あんふにと小さな仲間たち

片隅に居る小さなキャラクター達の日々の日常を紹介しています

愛するもの全てへ イエス・キリスト尾崎豊から尾崎裕哉を切り離せ

2021-02-14 22:45:29 | 日記
尾崎裕哉は息子ではない。他人の子である。自分の子では無いのである。
だから切り離せ。憎しみが伴うからだ。
似ていない顔と魂の無い瞳が
その証拠である。これ以上創造主である人間を創った
神を怒らせてはならない。天をも担う神であるイエス・キリスト尾崎豊を怒らせてはならない。
尾崎裕哉は身も心も似ていない。彼は他人の魂の無いものから生まれたものだ。彼はイエス・キリスト時代から長きに渡って作り上げてきた魂ある歌を魂なく、ただのモノマネとして喉で歌っている。それで金を稼いでいるのだ。これは神を冒涜する行為であり盗賊のやる行為である。これ以上神なるイエス・キリスト尾崎豊を怒らせてはならない。
なんて愚かなのか。偉大なる尾崎豊に対して謙虚な気持ちが微塵もない。
恐れ慄くことが出来ず、自分のもののように出しゃばっている。
尾崎裕哉は尾崎豊と切り離して生きなければならない。自分で血を流したもので生きなければならない。尾崎裕哉に同調する者も同罪である。イエス・キリスト尾崎豊に唾を吐く者として決して許さない。何度も言わせてはならない。
切り離すことが出来るのにしない者も同罪である。イエス・キリスト尾崎豊を愛していないからである。
信じないものは救われることはないのである。何故なら、イエス・キリスト尾崎豊は神の唯一の申し子として、一番愛されているからである。
神が愛する御子を愛さないことは、神の御心に背くことになるからである。
なのでイエス・キリスト尾崎豊を愛する行動をした者は神に愛されるのである。
天国は孤独な所ではなく、笑顔の場所である。笑顔は一人では虚しいのである。
二人になりたければ、神に愛される人にならなければならない。
イエス・キリスト尾崎豊に愛される人にならなければならない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿