secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

セインツ ~約束の果て~

2023-06-27 18:27:50 | 映画(さ)
評価点:77点/2013年/アメリカ/98分

監督・脚本:デヴィッド・ロウリー

まさに西部劇、という感じ。

銀行強盗を試みたボブ(ケイシー・アフレック)と幼なじみのフレディ、ボブの子どもを宿していたルース(ルーニー・マーラー)は、失敗し逃走する。
父親の農場に立てこもっていたところを、ルースの発砲で警官が負傷した。
幼なじみフレディが殺されたことで、ボブは刑務所に入ることを覚悟し、ルースの身代わりに有罪となった。
子どもが生まれ、4年が経ったとき、負傷したあの警官パトリック(ベン・フォスター)が、「ボブが脱獄した」と告げる。

東京大学の元総長で、映画研究者でもある蓮實重彦が、著書の中で絶賛していた作品。
彼は一人この映画の素晴らしさを見抜き、監督にすぐさま英語でファンレターを書いたと言う。
映画は90分で終わらせられる、という蓮實重彦の持論どおり、短い作品になっている。

日本ではあまり話題になっておらず、アマゾンプライムで見ることができたので、鑑賞した。
余談だが、いくつかのサイトでストーリーが結末近くまで説明されていたが、大きな読み間違いがされており、ネットは当てにならないのだと痛感した。

▼以下はネタバレあり▼

ほとんど説明的描写や台詞がないので、途中で設定などが見えてくる。
それでも十分わかるようになっているので、脚本がすばらしいということだろう。
蓮實の文章を読んでからの鑑賞だったので、どうしても指摘されていた部分を意識していたし、そもそも「おもしろいに違いない」と期待していたので、本当に前評判がなかった状態でも同じように評価していたかどうかは定かではない。
けれども、やはりそれでも、とてもおもしろい作品だとは思う。

少し人間関係を整理しておこう。

ボブとフレディは幼なじみで、スケリットが二人の育ての親だった。
スケリットは、フレディの実の親で、銀行強盗が失敗したとき、ボブだけが生き残ったことを無念に思っていた。
かつて裏稼業をしていたスケリットは、二人に犯罪を教えこんだ人だった。
銀行強盗のやり方も、彼が仕込んだのだろう。
ボブはまた、仲間を裏切りながら犯罪をくりかえし、お金をため込んでいた。
だから多くの敵を作り、恨まれていた。

スケリットの店に、賊が訪れて様子をうかがいにくるシークエンスがある。
あの賊らは、ボブの居所を探り、仕返しをしようとしてきた者たちだ。
だから、彼の泣き所になるルースとその娘も人質にとるつもりだったわけだ。
それを察知したスケリットは、彼らに無言の牽制をしていたのだ。

スケリットは、自分の息子が4年前の事件で死んだことで、裏家業を辞めてしまう。
蓄えはあったのだろう、隣にルースと娘を住まわせて、死んでしまった息子の代わりのように面倒を見ていた。
ボブが脱獄したとき、強い口調で彼女たちから離れるように伝えたのは、そうしたプロットからだ。

パトリックはルースに撃たれた警官だが、ルースがそのとき銃を持っていたとは知らない。
ルースに言い寄ろうとするが、彼女は応じようとしない。
それもそのはずで、ルースはボブを愛しているというだけではなく、パトリックに強い罪悪感があるからだ。
すっかりよくなった、と言われても、ボブを刑務所に追いやり、ケガをさせたパトリックとすんなり付き合えるほど彼女は無邪気ではない。

ルースにとって守るべきは、シルヴィーである。
彼女だけが、ボブとの生きた証であり、彼女はボブとの関係よりも娘との関係の方が欠くべからざるものになっている。
そのことをうかがわせるのが、冒頭のシークエンスでボブの元を逃げだそうとしたことだ。
彼女は子どもが生まれるとわかったとき、ボブよりも子どものことを考えていた。
そうでなければ、徒歩で町を出ようとはしなかっただろう。

おもしろいのは、ボブが刑務所にいる間だけ、彼女に平穏が訪れていた、という逆説だ。
そのことにボブは気づかなかった。
ボブは、愛する妻の元に返ることが最大の愛の証だと感じていた。
使命感と言ってもいい。
お金を隠しもっていたが、それは逃走劇を続けるための資金であり、大事なのはルースと一緒にいることだった。
しかし、そのことがかえって周りを不幸にしていく。

物語は典型的な往還の物語だ。
タイトルにあるように、ボブが「セインツ(聖人)」として帰ってくる物語なのである。
それまで自分勝手に、仲間も、義兄弟も、そして恋人さえも蔑ろにしていたボブは、子どもが生まれることで文字通り生まれ変わる。
だが、刑期を終えて戻るという発想は彼にはない。
彼にできることはいち早く脱獄して、いくばくかの蓄えをもとに、静かに暮らすということだけだ。
それが彼にとっての禊ぎであり、愛する方法だった。
ボブは、町に帰ってくることで、純化された存在になる。
ルースと娘のためだけに生きることを覚悟した者になる。

そのあり方はまさに西部劇そのものであり、典型的で伝統的なアメリカ映画ともいえる。

後見人であるスケリットを失ったルースと娘はどのようにして生きていくのか。
やはりパトリックとともに生きて行くには荷が重すぎる。
想像したくなるが、どのような想像もしっくりこない。
そのあたりの余韻も、またおもしろいところだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 遊びと仕事とにある境界 | トップ | インディー・ジョーンズと運... »

コメントを投稿

映画(さ)」カテゴリの最新記事