3月22日 NHK海外ネットワーク
4年前の東日本大震災
そして一昨年 フィリピンに壊滅的な被害をもたらした台風。
2つの被災地の若者同士が交流を深め
自分たちの経験をどう防災に生かしていくか
1年かけて話し合った。
3月15日 国連防災会議の一環として開かれたイベント。
自然災害にどう立ち向かっていけばよいのか
若者たちが自分たちの考えを発表した。
(被災地出身の学生)
「震災を経験した僕がやりたかったのは
被災地の未来やこれからの防災を考えること。」
中心になったのは東日本大震災で被災した4人とフィリピンの台風で被害にあった3人である。
7人はこの1年間 発表に向けて議論を積み重ねてきた。
メンバーの1人 西城国琳さん(22)は
宮城県南三陸町の自宅が津波で流され叔母やいとこら親せき5人を亡くした。
フィリピンの若者と話すうちに“復興にかける思いに変わりはない”と強く感じるようになった。
(西城国琳さん)
「南三陸町はすごくいい場所。
大好き。
その南三陸町から若者がいなくなると将来が不安。
それをどう立て直していくか。」
フィリピンの台風被害からの復興に学べることはないか。
西城さんたちは最大の被災地タクロバンを訪れた。
死者・行方不明者が合わせて7,900人にのぼったフィリピン。
西城さんたちは被災地の住民たちからインフラ整備などが進まない現状を聞いた。
そんな厳しい状況の中でも復興の支えになっているのが大勢の若者たちだった。
西城さんの目には
自分たちの力で新しい家を建てていた若者たちの姿が強烈に焼き付いた。
(西城国琳さん)
「若者の団結力と
若者で社会を作ろうとするパワーがすごく勉強になる。」
帰国した西城さん。
“フィリピンと比べて日本の復興は国からの手厚い支援に支えられている”と気づいた。
(西城国琳さん)
「最初はがれきもあったがかさ上げしている。
インフラの部分はだいぶ復興していると思う。」
しかし“日本には復興に自らかかわろうとする若者が少ないのでは”と感じている。
3月 今度は西城さんが南三陸町にフィリピンの若者たちを迎えた。
向かったのは津波で流された西城さんの自宅の跡地。
思い出がたくさん詰まった家を一瞬で失った恐ろしさを訴えた。
続いて西城さんは家族が暮らす仮設住宅に案内した。
“フィリピンを訪れて初めて気づいたことがある”と伝えた。
(西城国琳さん)
「以前は自分の仮設住宅は狭いと思っていたけど
タクロバンの仮設住宅を見た後は考えを改めた。
私はじゅうぶん恵まれていると思った。」
フィリピンの若者も日本の状況を見て復興への思いを強くした。
(フィリピンの被災者)
「日本の復興のスピードはとても早い。
政府が地域社会をしっかり支えている。
圧倒されました。」
発表当日 西城さんたちは
被災したアジアの若者たちが防災を話し合う会議を定期的に開くことを提案した。
海外の災害でも決して他人事ではない
自分たちの問題だと思って防災に取り組んでいきたい
と考えたからである。
会場の参加者からは
被災した自分の経験を世界のために役立てたいという意見が相次いだ。
(参加者)
「体験を今まで語ることができなかった。
震災から4年たってフェイスブックで投稿できてやっと気持ちの整理がつき始めたので
これからいろんなところに行って
外国や日本国内でもどこでもいいので自分の体験を伝えていこうと思った。」
会場の若者たちの熱意に西城さんは勇気づけられた。
(西城国琳さん)
「みんな心の中にはすごく熱いものを秘めていると改めて感じた。
みんな頑張ろうとしているんだなというのがすごく伝わってきた。
世界を変えていくのは若者なので世界中の若者をつなげていきたい。
使命感と負けていられないというのは強いですね。」