相手から素直な気持ちで接触されると、こちらからも素直な素直な気持ちで答えられる。
相手から高圧的な気持ちで接触されると、こちらからも高圧的な気持ちで応対してしまう。
相手から悲しい気持ちで接触されると、こちらも悲しい気持ちになってくる。
自分以外と自分、それは 「写し鏡」であり、ことわざに 「子は親の鏡」とも言われますが、
壁にボールをぶつけるとき、強く投げれば、強い反発力で跳ね返ってくること。
弱く投げれば、弱い反発力で跳ね返ってくること。
太鼓も、強く叩けば大きい音が、弱く叩けば小さな音を発します。
神社や大社で、正式参拝された経験のある方であれば、ご存じである
とは思いますが、神職の方(宮司、禰宜)の方は、祝詞奏上されている時、
一心に、「御神鏡」 に向けて、おとを発せられております。
それは、アマテラス様が、南無天照皇大神様が、天孫降臨の後に
三種の神器の内、御神鏡、勾玉、神宝剣、の「御神鏡」を前に置き
その奥へ御神体の神宮大麻を置き、神棚へとお祀りし祓い清めなさいと御神託
述べられた事に始まりますが、「御神鏡」は、参拝者、御祈願者を映す鏡
であり、鏡に映る自分の姿、有様はどうですか?乱れていませんか?
気が満ちあふれている様にですか?と、自分自身の姿を反射され
結界の中に投影される、色と音と数字(氣)を三方に伏して、大神様
から教えていただく、大事な時間と空間でもあるのです。
決して「人を呪わば、穴二つ」の様な邪気のままでは、対象物、対象人の生霊
ではなく、想念力の2倍以上で、自分の身に戻って、返ることになるのです。
負のエネルギーには、負のエネルギーが邪気として巨大となっていき、
負のスパイラルに陥ることになります。
清き心で、清き心眼で、もし相手が、修羅であろうと、羅刹であろうと、夜叉であろうと
負には、負では、自身も取り込まれてしまいますので、大祓い(祓戸大神)、守護神
守護仏を理解して「心の鏡」と「心の言葉」を、疑うことなく、精進していきたいものです。