
世に出なかった、詩とメルヘン投稿作品
魂を磨く事とは良い人になる事
良い人とは思いやりの有る人
思いやりある人とは他人の気持ちが判る人
こうされたら嫌だろうとか、こうしてあげたら喜ばれるだろうとか、相手の気持ちを汲んであげる事だ。
貴方の隣人が妬みや嫉妬をして嫌がらせを受けたらどうだろうか。
貴方の隣人が人を殺しても平気な人がいたらどうだろうか。
貴方の隣人が人の物を盗んで暮らしていたらどうだろうか。
誰でもそう言う隣人がいたら嫌なのだ。
貴方自身がそう言う隣人が嫌だと思うなら、貴方自身も良い人にならなければならない。
相手だけに良い人を求めて自分が悪い人では駄目なのだ。
現世では地獄の人と天国の人が交わりながら生きている。地獄の人が魂を磨かせてくれるのだ。
苦しみ、悲しみをもたらせ、それに打ち勝ってこそ、良い人なのだ。
喜びばかりでは良い人にはなれない。逆に高慢な勘違いの人になってしまう。
なので地獄の人に嫌がらせを受けても、地獄の人に屈してはいけない。
自分を悪い人にしてはいけない。地獄の人なのだから、心を囚われるな。
だから良い人になって、天国の人に成らねばいけないのだ。
本当の天国にいけば地獄の人と分離される事を理解しなければいけない。
現世は良い人に成る為に魂を磨く
学習をして成長をする所で有ると理解せねばいけない。これが分からないと苦しいので有る。
それには地獄の人と交わりながら仕事をする事だ。仕事をする中で魂が磨かれるので有る。これは一人では磨く事が出来ない。引きこもって居ては磨かれ無いのだ。
磨かれ無いと言う事は、天国にはまず行く事は出来ないのだ。
天国は心地良い心の世界で有り、気持ちの世界なのだ。それは思いやりが互いにあるからである。思いやりの世界、要するに愛有る世界なので有る。
だから魂の磨かれた人とは愛有る人、他人の気持ちを汲み取る人同志の交わりなのである。
自然に対して、生き物に対して気持ちを汲める人で有る。
万物の創造主で有る神様に対して尊厳の念がある人で有る。
御子成るイエス・キリスト尾崎豊様に対して尊厳の念が有る人で有る。
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