高き住居(すまい)は児孫(こまご)に和楽(わらく)
想へ(おもえ)惨禍(さんか)の大津浪(おおつなみ)
此処(ここ)より下に 家を建てるな
明治二十九年にも、昭和八年にも津波は此処まで来ては全滅し
生存者、僅かに 前に二人後ろに四人のみ 幾歳(いくとせ) 経る(へる)とも要心あれ
今更ながらに吉村昭氏の「三陸海岸大津波」を読んでます。
氏のフィールド調査は相変わらず、物凄い記録として現代に生かされてるなぁ~と実感。
知識としての津波と、映像で繰り返し流れていた津波がシンクロせずにいましたが…。
文章として追うと。その分、リアリティがあって、津波って物凄く怖いんだ…。
と。抗えない自然への不可抗力と、昨日から続いている微震に慄いてます。
重茂半島にある姉吉地区には、海抜約60メートルの地点に石碑が建ってて。
遺訓を守って、石碑よりも上に家を建ててたのでね。
今回の津波ではみんなが無事だったって記事を読んだとき。
泣けて、泣けて仕方なかったのですよね、わたし…。
子孫を想って建立した石碑が、しっかり子孫を守って命を繋いでいくという
その重みがね。
わたし、子孫のためを思って何かしようとか残そうなんてこれっぽちも
思わない分、随分と短絡的に生きてるんだと思ったらば…。
昔の人は偉かったとよく言うけれど。
ホントに偉かったんだと思う。
昭和8年の三陸沖地震なんてさ、その2年前には満州事変が起きてるじゃない?
世の中が恐ろしく混沌としてた時なんだと思うのよね…。
生きることに命懸けてきたからこその今を。
途絶えさせてはいけないって、わたしなりにね。
少しだけ偉くなりたいと、そんな風に思ったんだ。