。協力をお願いしておいたのだが・・・、

このままだと、認知症フロアが完備している他拠点へ転居せざるを得なくなるかもしれない。
記憶もあり見当識能力も残されている。
入居受け入れ当時の暴力行為から関わってきた私としては、ここまでケアの力で取り戻せますよ!と示してやりたい。

この方の暴力行為は、ある意味「言語の代わり」だと私はとっている。
他人とのコミュニケーションがうまく取れなくなったので、
テーブルをたたいたり大声で「バカヤロウ」というしか表現が出来なくなっているのではないかとも考えている。
自分の状態表現を言葉では出来ないからだ。
ほとんどのスタッフは遠慮なくたたかれているが、
手加減されているスタッフとどこが違うのかも考えてほしい。
その人にとっていいことをしているから?
嫌なことをする(吸引とか)からといって全ての看護師をめいっぱい嫌わないと思う。

プロとして、自分の施設で最後まで入居を続けられないなどと言いたくない。
ケアレベルを問われているのと同じではないか。           

サロンコンサート

2009-02-21 23:38:40 | Weblog
楽しいことは、あっという間に過ぎてしまう。
45分より5分間オーバーしてしまったが、お客様の反応は良かった!
選曲が時間ギリギリだったので、曲目説明を入れないでおくつもりだったが、
やはり簡単にでもしてよかった!

後半の「フイガロ」は、演技もつけていたので楽しめたようだ。
ほぼ、オペラの舞台と同じ演技。
舞台よりずっと身近で演じているが、フイガロもスザンナ(私)も躊躇はしない。
スザンナの衣装は伯爵夫人が持ってきてくれたのを拝借。
スープレット用の自前のを着るつもりだったが、ずっとかわいいので・・・。
伯爵夫人はオペラ公演を数多く企画しているから、衣装なども保管しているのだ。
演技を本格的につけるなら、衣装もそれらしく、ということになった。
フイガロはチョッキを着けたかったが、合うのが貸し出しているそうで仕方ない。
(並みのサイズじゃないのです)
女性3人は舞台用の化粧。

建物は楕円形のデザインで、半分が図書館。半分が喫茶とリサイクル。
その渡り通路にグランドピアノとテーブルと椅子。
そこを片付けて、椅子を並べて100席ほどの会場を作る。
もちろん、立ち見、通りすがりに立ち止まる、なんでもあり。

後ろ側では受験勉強(?)している中高生らしき姿も。
喫茶でお茶している方もある。
勉強熱心な中高生も、お芝居の誘惑に勝てなかったのか顔はこちらを向いていたらしい。(笑い)
ヤッターッ!こういう楽しみがあるのよね。
目の前でごらん頂いている方がニコニコしながら見てくださっている。

フイナーレは、全員があちこちから歌うので、すぐ横で声を聴くことになる。
響きがない会場なので、どのように聞こえているかが気になった。
恐らく残響なしの生の声だろう。

当市では、別のところでもアマチュアのコンサート企画をしている。
演奏が終わってから、そちらの方から声をかけてくださった。
2時間のコンサート企画の募集があるという。
但し、審査はあるのだが、それはこのコンサートでもテープ審査はしている。
伴奏者の都合と、バリトン君の都合かなあ。
お誘いがあったのは嬉しい。技量を認めてもらったと思うから。

とりあえずは次は大ホールでの合唱祭。
持ち時間8分なので、コジ・フアン・トウッテNo18、シーン後半に決めたが。
伯爵夫人の彼も参加したいと。

ローゴはオペラ!なんちゃって、ね。


老人ホームは条件付き共同生活

2009-02-21 00:22:57 | Weblog
小規模の老人ホームでは、介護度の差が「自立(要支援1)」~「要介護5(寝たきり)」まで存在している。
特に勤務先では、介護度の高い入居者を受け入れしている。

老人ホームは共同生活の場でもあるので、そして女性が多いことから
最も嫌がられるのは周辺症状の強い男性入居者。
本人が暴力行為と思っていない行為でも「たたかれた」「コワイ」となる。
認知症は病状によって外側にでる行動が変わる。
語彙が少なくなってくるので、本人にとったら「コミュニケーション代わり」でも、暴力と取られかねない。

通りすがりに、頭をポン!
とんでもない事件に取り違えられることがある。
誤解が生じないように施設では「こんなことがありました」と全てをされたほうの家族にいち早く話しておく必要がある。
何事もされた方は、話が大きくなるし、そちらも認知症がある場合がある。
コブも発赤さえできていなくても、
「頭がくらくらする」と家族が聞けば、「病院に連れて行かないんだ!」
「隠しているのか!」となるのが人情。
クレーム1件ということになる。

ご自分はしっかりしている!と自信がある入居者や家族は、
言動が不ぞろいな入居者に対して見る目は冷たい。
見る目、どころか、あからさまな批判さえあがる。
「アンナ人、別なところにやっちゃいなさいよ」
そういう人たちの言うことも判らなくはないので、難しいところだ。

もしかしたら、批判しているその人だって、そうならないとは限らないのに・・・。ならないと確信してるんだろうな。


認知症の周辺症状は、服薬調整とケアの関わり方で、ほとんどがクリアできる。
スタッフがどちら向きに性根を据えるかで決まってくるのだ。

トラブルメーカーとなってしまった入居者がいる。
最も大きな原因は、
スタッフのかかわりが新しい入居者たちに向いてしまった(帰宅願望)ために
その人を見る目が減ったという嫉妬心だと思う。
淋しくていられなくなり、空虚な心の穴をふさぎきれないから起きた。

時々話をしていた入居者が亡くなり、ショックを受けて寝込んでしまった人もある。
娘さんと手を携えてのケアを行い、
少しづつ身体を動かしてくれるようになった。


35人と言え、チームの現場ケアに入っているので時間を多く取れない。
書く入居者や家族と介護職以外での関わりを持ち、生かしたいと考えるが、なかなかそういう時間がとれないでいる。
今朝も起床は4時代である。眠い・・・。
いや、昨日の朝になってしまった。

仕事の合間にコンサート

2009-02-19 22:28:32 | Weblog
いよいよ21日は本番。わずか45分のコンサートだが、3ヶ月間(と、いっても月2回なので)楽しく練習できた。

歌っていられて、本番があって、そして、オペラチックナ出し物を入れて・・・
ン十年前に戻った?(笑い)
久しぶりに来訪した本社のスタッフ「えっ!若くなったわね!」だって。
オペラの中だけだけど、フイガロという恋人がいるから。(笑い)
気分は、18歳かな。
舞台で絡みを演じていると、年齢はどっかへ忘れて。
特にスザンナ役は、オペラでは「スープレット」といわれる軽妙に演じ歌うキャラ。身が軽くなければいけません。

狭い会場で、舞台はないし、平土間のままで演技をつけるので、
ホントのぶっつけ。
フイガロが遠慮なしに振り回してくれるので楽。
私、決して小柄じゃないので相手役はぶつかっても倒れないくらいがいい。
オペラの演技は男性が引っ張ってくれないと、いや、支えてくれないと。
時に引きずられ?よろけそうになることも・・・。
フイナーレのやま場、
フイガロを怒って追い掛け回すところは、しっかり歌うのが至難の業。
う~ん、どーしよー。
息が切れるわけじゃないけど、声の支えがなくなるのよね。
そう、飛び跳ねながら歌うようなもの。
オペラは歌をしっかり歌わないといけない。
演技は従だ。
でも、お客様に楽しんでいただきたいので、どっちもやりたい。


もちろん仕事も精一杯、手は抜かない。
楽しく歌っていられれば、仕事で少々何があっても切り抜けられる。