歌う介護士

看取りをしたご入居者から「あなたの声は癒される」と。お一人一人を思い浮かべながら、ずっと歌い続けています。

Aprile・・・四月

2011-03-31 23:43:26 | Weblog
駅傍の歩道、雪柳と馬酔木の花が咲き出した。
見上げると、小さめの白いマグノリアもそろそろ盛り。
草木は春を告げている。

空気はまだ冷たい。
1日からは、通勤電車が復活するらしい。都心までの乗り入れ運転再開だ。



勤務先では入院していた3人の入居者が次々と慌ただしく退院が決まる。
スタッフが受け入れて対応をしていけるかに不安を感じてしまうのは私だけではないだろう。
それでも、医療処置が多くない限りは受け入れる。

よくあること、
病院のソーシャルワーカーの現状説明と情報が現実と異なっていることが多い。
特にADL面では首を傾げるくらい違っています。
「よく説明をきいてくださいね。」とかいわれてしまうけれど、
病棟看護師は聞いても答えてくれないので、自分の目で見て判断するのが一番確実。

信じられるのは【自分の目】。
仕事面でも同じことが言えますよね!
又聞きは個人の判断が入るので、お仕事では私はあまり信用しないことにしています。


デートの申し込みがありました。(笑い)
「たまには話をしに来いよ。」と、お誘いを受け手が開いたところで訪室。
重い持病がある方なので息を切らしながらでしたが、1時間ほどおしゃべり。
戦時中は憧れの海軍だったらしい。
この方、こんなに話す人ではありません。
「疲れませんか?」
肩で息をしているので私も気が気じゃない。
「楽しかった、またきてくれよ。」と、ラブコール。

介護職冥利に突きます。

一度こうして築き挙げた信頼関係は多少のことがあっても崩れなくなります。
今の勤務先で半年。
付き合い方が難しいといわれてきた方々とのコミュニケーションが流れてきました。
ご入居者のほうも半年かけて私を観察してこられたのでしょう。

本をお貸しして読後感想を話題にしてお付き合いしている方もいます。


人生の先輩たちのおかげで、自分の存在の不安定感から少し抜けられたような気がします。

私に出来ることは・・・

2011-03-27 21:00:48 | Weblog
11日の夜から、私の心は沈んだまま。
何をして良いのか、何が出来るのか、つかめないでいる。

勤務先との往復以外、出かけたいとも思わなくなっている。
もともと、趣味が多いわけでもなく、お酒で気を紛らわせることも出来ない。

あるがままに、自然のままに、受け入れるしかない。


通勤できずに自宅待機分を出勤しないとならなくなり、
母のホームへも今日まで行けずにいた。
有料老人ホームという会社は、やむをえない自宅待機でも自己都合と同じ扱いしかしてくれない。
社員の福利厚生からは程遠い会社が多いのです。

この間に、母は100歳を迎えていたけれど、もう誕生日という感覚はあまりないようだ。
スタッフが誕生日カードに「寄せ書き」をしてくれていた。
「あんたにあげようと思って。」と、母が言う。
「アンタも年取ったねえ。」

当たり前じゃない、と言いたいところだけれど・・・言っても聞こえないし。
いつものようにおやつをお皿に取り分ける。
今日は、紅茶ケーキとヨーグルト。

この人を見送るまでは私の役目は終わらない。
もう昔のことになったけれど、
父の入院と両方を見ていたときは、どこかへ消えてしまいたかったなあ・・・。


2週間ぶりに声を出してみる。
自分の心の内側に何かが積もったので、
歌える曲が変わるかもしれない。




いまを生きなければ・・・

2011-03-24 22:19:17 | Weblog
未来はないのです。

地元の公民館は、すべて閉館されています。
地震の影響の点検なのか?
多数が集まるリスクを避けているのか?
別の地域では既に来月末までの閉館を決めたところもあるようです。

平常の話題に切り替えようとしましたが、ツイ考え込んでいる私がいます。

これからの世代の子供たちに大きな負債を負わせてはいけない。

11日からの、怖ろしく悲しい出来事は、
この数十年の繁栄を幻の彼方に押しやってしまった。

私は高齢者のお世話を仕事にしているけれど、
認知症といわれている人たちでも、贅沢をさせてもらっている、と仰る。
「地震があったの?」と、毎日仰る人たちでも、
テレビの画面から、何か異常なことが起きていることはお分かりになる。

「火鉢で、手をあぶって、あったかいねえ、といってた。」
「湯たんぽで、朝はそのお湯で顔を洗った。」
「せいぜいコタツか、アンかだったね」

関東大震災の時は、竹林に逃げ込んで薮蚊がすごくて「蚊帳」をつったらしい。
「親から聞いた」という人。
戦争中には、その「蚊帳」の釣手まで供出したらしい。

「このあたりは米があまり取れなかったから、麦を普段は食べていた」という。
取れても味のよい米ではなかったそうな。
よそへおもたせで行くときは、炊き込みご飯やチラシにしたらしい。

「男は炭焼き、女は養蚕を畑仕事の合間にした」
炭にはクヌギの木が硬くてよい炭が出来るという。

これらの話をするのは、80~90歳の人たち。
でも「蚊帳」は私も知っている。


時代を遡ることは出来ないし、過去が良かったと懐かしむわけではないけれど
私たち一人一人が節約すれば少しは助かる人たちがあるだろう。

勤務先の系列の施設も被災しています。
応援も駆けつけましたが、手が足りないようです。
後輩も応募しました。


どうかどうか、二次災害が起こりませんように・・・、
原発の近くは、幼い頃過ごした懐かしい地です。


一人の食卓

2011-03-22 21:18:21 | Weblog
今日から、まわりの人は西へ向かいました。
東京本社全員の「民族大移動」作戦だそうで・・・。

昨夜のコンサートのお手伝いを一緒に手がけた友人のところも、やはり西へむかうそうです。
お互いに多くもない家族が、それぞれ一人づつ分散。
当分はホテル暮らし、その後は?
ま~ッたく分かりません。

勤め帰りで夕食の支度をする労働からは抜けられ、
今日は昨日の残り物で充分足りてしまいました。

暖かいところで、暖かいものを食べられることに感謝します。


ん、買いだめどころか買い置きする必要もなくなっちゃった。

リサイタルのお手伝いで、少し音楽に浸りたいキモチが復活してきたので、
楽譜でも開いて過ごそうかな。


友人のリサイタルは、イタリア歌曲(トステイ)とカンツオーネ。
彼の得意とするところ。
ん、カンツオーネは手馴れた感じで安心して聞いていられました。
未曾有の災害が起きて10日しか経っていなかったから、随分はらはらしたことと察しられる。
指導を受けている先生もゲスト出演なさっていた。
最近はシャンソニエを中心で歌っておられるらしく、音楽は表現が幅広いと感じました。

先生、もうちょっと彼を目立たせてほしかった・・・、と、私がいう立場にないけど。

闘病中の奥様も受付に立たれて、月曜日は元気だとか。
奥様は彼の「Ideale」(理想の人)。
昔、彼が結婚を申し込んだ頃の話を思い出し、手伝いに来ていた19歳の息子さんに話してあげた。
ご両親も応援に来ておられ、一家そろってのリサイタル。


ホールの職員さんと親しくなり、いろいろと教えていただく。
「ぜひ使ってほしい」といわれてしまった。
こんなことも、あんなことも、出来るんですよ!
そんなことを聞くと、同じホールで歌いたくなるじゃないですか!(笑い)

そして、一息

2011-03-20 23:33:35 | Weblog

今日は、以前からの予定通り、握り寿司パフォーマンスがありました。
写真は、職人さんが前日から準備した華やかな飾り切りの菊や松、珊瑚。


三連休は計画停電も小休止。
申し訳ないけれど、ホッとしています。

施設では、停電の予定時間を外して入浴や食事のサービスをしています。
たった数日なのに、それだけで一日が終わってました。

通勤経路が運行されて出勤してみると、
停電の予定時間がばらばらなので、その日によって食事時間を変えて提供する事に。
7時半に朝食、
11時に昼食、
16時半に夕食、
と、こんな具合です。
別の施設では、一日2回にしたところもあったそうな。

糖尿病など、食事の影響を受ける入居者はいなかったのだろうか?
あまりに早い夕食だと、血糖値をさげる薬を飲んでいると、朝方低血糖がおきやすくなるのではないでしょうか。
現に、うちの施設でもお一人そういう人が出ました。

停電は協力しないといけないのだから、もっと細かくご入居者を見て差し上げないといけないですね。
介護職は医療に関して知識不足だと思います。
たまたま「顔色が青かった」ので「寒いのかと、暖かいものを」と、砂糖入りのホットミルクを飲ませたそうでした。


明日は鶴見の新しいホールへお手伝いに出かけます。
長年の友人、Mさんが初めてのリサイタルをするので。
イタリア歌曲、カンツオーネが中心ですね。
ステージマネージャーと影マイクを担当します。