10月9日 NHK[おはよう日本」
高知県の農業高校に「りん」と名付けられたメスのアイドル犬がいる。
学校にやってきて15年。
老化で体力に衰えも見えるなか体育祭で奮闘したりんの1日。
高知県南国市の高知農業高校で飼われている「りん」。
教職員名簿にも立派に名前を連ねる。
所属は畜産総合科。
学校にやってきて15年。
先生の中でいちばんの古株である。
りんが大好きなのは放課後のお散歩。
当番を決めていなくても生徒の誰かが必ずやってきて毎日散歩に出かける。
学校中の人気者のりん。
ごはんの前にはしゃべる特技も見せてくれる。
「ゴハン(りんの声)」。
(生徒)
「かわいいです。
癒されます。」
「家族のような存在です。」
りんは初めは捨て犬だった。
15年前
学校のとなりにある水路で流されていたところを助けられて飼われるようになった。
その恩を返すように
りんは活躍する。
学校行事では苦情を聴く係として愛嬌を振りまき
子豚が生まれた時にはお世話役になった。
しかし人間でいうと80歳以上になったりん。
左目は加齢による白内障で見えなくなった。
1日のほとんどを寝て過ごしている。
りんの1年後輩だという松岡先生。
(高知農業高校 松岡教諭)
「最近はいろんな所に出るのが面倒になっているみたいで
外に出たがらなくなりましたね。
おばあちゃんですね やっぱり。」
そんな りんに大仕事の日がやって来た。
農業高校名物の体育祭である。
りんが出場するのは“動物の借りもの競争”。
走者は生徒たちが普段から世話をしている豚や牛たち。
毎日生徒と散歩しているりんとしては負けられないが
気温は30度。
暑さが体にこたえる。
「がんばってね。」
さすが学校のアイドル。
たくさんの生徒が応援に来てくれた。
「がんばれ!
おばあちゃん。
精一杯がんばってくれたら。」
さあスタート!
生徒たちが相棒の動物を迎えに来る。
りん ゴールに向かって全力疾走!
結果はポニーに続いて2位。
大健闘の走りだった。
(一緒に走った生徒)
「元気でした。
おれが置いていかれましたね。」
(生徒)
「これからもずっとりんちゃんは畜産課のアイドルなんで
これからもアイドルとしてがんばってもらえたらと思います。
あと かわいいので
ぜひ見に来てください。」
「よくやった!
よくやったぞ!」
生徒たちに命の輝きを伝えるりん。
いくつになっても学校のアイドルである。
10月8日 NHKBS1「国際報道2019」
カメルーン出身ウェイトリフティング選手 シリル・チャチェットさん。
かつてはカメルーン代表として国際大会で活躍し
オリンピック出場も有望視されていた。
しかし母国での迫害を恐れて19歳でイギリスに逃れ
オリンピック出場の夢を絶たれてしまった。
そんななかシリルさんがいま望みを託すのは
東京オリンピックでも結成が決まっている難民選手団である。
6月 イギリス コベントリーで開催されたウェイトリフティングの大会。
カメルーン出身で難民のシリル・チャチェットさん(24)。
イギリス国内記録の3度目の更新である。
(シリル・チャチェットさん)
「良い結果で満足しています。
技を磨いてもっと強くなりたいです。」
いまシリルさんはロンドンのアパートで友人とルームシェアをして暮らしている。
ウェイトリフティングの練習は週5日。
市内にあるトレーニング施設で行っている。
シリルさんがウェイトリフティングを始めたのは14歳の時である。
その後 才能を開花させ国の代表として国際大会に出場するようになり
18歳の時アフリカ・ジュニア選手権で優勝を果たした。
シリルさんの母国カメルーン。
1982年に就任したビア大統領による強権的な政治体制が続いている。
少しでも政府に批判的な人たちに対して投獄を行なったり弾圧を加えていると
アメリカ国務省の報告書などが指摘している。
5年前
19歳の時カメルーン代表として国際大会に出場するためにやってきたイギリス。
シリルさんは国に戻れば迫害を受ける恐れがあると感じて
選手村から着の身着のままで逃げだした。
そのとき持ち出したものを今も大切に持ち続けている。
(シリル・チャチェットさん)
「この靴がないとウェイトリフティングはできません。
逃げる時もこの靴だけは手放せませんでした。」
片時も忘れたことがない母国への思い。
それでも逃れた理由については公にすることが出来ないという。
(シリル・チャチェットさん)
「家族はみんなカメルーンにいます。
家族に危険が及ぶといけないので
何が起こったのか詳しくは話せません。」
イギリスでは頼れる知り合いも誰もいなかった。
わずかな所持金でビスケットを買い飢えをしのいだ。
「ひどい匂いでしたがここで寝るしかなかったんです。」
警察などに見つかれば国に強制送還得ると思い
助けを求めることもできなかった。
自殺も考えたという。
(シリル・チャチェットさん)
「カメルーンに帰る?
そんな選択肢はなかったです。
将来が見えずに死ぬしかないと思っていました。」
ホームレスになって2か月後
警察に拘束され移民収容所に送られた。
しかし拘束されて初めて難民申請できることを知った。
その後 難民の保護施設に入ったシリルさん。
難民として認定されるのか
強制送還されるのか
不安な日々を過ごす中で
近くにウェイトリフティングジムがあることを知った。
居ても立ってもいられずジムを訪れた。
もくもくとバーベルを上げ続けるシリルさん。
ウェイトリフティングをしているときだけが不安を忘れることが出来たという。
(シリル・チャチェットさん)
「日常を取り戻したい。
強かった自分に戻りたい。
練習し成果を出すことでとリフティング好きのただの若者に戻れました。」
そしてイギリスに逃れて1年半後
ようやく難民として認定された。
いまシリルさんは精神科の看護師になるという新たな夢も見つけた。
難民認定を待つあいだに軽いうつ病を患い
そこから立ち直った経験を生かしたいと考えたからである。
シリルさんは奨学金を得て大学で学んでいる。
この日は患者とのやりとりを想定した実習を行っている。
「ちょっと見せて
何かありました?」
「衝動的に手首を切ってしまいました。」
(シリル・チャチェットさん)
「困っている人の助けになりたいです。
社会の役に立てるのは本当にうれしいです。」
看護師という新たな夢に向かい始めたシリルさん。
ウェイトリフティングの選手としては難民であるが故の苦難に直面していた。
イギリス国際オープン。
海外の有力選手らが参加した。
シリルさんは出場した102キロ級でイギリス記録を出し
すべての参加者の中で最高の記録を出した。
(司会者)
「優勝はエストニアのレホ・ペン選手です。」
しかし優勝したのは2番目の記録を残した選手だった。
難民の国際大会への参加を
国際ウェイトリフティング連盟は正式に受け入れたわけではない。
今回シリルさんの記録はイギリスの国内記録にはなるものの
国際大会の記録としては残らないのである。
Q.エストニアの国歌を聴いてどんな気持ち?
(シリル・チャチェットさん)
「自分よりも記録が下回る選手が金メダルなのはとても悔しいです。
残念ですがどうしようもありません。」
そんなシリルさんの今の望みは
リオデジャネイロ・オリンピックに続き
東京オリンピックでっも結成が決まっている難民選手団に選ばれることである。
この日シリルさんが見ていたのは
IOC(国際オリンピック委員会)が発表した難民選手団の候補者リスト。
「カメルーン出身のシリル・チャチェット。」
シリルさんの名前がその中にあった。
IOCが最終的に難民選手団の代表選手を決定するのは来年6月。
シリルさんの挑戦は続く。
(シリル・チャチェットん)
「オリンピックに出られれば
難民でも何かを達成できることを示せます。
今がつらくても明日はよくなるかもしれない。
難民に希望を持ってほしいと伝えたいのです。」