1月16日 おはよう日本
「愛のコリーダ」や「戦場のメリークリスマス」などの作品で国際的にも知られた
映画監督の大島渚さんが15日 肺炎のため亡くなった。
大島渚さんは京都府の出身で京都大学を卒業した後
昭和29年 助監督として映画会社の松竹に入った。
入社からわずか5年という異例の速さで監督になった。
(大島渚さん)
「みんなが同じように時代に対する怒りを持っていた。
その中で僕は一番そのことに自覚的だった。」
大島さんが昭和51年に監督した映画「愛のコリーダ」。
男女の究極の愛の姿を独特の映像美でえがいた。
映画の脚本や写真が掲載された本がわいせつ文書とされ
大島さんは表現の自由を訴え続け裁判で戦い続けた。
裁判では無罪。
(昭和57年 大島渚さん)
「当然とは思っていたがうれしい。
有罪が出るとすればむちゃくちゃだと思っていたから
そういう意味で一応良識があった。」
「愛のコリーダ」で助監督を務めた映画監督の崔洋一さんは
大島渚さんから監督としての姿勢を学んだ。
(映画監督 崔洋一さん)
「“闘うことをやめるな”ということ。
“自分が映画監督として撮りつづけないと闘えない”
強くメッセージとして受け止めている。」
太平洋戦争中の日本軍の捕虜収容所を舞台にした映画
「戦場のメリークリスマス」(1983)。
日本とイギリスなど4か国の合作映画で
坂本龍一さんとデビッド・ボウイさんとの同性愛
捕虜を処刑するシーンが世界的に大きな話題を振りまいた。
大島渚さんはテレビの討論番組やワイドショーにも数多く出演し
歯に衣着せぬ発言が強い印象を残した。
(ジャーナリスト 田原総一朗さん)
「まったくタブーがない。
言いたいことを言う。
コンプライアンス(法令順守)なんて吹っ飛ばせと。
兄貴です。
怖いけど力強い。
何でも言える。
けんかもできる。
そういう兄貴だった。」
平成8年に脳出血で倒れ一時右半身不随になった。
監督に復帰したものの
平成18年 映画に出演したころから公の場に姿を見せることは少なくなった。
大島さんは妻で女優の小山明子さんの看病のもと神奈川県内の病院に入院していたが
15日午後 肺炎のため亡くなった。
(大島渚さん)
「最前線でありとあらゆる敵の鉄砲の弾が飛んでくる場所というのは
つらいが逆にそれが生きがい。
最前線に生きる映画監督がいたということは残したと思う。」