評価点:93点/2014年/アメリカ/132分
監督:クリント・イーストウッド
まるで神に選ばれたかのような結末。
クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)はアメリカ大使館爆破テロをテレビで見て、アメリカ軍に入隊することを決意する。
もともと射撃に長けていた彼は、ネイビー・シールズの狙撃手としてイラク戦争へ赴くことになる。
目の前に繰り広げられるのは、兵士だけが戦争にかり出されるのではなく、だれもが地雷とライフルを持ってテロを起こし続ける不毛な戦闘だった。
彼はその冷静な判断でアメリカ軍からレジェンドと呼ばれ、テロ組織からも賞金が賭けられるほど有名となっていく。
アメリカのアカデミー賞の受賞を狙って年末に1週間だけ公開されたというイーストウッドの伝記映画だ。
クリス・カイルその人の伝記に基づいた、半生を描く。
しかし、映画の企画段階ではなかったラストが、史実の更新とともに変更された。
クリス・カイルが殺されてしまったのだ。
かくしてこの映画は、名実ともに、神の領域に達する、なにものにも犯されないほどの名作となってしまった。
この映画を観ていると、全て神に仕組まれたのではないかと思わせる、完璧なラストだ。
係争中でもある、この作品にアカデミー賞の作品賞は受賞できない。
だからこそ、この作品は作品賞を冠することができないほど、完成度の高い映画なのだ。
この春、観るべき映画はこれ以外にない。
▼以下はネタバレあり▼
ほとんど予備知識無しで見にいった。
かなり疲れていたし、予備知識を手に入れるほどの時間と心の余裕がなかったためだ。
それが功を奏したのかもしれない。
私にはどう考えてもこれが人が作らせた映画という一つの作品には思えない。
人を越えた何者かが、脚本家と監督にこの映画を撮らせたのではないかと思わずにはいられない。
ちなみに、私は予備知識なしで見たので、当然この映画が史実かどうか、どれだけリアリティがあるのかについては論じるつもりはない。
きっと原作(伝記)とは違っているだろうし、どれだけそれがくみ上げられて奪胎されているかもわからない。
問題はこの映画そのものの完成度の高さを論じたいのだ。
話はとてもシンプルだ。
そして丁寧に描かれている。
なぜこの映画が保守派などから「戦争を賛美している」ことになるのか理解できない。
この映画にある強烈なメッセージが、「インターステラー」でも描けなかった、巨大すぎる空虚であることは明確なのに。
世の中は三つの人間しかいない。
羊、狼、番犬だ。
オレは羊を育てるつもりはない。
父親にそう言われて育ったクリスは、大使館のテロをニュースで見たとき、自分のギフト(天賦の才)を思い出す。
カウボーイにはなれない。
それならば、軍隊に入隊して、国を守ろう。
それはまさに、狼から守る、番犬であろうという決意だった。
周りが脱落しても、30歳になった彼がそれでもやり通したのは、強い愛国心からだった。
そして、彼は目の当たりにする。
9.11の同時多発テロをテレビでアメリカが新しい闘いへと移行したことを。
彼の思考、彼の感情は、そのままアメリカの隠喩ではないかと思われるほど、「当時のアメリカ」を描いている。
そこには強い怒りと使命感と、正義感があった。
だから必然的に、イラクへ派兵され、そしてたぐいまれなるその才能を発揮する。
彼は都合4回の派兵で、160人以上のテロリストを殺害した。
敵兵からも恐れられる狙撃手となった。
しかし、かれは次第に羊、狼、番犬の境が見えなくなっていく。
仲間が倒れ、標的に「一般人」が増え、彼の信じていた大儀がふっと見えなくなる。
その決定的だった出来事が、戦友だったビクルスが手術の失敗によって死んでしまったと聞かされたときだった。
守るべき羊はだれなのか。
狩るべき狼はだれなのか。
自分たちは本当に番犬だったのか。
彼は戦場で「揺らぎ」と「迷い」を経験する。
確固たるものがあったはずなのに、急にそれがぐらぐらしてしまう。
人を殺すという生業に迷いが生じてしまえばそれは兵士ではない。
彼は「戦場はイラクにある」と考えていた。
だからアメリカに帰ってきてもどこかなじめない危機感と緊張感を取り去ることができなかった。
何もしていない自分は、仲間を見殺しにしているのではないかという焦燥感があった。
また、周囲もイラク戦争などなかったかのような振る舞いにいらだちを隠せずにいた。
「なぜこれほどの国の危機に皆は無関心に笑っていられるのか」と。
しかし、4度目の派兵の時、彼はその区別さえも見失ってしまう。
つまり、戦場はイラクだけではない、ということがはっきりと感じられたのだ。
そしてそれは、アメリカが「イラク戦争の限界」を意識し始めたころと同じだった。
この映画がすごいのは、彼の心情の変化が、そのままアメリカやアメリカ軍のメタファーになっているという点だ。
9.11にしても、イラク派兵にしても、彼が感じたことはそのまま当時のアメリカが感じたことと重なる。
怒り、不安、使命、疲弊、そして絶望。
アメリカは世界の番犬であると自負していた。
しかし、イスラム過激派たちがしかけてくる攻撃は、単なる狼の狩りではなかった。
宗教戦争? エネルギーの利権争い? さまざまな側面からこの戦争を切り取ることができるだろう。
けれども、その一つとして、「自由」を求める「善」の行いという側面でも切り取ることができる。
彼(あるいは彼ら)が行使したのは、正義だったのか。
正義として信じていたものは何だったのか。
彼はそれに迷い、退役軍人として新たな人生を歩むことになる。
だが、この映画が神に導かれたとしか考えられないのはエンドロールにある。
クリス・カイルは殺されてしまった。
しかも、相手を救おうとしていた同じ退役軍人に殺されてしまったのだ。
もう一度書く。
クリスは、少なくともこの映画の中では、アメリカの象徴そのものだった。
その彼は、アメリカ国内の「羊」に殺されてしまったのだ。
いや、事実の真偽を問いたいのではない。
アメリカの正義が何者だったのか。
この映画が何を訴えようとしているのか。
それは明確だ。
これが戦争賛歌の映画になるはずがない。
この強烈なメッセージをアメリカはまともに受け取ることができない。
あまりにも強烈なアイロニーだからだ。
だからイーストウッドにオスカー象なんてとんでもない。
作品賞なんてもってのほかだ。
だから、それゆえに、この映画は神に選ばれた完璧な映画になったのだ。
「これだけ完成度が高く無視できないのに、賞一つまともに与えられない」
この事実によって、この映画は最高の栄誉を得たのだ。
管理人様のおっしゃるとおり、ただの戦争賛美の映画ではないような印象を受けました。むしろ戦争によってトラウマを背負った人の姿が主題のひとつであったと思います。ただ、クリスの「俺は見て見ぬふりをするような人間にはなりたくない」(たしかこんな台詞)には、日本のような国に向けてのメッセージが込められているような気がしてドキッとしました。
育児と仕事の板挟み。
でも、かわいいから許す。
>おゆばさん
書き込みありがとうございます。
アメリカ人の多くも、イラク戦争が長くなるについれて、傍観者になっていったのだと思います。
私には、イラク戦争が正しかったのか、よくわかりませんが、ただアメリカは正義を振りかざすだけのモチベーションを失っていったのでしょう。
そして、単純に「疲れた」のだと思います。
闘いに疲れ、大儀に疲れ、正当化に疲れたのだと思います。
そこには羊はいなかった。
狼もいなかった。
自分たちは本当に番犬として闘うだけの大儀をもっているのか。
アメリカがそうなのだから、日本はもっと傍観者でしょう。
だからといって、積極的に参加するべきなのかといえばそれも違う気がしますが。