3月22日 読売新聞「編集手帳」
平安神宮のそば、
京都・岡崎の地に日本で2番目の公立美術館が開館したのは1933年秋のことである。
昭和天皇即位の大礼を慶祝する記念事業として発案され、
建設費は市民らの浄財で賄われた。
以来80余年、
年史をめくるとつらい記憶も綴られている。
戦後は進駐軍に接収され、
大陳列室はバスケットボールのコートになった。
美の殿堂に、
兵士が慌ただしく出入りするさまが美術家たちの気持ちに暗い影を落としたのだという。
このたび、
111億円もの巨費を投じて大改修され、
本来ならきのうが再オープンの日だった。
帝冠様式と呼ばれる和洋折衷の外観を生かしつつ、
ガラスをふんだんに用い、
現代的に味付けした種々の空間が、
話題を集めていた。
京の都が最も華やぐ季節が来た。
あちこちで花びらが舞い、
愛
め
でる人らの笑顔も咲く。ほんの数か月前まで、過ぎた喧噪に難渋していた街は今、
言葉にしづらい空気が流れている。
「ほっとした喜びからか、
玄関でしばしぽかんと立ち尽くした」。
6年間の接収後、
美術館を訪れた陶芸家の言葉が染みる。
何事にも終わりはある、
と自らに言い聞かせる。