メンザシン menzashin0213 報恩謝徳 

日本で生まれ、日本で育てられた事に感謝し、日本の伝統と伝承を学び、後世の世代へと繋がる事、それが私の希望です。

人間として大切なこと

2013年01月18日 | 日記

本日、1月18日は金曜日ですが、地域の住民の方々は、資源ごみを指定場所に集めて収集し、

 

収集完了後、産廃業者が後で回収にきて頂ける日となっています。(第一、第三金曜日に実施)

 

当番は、順番に各家々に回ってきて、当日は朝の6時から8時まで、30分刻みで立会監視者が

 

変わり(仕事の出勤に合わせて)リサイクルする項目別に仕分けをし、まとめてネットに入れます。

 

普段見掛けることのない住民の方(新興住宅地域なので、新しい住民が増えているので)に、お役目

 

バトンを次々と渡していき、「おはようございます」「ありがとうございます」の声が自然に聞えてきます。

 

「ありがとうございます」の音は、サンスクリット語で、「ナーム・アンミンダ‐」「南無阿弥陀仏」からです。

 

人間が、なぜ仕事をするのか?という事については、「仕事を通じて地域社会に貢献する」事と、「仕事

 

を通じて社会と関わりたい」という社会通念があり、経済の為や生活の為だけではありません。

 

礼に始まり、礼に終わる。人間が人と人のふれあいをする事の基本が、「挨拶」の中にあります。

 

私の子供に、極真空手を習わせていまして、「極真の教え」の中にある言葉の中に

 

一、「吾々は、礼節を重んじ長上を敬し粗暴の振る舞いを慎むこと」

 

私達は、礼儀を身に付け、先輩や年上の人を敬い、むやみに理由なく人前で、空手の力を誇示する

 

様な行動をとってはならない。 と言う意味です。

 

一、「吾々は神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること」

 

私達は、人間の力がおよばない自然や宇宙の摂理を重んじ、神や仏を敬い、相手のことを大切に

 

し、自分を謙遜する態度を忘れてはならない。 と言う意味です。

 

人間として、男性として、女性として、社会人として、学生として、あるべき姿を思う時、

 

らしくある事え、バランスを保つことにできるのです。

 

最近の教育関連のニュース等を見ますと、教育委員会や校長さんなどが、謝罪する姿をよく見かけ

 

ますが、体裁や立場などがあるのはわかりますが、やはり、間違っていた、怠っていた事が明るみに

 

なっているのであれば、まずはともかく「心の底から謝る。」「恥も外聞もなく謝る」事をトップの人間から

 

身を呈して示していかなければ、生徒達に、人間が本気になる事、誠実になる事、真実を語る事を

 

いかにして教える事ができるのでしょうか? 人間は必ず間違いもある、しかし償う気持ちがあれば

 

必ずや報いが晴れる事も、昇龍する時(復活、再挑戦)もきますので、人間は常に真撃になる覚悟と

 

度胸を備える尊さを、勉強だけが教育の目的ではなく、心の鍛錬をしてこそが成就と、希望しています。