先日、広島は山縣郡安芸太田町周辺の里山を訪ねた。新地名の「安芸太田町」と聞いてピンと来ない方の為に、「深入山」「三段峡」「八幡高原」「臥龍山」と聞けば、あぁ~あの辺りかぁ~!と、思い出す事でしょう(済みません~超地元ネタで・・m(__)m~)
国道191から、深入山東側の林道「深入峠」を走り小板地区に抜ける~此処は「茅葺家屋」も結構現存しており、周りを黄金色に輝く稲穂に囲まれた茅葺を見ると、まだまだ日本の「原風景」は健在なのだと思うと、嬉しくて自然に顔がほころぶ・・(^。^)
この辺りの山は「臥龍山」「深入山」をはじめ登山で全て網羅したなと思いながら、横川地区「恐羅漢山」方面に向かう~新道は使わず、わざと旧道の渓谷沿いを通っていくのだが、この辺りは「三段峡」にも近く、気温も平地に比べて1~2度は低いと感じる。勿論「紅/黄葉」には未だ早く、それでも車窓全開では少し肌寒い~
山縣郡の冬は厳しく、積雪も2~3mはざらで、昔は5~6mの積雪はあったらしい・・そう言えば、「積雪」と云う言葉で思い出したが、ここ広島県は「スキー場」も多く、現在県内のスキー場は16ヶ所も在るそうだ(H20年調べ)・・・
この「恐羅漢山」も過去3回ほど登山で訪れている。何時だったか?・・山仲間の一人が「広島のスキー発祥の地はここ恐羅漢山なんですよ・・」と、教えてもらったのを思い出した~なんでもその「記念碑」が麓の「「牛小屋谷」に在るらしいと・・話してくれていたが、話した本人も詳しい所在地は分からない~
当然、その話しを思い出した以上、その「記念碑」を探してみる事に~因みに、このフットワークの軽さには、私本人ですら驚かされる~(*`▽´*) ウヒョヒョ~
恐羅漢山スキー場入り口から、右・牛小屋谷方面に上ってみた。傾斜した道を暫らく走ると、「牛小屋高原エコロジーキャンプ場」と記された看板が目に付いた~駐車場に車を止めて、キャンプ場管理人の方にその旨訪ねてみると、「記念碑」は直に判った~(^。^)
何でも・・造り酒屋に生まれた「川本老介氏」は、新潟に「スキー修行」に・・その後、帰広した昭和2年(23歳)に、ここ中国山脈「恐羅漢山」に広島県初の「スキー場」を開設した。
当時は交通手段や道路事情は今みたいによくなかった筈~其れを思うと、「林業」以外、産業らしい産業の無いこんな山深い地こ「スキー場」というニュービジネスをもたらした川本老介氏の功績は、凄い事なのだと改めて驚かされた~そう言う意味では「広島のスキーの父」なのだと勝手に思い込んでしまう~(^。^)
画像の「記念碑」は昭和24年(1949年) 「広島山岳会」の有志達が、「川本老介氏」の功績を称える為に建てた「碑」である・・・因みに60年が過ぎようとする「碑」の両側と後ろに刻まれた小さな文字は、はっきりとは読めなかったが・・所々の修復跡が歴史だけは感じさせてくれた・・・
「雪と共に生きる 川本老介の碑」・・こう記された文字から、この地がどれだけ雪に閉ざされ、そして悩まされてきたか想像がつく。そんな自然の力を毛嫌いするのではなく、逆に味方につける事で「心」の豊かさや「徳」を求めたのでしょう・・・「広島スキー発祥の地 恐羅漢山」~ 私の大好きな山です~ヽ(´▽`)/~♪
『追伸:この日はもう直やってくるスキーシーズンの為に、リフトやゲレンデ、そして山小屋等の整備/準備に追われる方達を多勢お見受けした~その光景を見た私は、この深山の地が不況に負けず、再び人で賑ってくれることを心から祈った・・』
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