先日、スーパーカーブームの始まる前の"ランボルギーニ"の聞き慣れない、車の紹介をさせて頂きました。※前回はランボルギーニ350GTの紹介
※L)350GT R)イスレロ こうして二台並べて見比べると大きく違いが分かる。
ランボルギーニミウラやカウンタックは車に興味ない方でも名前位聞いた事が有ると思います。と、言う事で今回も引き続きあまり知られていない”ランボルギーニ"の画を添付させて頂きます。
此処で之を👉【 TRUTH ~Version`05~ 】 4min ※エレクトーン演奏者:826ASKAさん
※背景:イタリアトスカーナ ※1968 ランボルギーニ イスレロ 1/43scale
ランボルギーニ3作目の車 "イスレロ(Islero)"
1968年から1970年まで生産された、V12エンジンを持つ2+2シートのグランツーリスモ。ランボルギーニ初の生産車 "350GT(400GT)" から数えて3番目に製造販売された。※2番目の製造はミウラ
イスレロという名前は、「Manolete(マノレテ)」として知られた有名な”闘牛士マヌエル・ロドリゲス”を1947年8月28日に殺した牛の名前。因みにこのイスレロを飼育していた牧場が「ミウラ」である。
※このデザインも素晴らしいと思いますが、350GTやミウラを超える程の評価は高くなかったと言います。その理由にボディが大きくなり、あまりにもラグジュアリー色が強くなった為だとも言われていますね。
確かに諸元表を見ると随分大きくなっていました。それに350GTやミウラほど微妙な艶っぽい曲線が表現されていませんね。※二台並べて見比べると一目瞭然。
※背景:ローマ ※L) 1964 "350GT" R)1968 ”イスレロ” ※このアングルで見比べると大きく違いが分かる。
イスレロ寸法 全長:4625mm 全幅:1730㎜ 全高:1300㎜ 車重:1315Kg
Eg:V型12気筒3929㏄ 出力:320馬力 定員:2+2
※背景:イタリアベネチア広場 ※イスレロ 1/43scale
ちゃんちゃん~♪
~~【ココからランボルギーニの意外な話だよ~♪】~~
フェラリー、アルファロメオ、ルノー、ポルシェ・・等のヨーロッパの自動車メーカーの歴史においてレースに参戦することは絶対的に必要不可欠な要素だ。
しかし、ランボルギーニの創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニは性能のいい市販車を作ることに注力し、レースには参戦しないという信念の持ち主だったという。したがってフェルッチオの在任中はレースに参戦することはなかった。
【※ランボルギーニは1974年自動車業界から引退。晩年は旅行中にひと目ぼれした土地を購入し、人生最後にとワイン作りやバラの栽培に情熱を傾けていた。1993年2月20日、心臓発作で死去。76歳。】
1989年。当時、クライスラー傘下にあったランボルギーニはレース活動を開始する。いきなりの舞台はF1で、ラルースF1チームへのエンジンサプライヤーというかたちでの参戦だった。※わかりやすく言えば、エンジンのみ供給としての参戦。
※ランボルギーニ製F1 V12Eg
翌年には、鈴木亜久里がラルースのドライバーを務め、ローラ製のシャシーにランボルギーニのV12エンジンを搭載したマシンで日本人初の3位表彰台を獲得した。
※1990年、亜久里は「ラルース・ローラ・ランボルギーニ」で3位に輝く。 日本勢初のF1表彰台到達という大偉業だった。※リアカウルに”Lamborghini”のロゴが確認できますね。
※当時、”タナぼた入賞”って揶揄する輩がいたけど、それは違う。実際に早かった。ランボル製Egとラルース製車体が高次元でバランスが取れてた。
そうなんですよ~フェルッチオ・ランボルギーニはフェラーリと真逆で、レースには一切興味が無く”高級ラグジュアリーカー”に的を絞ってたんですね。だからオールランボルギーニ製のF1マシンは存在していないのですね。意外でしょう~(´艸`*)
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ちゃんちゃん~♪
GWがすたーとだね~♪それじゃ~♪
ちゃんちゃん~♪
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