評価
再読(前回2017年4月2日)。
1985年8月12日羽田発大阪行日航123便御巣鷹山へ墜落、死者520名生存4名。群馬県の北関東新聞社全権デスクに抜擢された悠木和雅は現場からの突き上げ、社内での軋轢、報道の在り方、親子の葛藤に懊悩しながら情報を送り続けた。読み手の心を揺さぶる傑作長編!
かつての同僚がくも膜下出血に倒れ、御巣鷹の惨状を見て来た若手記者とぶつかり、一面トップの選択で上司と怒鳴り合い、家に帰れば息子とのすれ違い、四面楚歌の中でも同期、後輩の発した声にぐっと来た。
「同期じゃねえか。俺たち同期だろうが。一人で勝手に辞めるな」
「どこへ行ったって、俺たちの日航デスクは悠さんですから」
昨日、ボイスレコーダーの音声を元に墜落までの約30分を再現した動画を見ました。墜落直前まで羽田に航路を取ろうと懸命に操縦する乗務員の声に胸が締め付けられました。娘が生まれてから一月後の忘れらない出来事です。
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