評価点:73点/2014年/アメリカ・イギリス/134分
監督:デヴィッド・エアー
いかにもきれいな戦争映画。
1945年、ドイツ侵攻を進めていたアメリカ軍は、次々とドイツの都市を制圧していた。
しかし、その闘いは熾烈を極め、アメリカ軍は慢性的な劣勢の中で戦っていた。
ドイツよりもアメリカのほうが兵器のレベルが劣っていたからである。
そんな中、数々の戦果を上げてきた戦車部隊があった。
彼らのボスはドン軍曹(ブラッド・ピット)で、戦車に付けられた名前はフューリー。
レッドと呼ばれた副操縦士が死に、その補充に新兵のノーマン(ローガン・ラーマン)が配属された。
タイピング専門の彼は、前線に赴いたこともないような、新米兵士だった。
彼は過酷な最前線の現場を目の当たりにする……。
ブラッド・ピット主演ということもあり、大々的に予告が流されている。
この冬の目玉作品の一つだろう。
70年ちかく経った、この戦争について、何を語るのか。
戦場の過酷さをどのように伝えるのか。
この作品はつよいメッセージ性はない。
淡々と出来事を描写していく。
プロパガンダが嫌いな人にとっては、楽しめる作品だろう。
戦争映画というよりも、アクション性が強い。
第二次世界大戦という記号性を知らなくても、楽しめる映画になっている。
臨場感ある、映画館で観るのに悪くない作品である。
▼以下はネタバレあり▼
主演はブラッド・ピットだが、視点人物は新米兵士、ノーマンである。
映画はタイピストであるはずの彼が最前線に送られるという「手違い」から始まる。
戦争を体験したことがない観客でも、彼には感情移入することができる。
私たちはまさに、戦場に迷い込んだ素人のようなものだからだ。
そこからはノーマンがいかに戦争を体験するかということが丁寧に描かれる。
いきなり小隊の指揮官を失った部隊は、ドンが繰り上げで指揮官となる。
その原因を作ったのは、ドイツの少年兵を見つけたノーマンだった。
一瞬の判断の遅れによって、部隊は窮地に立たされてしまう。
ノーマンは戦場にいながら残虐な闘いからどうしてもセンチメンタルな感情を抱いてしまう。
どっぷり戦場に浸かった他の隊員とは違って、彼はどこか「よそ者」の視点で闘いを見つめる。
終盤、荒くれ者のクーンアスが「お前はいいやつだ。俺たちは違うがな」と言うのは、そういう意味だろう。
彼にはどこか戦場にそぐわない視点をもった人間なのだ。
その最たる場面が、ドイツの住人であるエマ(アリシア・フォン・リットベルク)との出会いである。
彼は戦場という日常から逃れるため、一人の少女に出会う。
それは出会ったというより、見つけたといったほうが正確だろう。
彼はこの悲惨な第二次世界大戦の最中でも、「平和な日常」を掘り起こしたかったのだ。
しかし、彼女もまた、一瞬にして殺されてしまう。
ノーマンが一人の兵士になる瞬間である。
戦争は何もかも奪う。
相手からも、味方からも。
そこには善悪の判断はなく、生死の区別しかない。
そのことを感覚的に知るのだ。
そして、ドイツの最新型戦車ティーガーとシャーマンとの戦闘になる。
博物館から借用したという実際の実物を用いたこの場面は、この映画随一の見せ場となる。
それぞれの人物がある程度見えてきたところでの戦闘で、まさに手に汗握る場面である。
その見せ場を越えたときに、ノーマンがドンの決意に応じることが違和感なく受け取れるようになる。
この一戦によって、彼は一人の使命を帯びた兵士となり、命令を果たすことがいかに大切であるかを知るのだ。
そしてもちろん、闘って勝つ喜びを知ったのも、このときなのだ。
1台の壊れた戦車で、たった5人で、クロスロードを守るという使命はあまりにも無謀な作戦なのかもしれない。
けれども、5人はその命令を完遂することを決める。
このまま5人とも死んでしまえば、この物語は「架空」になってしまう。
つまりこの出来事を語る人間がいないわけだから全ては想像に過ぎなくなってしまうわけだ。
しかし、ノーマンを残すことで、この物語がリアリティをもって語られた「事実」のように受け取ることができるようになる。
語り(ナレーション)を挿入しているわけではない。
ノーマンを残すことで、語りやテロップで「この話は事実に基づいている」なんて書かなくても、リアリティが出るわけだ。
上手いラストだと思う。
絵に描いたような展開だ。
おもしろい。
けれども、すべてが予定調和の中で進み、期待通りにノーマンだけが生き残る。
ドイツに配慮したのか、ノーマンを見つけたドイツ兵は何も言わずに立ち去る。
戦場にありがちなセンチメンタリズムなのかもしれないが、それもやはり「ありがち」だ。
私はこの映画を観ながら、高い〈同化効果〉を持ちながら、〈異化効果〉は薄いと感じた。
すべてのキャラクターが「ありがち」なキャラクターで、驚きも新しさもない。
あの戦闘から70年経っているが、その遡及的な言及もない。
なぜ、今、この戦争を語り直すのか。
その視点がなく、たんなる戦争アクション映画になってしまっている。
いや、新しければいいというわけではない。
残酷な描写があればいいというものでもない。
ただ、それなら他の作品でも良かったのではないか、と思えてしまう。
物足りない、というのが正直な感想だ。
監督:デヴィッド・エアー
いかにもきれいな戦争映画。
1945年、ドイツ侵攻を進めていたアメリカ軍は、次々とドイツの都市を制圧していた。
しかし、その闘いは熾烈を極め、アメリカ軍は慢性的な劣勢の中で戦っていた。
ドイツよりもアメリカのほうが兵器のレベルが劣っていたからである。
そんな中、数々の戦果を上げてきた戦車部隊があった。
彼らのボスはドン軍曹(ブラッド・ピット)で、戦車に付けられた名前はフューリー。
レッドと呼ばれた副操縦士が死に、その補充に新兵のノーマン(ローガン・ラーマン)が配属された。
タイピング専門の彼は、前線に赴いたこともないような、新米兵士だった。
彼は過酷な最前線の現場を目の当たりにする……。
ブラッド・ピット主演ということもあり、大々的に予告が流されている。
この冬の目玉作品の一つだろう。
70年ちかく経った、この戦争について、何を語るのか。
戦場の過酷さをどのように伝えるのか。
この作品はつよいメッセージ性はない。
淡々と出来事を描写していく。
プロパガンダが嫌いな人にとっては、楽しめる作品だろう。
戦争映画というよりも、アクション性が強い。
第二次世界大戦という記号性を知らなくても、楽しめる映画になっている。
臨場感ある、映画館で観るのに悪くない作品である。
▼以下はネタバレあり▼
主演はブラッド・ピットだが、視点人物は新米兵士、ノーマンである。
映画はタイピストであるはずの彼が最前線に送られるという「手違い」から始まる。
戦争を体験したことがない観客でも、彼には感情移入することができる。
私たちはまさに、戦場に迷い込んだ素人のようなものだからだ。
そこからはノーマンがいかに戦争を体験するかということが丁寧に描かれる。
いきなり小隊の指揮官を失った部隊は、ドンが繰り上げで指揮官となる。
その原因を作ったのは、ドイツの少年兵を見つけたノーマンだった。
一瞬の判断の遅れによって、部隊は窮地に立たされてしまう。
ノーマンは戦場にいながら残虐な闘いからどうしてもセンチメンタルな感情を抱いてしまう。
どっぷり戦場に浸かった他の隊員とは違って、彼はどこか「よそ者」の視点で闘いを見つめる。
終盤、荒くれ者のクーンアスが「お前はいいやつだ。俺たちは違うがな」と言うのは、そういう意味だろう。
彼にはどこか戦場にそぐわない視点をもった人間なのだ。
その最たる場面が、ドイツの住人であるエマ(アリシア・フォン・リットベルク)との出会いである。
彼は戦場という日常から逃れるため、一人の少女に出会う。
それは出会ったというより、見つけたといったほうが正確だろう。
彼はこの悲惨な第二次世界大戦の最中でも、「平和な日常」を掘り起こしたかったのだ。
しかし、彼女もまた、一瞬にして殺されてしまう。
ノーマンが一人の兵士になる瞬間である。
戦争は何もかも奪う。
相手からも、味方からも。
そこには善悪の判断はなく、生死の区別しかない。
そのことを感覚的に知るのだ。
そして、ドイツの最新型戦車ティーガーとシャーマンとの戦闘になる。
博物館から借用したという実際の実物を用いたこの場面は、この映画随一の見せ場となる。
それぞれの人物がある程度見えてきたところでの戦闘で、まさに手に汗握る場面である。
その見せ場を越えたときに、ノーマンがドンの決意に応じることが違和感なく受け取れるようになる。
この一戦によって、彼は一人の使命を帯びた兵士となり、命令を果たすことがいかに大切であるかを知るのだ。
そしてもちろん、闘って勝つ喜びを知ったのも、このときなのだ。
1台の壊れた戦車で、たった5人で、クロスロードを守るという使命はあまりにも無謀な作戦なのかもしれない。
けれども、5人はその命令を完遂することを決める。
このまま5人とも死んでしまえば、この物語は「架空」になってしまう。
つまりこの出来事を語る人間がいないわけだから全ては想像に過ぎなくなってしまうわけだ。
しかし、ノーマンを残すことで、この物語がリアリティをもって語られた「事実」のように受け取ることができるようになる。
語り(ナレーション)を挿入しているわけではない。
ノーマンを残すことで、語りやテロップで「この話は事実に基づいている」なんて書かなくても、リアリティが出るわけだ。
上手いラストだと思う。
絵に描いたような展開だ。
おもしろい。
けれども、すべてが予定調和の中で進み、期待通りにノーマンだけが生き残る。
ドイツに配慮したのか、ノーマンを見つけたドイツ兵は何も言わずに立ち去る。
戦場にありがちなセンチメンタリズムなのかもしれないが、それもやはり「ありがち」だ。
私はこの映画を観ながら、高い〈同化効果〉を持ちながら、〈異化効果〉は薄いと感じた。
すべてのキャラクターが「ありがち」なキャラクターで、驚きも新しさもない。
あの戦闘から70年経っているが、その遡及的な言及もない。
なぜ、今、この戦争を語り直すのか。
その視点がなく、たんなる戦争アクション映画になってしまっている。
いや、新しければいいというわけではない。
残酷な描写があればいいというものでもない。
ただ、それなら他の作品でも良かったのではないか、と思えてしまう。
物足りない、というのが正直な感想だ。
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