鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉の古代 6

2010年11月27日 | 鎌倉の古代
武蔵国衙の場所は、、
新野脇屋遺跡群から東の上遺跡を経て鎌倉へ向かう赤いラインと、初期の方針を変え江ノ島を目指したラインの中間地点に有るのです。
武蔵国衙としては、赤でも黄色ラインでも問題ない!!
武蔵国衙が目的地なら直線を曲げる必要は無い筈です。なぜ方針を変えたのか?

 今回の図は「鎌倉の古代 4」の
赤いラインで示された新田郡衙から鎌倉天園までの地形断面図です。
新田郡衙から武蔵国衙までの起伏の数の少なさ及び緩さと比較し、、、
武蔵国衙より鎌倉天園への起伏の多さと、起伏が険しい状態を示したものです。

文献は無い、発掘遺構も少ない。
だったら、、どの様に調べたら良いのか??
大概は、この辺りから根拠の薄弱な憶測が始まる。
その憶測に反論する証拠も根拠も無く、、年月が加わり定説になる。

憶測の呪縛から抜けだすには、自分が古代人に成った想定で、自身が考えればよい。
発想が正しければ、考えた場所にそれなりの痕跡が見つかる!!
古代人も同じ考えで行動した事の証拠になります。
その痕跡は、自分の描いた想定と比べ、どの様な違いが有るのか?
それが、程度を知る事に繋がる。
単なる知識の吸収とは違い、自分で納得する様に考える事が大人のお遊びです。
程度が判らないと、妄想が激しく、、、実際と合わなくなる。

古代人は、新田郡衙から東の上遺構まで順調に道路を造ったが、
其処から鎌倉へは山が多く、今迄の様な道が造れない事が判った!
問題は、、、貴方が造るのを任されたら、この問題をどの様に解決するか?
今回は、武蔵国衙以北の平坦地と、以南の鎌倉へ道を造る困難さを示す図です。
多摩川から鎌倉に向けて道を造るのは、山谷の多さと起伏の落差が大きい状態をじ示す図です!
次回は、 その解決策です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする