評価点:50点/2001/アメリカ
監督:ポール・W・S・アンダーソン
女スティーブン・セガールによる同名ゲームの映画化。
巨大企業アンブレラ社は、有名な日用品以外にも、極秘で細菌兵器の開発を進めていた。
その研究所は、ラクーンシティの地下にあった。
しかし、人工知能「レッド・クイーン」が緊急事態を発令、開発中の「T-ウイルス」の外部への漏洩を防ぐため、
研究員500人全員をハロンガスにより殺害した。
緊急事態に対処するため、アンブレラは私設特殊部隊を派遣、
「レッド・クイーン」のシャット・ダウンに向かう。
アリス(ミラ・ジョボビッチ)は、その秘密施設の入り口である館で部隊に発見されるが、ガスにより一時的な記憶喪失に陥っていた。
アリスらは、任務のシャット・ダウンには成功したものの、扉のロックが解除された直後、
死体になったはずの研究員たちが、ゾンビになって襲ってきたのだった。
▼以下はネタバレあり▼
昔、ゲームのバイオ・ハザードをやったことがあるので、世界観や、設定はだいたい理解できた。
おおむねゲームの設定に近く、映画化したことによって生まれる、ため息は少なかったと思う。
やはり、人間が狂い、襲ってくるという「ゾンビ」タイプの映画は、面白いし、素直に怖いと思えるから良い。
アメリカ映画でここまで忠実に日本のゲームを映画化してくれたことだけでもうれしい。
「いや、忠実じゃないよ!」というツッコミはあるだろう。
けれど、ケルベロスや、死んだ顔見知りが生き返って殺しに来るというシリーズの醍醐味は、きちんと活かされていると思う。
全体的には、おもしろかったし、裏切られると思っていたことを考えれば、充分合格点に届くのではないだろうか。
でも、明らかにこの映画は失敗している部分がいくつかある。
まず、コンピューターが、「敵」である点。
「エイリアン」に代表とされるように、こうした近代型の閉鎖的なホラー映画は、
コンピューターが主人公たちの行く手を阻む場合が多い。
しかし、この映画では、完全に敵側にまわり、しかも「スイッチを切れば、あなたたちは死ぬわよ」などと、
少女の逆なでする声で、主人公たちと観客をムカつかせてくる。
終いには、「助けてあげるには、条件がある」と交渉までしてくる。
ゾンビや、事件を起こした犯人を追い詰めなければいけない状況にある、
主人公と、観客(誰かを敵視することによって、物語に参加するという意味において)に、
余計な雑音を吹き込む、この人工知能は、全く持って不必要だ。
「エイリアン」では、無機質なコンピューターが、プログラミングされた内容をただ述べていくという「キャラクター」だったのに対し、
本作では、明らかに人間に「敵対」する。
これでは、主人公たち(観客)が考えなければいけない相手が増え、ゾンビや真犯人への関心が薄れてしまう。
研究室というインテリジェンスな空間を支配しているコンピューターの自我が、クソガキでは、あまりにも酷い。
研究者がキレなかったのかどうか、知りたいところだ。
セキュリティのためとは言え、シャット・ダウンしにきた隊員たちを、レーザーで何人も殺してしまうようなコンピューターは、
明らかに「ウイルス汚染」されているような気がするが、どうだろう。
映画的にも、あそこで、大量に隊員が死んでしまうのは、違和感がある。
二つ目。
ラストの終わり方が、つらい。
二作目を見越してのことだろうが、緊張からの開放、即ち、カタルシスが得られないということは、ホラー映画にとって致命的だ。
これだけ様々な演出をもちいてストレスを強いてきたのに、すっきりして映画館を出られないのは、映画としてマイナスだ。
しかも、ラストで白い防護服を着た人間が登場するのも、唐突だ。
「助けは来ない」「ウイルスの漏洩は避けなければいけない」といっておきながら、
ちゃっかりアンブレラは、次の研究手段を講じている。
運ばれる先は、一般の病院。
秘密主義がいつ崩壊したか、きちんと説明してほしいところだ。
それがゾンビ映画なのだといえばそれまでだろう。
だが、あまりに唐突な、不可解な終わり方に首を傾げるばかりだ。
三つ目。
あえて最後にもってきたのだが、主人公のミラ・ジョボビッチ。
彼女のせいで、「バイオ・ハザード」の世界観さえも壊しかねないくらい、危険な存在だ。
おそらく、ここまで酷くなったのは、演じたミラだけのせいではないだろう。
彼女の設定自体に、かなり無理があり、余計にひどくなってしまった。
まずはその設定をみてみようか。
アリスは、アンブレラ社の私設特殊部隊の一員であり、身分をスペンスの夫人と偽り、研究所「ハイブ」の入り口であった館を警備していた。
しかし、ハロンガスによって記憶を失い、以後、記憶をたどりながら部隊に参加することになる。
やがて、記憶が徐々に戻り始め、彼女はアンブレラ社の研究内容を暴露するため
「T-ウイルス」を外部に渡そうとしていたが、スペンスに先を越されてしまい、
彼がウイルスとその抗ウイルスを盗まれてしまったという事実を思い出す。
スペンスは、そのウイルスを独占するため、研究所を汚染、貨物車で持ち去ろうとしたが、
セキュリティ・システムによって眠らされてしまったというわけだ。
アリスは、特殊部隊の一員でありながら、記憶喪失のために、
彼女の記憶を手繰り寄せることが物語の真相への手続きになってしまい、観客が「参加」する余地を失ってしまった。
真相を追求する彼女と、それを傍観する観客の間に溝が生まれ、
謎を解明していく手続きが非常に淡白で、無味乾燥なものになってしまった。
これによって、物語が「なぜだかわからないくらい強い」彼女に、
引っ張られてしまい、観客は取り残されてしまう。
しかも、彼女は、筋肉隆々ではなく、肩から足までストンの、普通の「細い女」だ
(それはヒロインにはあるはずの、バストもないことを意味している)。
その彼女が、ケルベロス(犬のゾンビ)に躊躇いもなく蹴りをかます姿は、あまりに異常であり、ホラー映画の緊迫感も打ち消してしまう。
ストーリーが線になりつながったとしても、それは後半。
すでに映画は「バイオ・ハザード」ではなくなり、アクション映画になってしまっているころだ。
そうした設定に加えて、彼女は、狂ったようにゾンビの首をボキボキいわす。
そして彼女は、全く不安な様子を見せることもなく、どんどん進んでいく。
彼女をたとえるなら、「女スティーブン・セガール」だ。
あの状況下にあって、まったく血も流さないし、汗もかかない。
100倍は強そうな、ミシェル・ロドリゲス(レイン役)の方は、疲労困憊、虫の息で全力投球。
対するミラは、ゾンビなんて何? と言わんばかりに、状況無視の元気100倍。
ゲームと比べるのは良くないのはわかっているが、ゲームでは銃をいかにして手に入れ、それを使わないで進むかが、醍醐味だった。
主人公が警察官になってもそれは同じだ。
蹴りで問題を解決することはありえない。
彼女がゾンビの首をひねるとき、「ゾンビに触れたくない」という素振りが一瞬でもあっただろうか。
彼女のその強すぎる個性のために、この映画の一貫性が薄れてしまった。
ミラを描きたかったのか、
ゾンビが人々を襲ってくる恐怖を描きたかったのか、
人間を逆なでする少女コンピューターを描きたかったのか。
まったくもって不明である。
脚本家とキャスティングによって、B級映画になってしまった感は否めない。
出演を熱望したという、ミラと、それを承諾したプロデューサーは、
「バイオ・ハザード」をなにか勘違いしていることは間違いない。
悪くない映画なだけに、残念。
とは言え、ラストがラストなだけに、早く続編が観たい。
そして、ミラをキャストからはずしてくれ。
(2003/11/19執筆)
監督:ポール・W・S・アンダーソン
女スティーブン・セガールによる同名ゲームの映画化。
巨大企業アンブレラ社は、有名な日用品以外にも、極秘で細菌兵器の開発を進めていた。
その研究所は、ラクーンシティの地下にあった。
しかし、人工知能「レッド・クイーン」が緊急事態を発令、開発中の「T-ウイルス」の外部への漏洩を防ぐため、
研究員500人全員をハロンガスにより殺害した。
緊急事態に対処するため、アンブレラは私設特殊部隊を派遣、
「レッド・クイーン」のシャット・ダウンに向かう。
アリス(ミラ・ジョボビッチ)は、その秘密施設の入り口である館で部隊に発見されるが、ガスにより一時的な記憶喪失に陥っていた。
アリスらは、任務のシャット・ダウンには成功したものの、扉のロックが解除された直後、
死体になったはずの研究員たちが、ゾンビになって襲ってきたのだった。
▼以下はネタバレあり▼
昔、ゲームのバイオ・ハザードをやったことがあるので、世界観や、設定はだいたい理解できた。
おおむねゲームの設定に近く、映画化したことによって生まれる、ため息は少なかったと思う。
やはり、人間が狂い、襲ってくるという「ゾンビ」タイプの映画は、面白いし、素直に怖いと思えるから良い。
アメリカ映画でここまで忠実に日本のゲームを映画化してくれたことだけでもうれしい。
「いや、忠実じゃないよ!」というツッコミはあるだろう。
けれど、ケルベロスや、死んだ顔見知りが生き返って殺しに来るというシリーズの醍醐味は、きちんと活かされていると思う。
全体的には、おもしろかったし、裏切られると思っていたことを考えれば、充分合格点に届くのではないだろうか。
でも、明らかにこの映画は失敗している部分がいくつかある。
まず、コンピューターが、「敵」である点。
「エイリアン」に代表とされるように、こうした近代型の閉鎖的なホラー映画は、
コンピューターが主人公たちの行く手を阻む場合が多い。
しかし、この映画では、完全に敵側にまわり、しかも「スイッチを切れば、あなたたちは死ぬわよ」などと、
少女の逆なでする声で、主人公たちと観客をムカつかせてくる。
終いには、「助けてあげるには、条件がある」と交渉までしてくる。
ゾンビや、事件を起こした犯人を追い詰めなければいけない状況にある、
主人公と、観客(誰かを敵視することによって、物語に参加するという意味において)に、
余計な雑音を吹き込む、この人工知能は、全く持って不必要だ。
「エイリアン」では、無機質なコンピューターが、プログラミングされた内容をただ述べていくという「キャラクター」だったのに対し、
本作では、明らかに人間に「敵対」する。
これでは、主人公たち(観客)が考えなければいけない相手が増え、ゾンビや真犯人への関心が薄れてしまう。
研究室というインテリジェンスな空間を支配しているコンピューターの自我が、クソガキでは、あまりにも酷い。
研究者がキレなかったのかどうか、知りたいところだ。
セキュリティのためとは言え、シャット・ダウンしにきた隊員たちを、レーザーで何人も殺してしまうようなコンピューターは、
明らかに「ウイルス汚染」されているような気がするが、どうだろう。
映画的にも、あそこで、大量に隊員が死んでしまうのは、違和感がある。
二つ目。
ラストの終わり方が、つらい。
二作目を見越してのことだろうが、緊張からの開放、即ち、カタルシスが得られないということは、ホラー映画にとって致命的だ。
これだけ様々な演出をもちいてストレスを強いてきたのに、すっきりして映画館を出られないのは、映画としてマイナスだ。
しかも、ラストで白い防護服を着た人間が登場するのも、唐突だ。
「助けは来ない」「ウイルスの漏洩は避けなければいけない」といっておきながら、
ちゃっかりアンブレラは、次の研究手段を講じている。
運ばれる先は、一般の病院。
秘密主義がいつ崩壊したか、きちんと説明してほしいところだ。
それがゾンビ映画なのだといえばそれまでだろう。
だが、あまりに唐突な、不可解な終わり方に首を傾げるばかりだ。
三つ目。
あえて最後にもってきたのだが、主人公のミラ・ジョボビッチ。
彼女のせいで、「バイオ・ハザード」の世界観さえも壊しかねないくらい、危険な存在だ。
おそらく、ここまで酷くなったのは、演じたミラだけのせいではないだろう。
彼女の設定自体に、かなり無理があり、余計にひどくなってしまった。
まずはその設定をみてみようか。
アリスは、アンブレラ社の私設特殊部隊の一員であり、身分をスペンスの夫人と偽り、研究所「ハイブ」の入り口であった館を警備していた。
しかし、ハロンガスによって記憶を失い、以後、記憶をたどりながら部隊に参加することになる。
やがて、記憶が徐々に戻り始め、彼女はアンブレラ社の研究内容を暴露するため
「T-ウイルス」を外部に渡そうとしていたが、スペンスに先を越されてしまい、
彼がウイルスとその抗ウイルスを盗まれてしまったという事実を思い出す。
スペンスは、そのウイルスを独占するため、研究所を汚染、貨物車で持ち去ろうとしたが、
セキュリティ・システムによって眠らされてしまったというわけだ。
アリスは、特殊部隊の一員でありながら、記憶喪失のために、
彼女の記憶を手繰り寄せることが物語の真相への手続きになってしまい、観客が「参加」する余地を失ってしまった。
真相を追求する彼女と、それを傍観する観客の間に溝が生まれ、
謎を解明していく手続きが非常に淡白で、無味乾燥なものになってしまった。
これによって、物語が「なぜだかわからないくらい強い」彼女に、
引っ張られてしまい、観客は取り残されてしまう。
しかも、彼女は、筋肉隆々ではなく、肩から足までストンの、普通の「細い女」だ
(それはヒロインにはあるはずの、バストもないことを意味している)。
その彼女が、ケルベロス(犬のゾンビ)に躊躇いもなく蹴りをかます姿は、あまりに異常であり、ホラー映画の緊迫感も打ち消してしまう。
ストーリーが線になりつながったとしても、それは後半。
すでに映画は「バイオ・ハザード」ではなくなり、アクション映画になってしまっているころだ。
そうした設定に加えて、彼女は、狂ったようにゾンビの首をボキボキいわす。
そして彼女は、全く不安な様子を見せることもなく、どんどん進んでいく。
彼女をたとえるなら、「女スティーブン・セガール」だ。
あの状況下にあって、まったく血も流さないし、汗もかかない。
100倍は強そうな、ミシェル・ロドリゲス(レイン役)の方は、疲労困憊、虫の息で全力投球。
対するミラは、ゾンビなんて何? と言わんばかりに、状況無視の元気100倍。
ゲームと比べるのは良くないのはわかっているが、ゲームでは銃をいかにして手に入れ、それを使わないで進むかが、醍醐味だった。
主人公が警察官になってもそれは同じだ。
蹴りで問題を解決することはありえない。
彼女がゾンビの首をひねるとき、「ゾンビに触れたくない」という素振りが一瞬でもあっただろうか。
彼女のその強すぎる個性のために、この映画の一貫性が薄れてしまった。
ミラを描きたかったのか、
ゾンビが人々を襲ってくる恐怖を描きたかったのか、
人間を逆なでする少女コンピューターを描きたかったのか。
まったくもって不明である。
脚本家とキャスティングによって、B級映画になってしまった感は否めない。
出演を熱望したという、ミラと、それを承諾したプロデューサーは、
「バイオ・ハザード」をなにか勘違いしていることは間違いない。
悪くない映画なだけに、残念。
とは言え、ラストがラストなだけに、早く続編が観たい。
そして、ミラをキャストからはずしてくれ。
(2003/11/19執筆)
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