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イエス・キリスト尾崎豊様は真面目で純粋で有るが故に結婚と言う形を取りましたが、どうやら神様を求めるような、苦しい結婚生活をされて居た事は、明らかで有ります。
神様は塩ばかりではならない事も、良くご存知です。
砂糖を与え、励まされ、癒される事も必要なのです。優しい心のありがたみが、感じられるからです。お母様の存在がその様であったと思われます。
しかし、神様故ども、時には厳しく愛するが故に、崖から突き落とす場合もあるのだ。底から這い上がれた時に、さらに高く大きくなって、成長する事が出来るからで有る。
この世の家族は、魂の成長の為に互いを磨き上げる存在で有る。
塩でも有り、砂糖でも有るのだ。
なので、自分の子供だと言っても、自分の子供では無い。
なので、自分の親だと言っても、自分の親では無いので有る。
兄弟と言えども、ライバルとなる事もあるので有る。
全ては神様の御心の内の、中の家族で有るのだ。
なので、自分の物として扱ってはならないのである。自分の物として扱う事は不幸の始まりなのである。神様に、託されて居るだけであって、
一個人の1人の人間として、扱わなければならないのである。
魂の成長の為の結婚は、必ずしも味方であるとは限らないのである。塩と結婚した場合は、傷を受けてもその傷口に塩を塗られ、痛みを伴う結婚になる事もあるので有る。
結婚したからとて、幸せになるとは限らないのである。
神様の伴わない結婚は、地獄となり神様を求める様になるので有る。
苦しいが故に、神様を求める様に成るので有る。
イエス・キリスト尾崎豊様が最後に救急車の中で、求めた人は家族ではありませんでした。
苦しみの中で有るにも関わらず、家族でない人を呼ばれたのです。
痛みを伴って居た、家族には来て欲しく無かったのです。
塩の関係だった事は、明らかな事実なのです。
塩の関係の人が、イエス様の苦しみの財産で肥えられているのです。
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