今朝、羽鳥さんのパネルを朝食食べつつみた。
皇室の今後。
TVによく出るジャーナリストの田崎氏の言葉を引用した。
小泉首相の時、官房長官だった安倍首相、
皇室の今後、女性宮家に関してなど議論した時、
女系天皇はダメと言いはる、強い信念に驚いた。
もし女系にしたら、壬申の乱になりかねない、と。
そうなのね。(^^♪
自分は子供ができず、明恵夫人は散々、子供をと言われたと週刊誌にあったのに、
夫として、男でないとという信念がとても強い。
子どもっぽいね。
今日のコメンテイター、石原、予報士。
慎太郎は4人息子がいる。
安倍は一人もいない。
皮肉。
石原は、売れない画家息子の事で、都知事の時トラブルがあった。
皇室、今後、2つくらいしか選択はないかも。
女性を入れるか、側室(愛人でも)か、
もう男だけでは無理がある。
自然の摂理に反しているから、女が多く生まれているのかもしれない。
元々遺伝子的に、女系なのか~
神は見ているよ、どこかで。
愛子さんが、天皇へ、はもう、お勉強していないので無理だろうから、
女性宮家で男児を増やすしかない。
遠い過去の壬申の乱のこと。ネットから。
こんな大昔の歴史を口に出すなんて~~
天地天皇崩御後,天武1 (672) 年 (壬申の年) 6月に皇位継承をめぐって皇族,
豪族がそれぞれ2派に分れて争った内乱。
大化改新 (645) を成功させた中大兄皇子は天智7 (668) 年即位して天智天皇となり,天皇による人民の直接支配を推し進めたが,天皇の実弟皇太子大海人皇子が兄を補佐した。
ところが天皇は子大友皇子が長じるにしたがって,聡明な大友皇子を自分の後継者に望むようになったため,大海人皇子との間に不和を生じた。
同 10年正月天皇は大友皇子を太政大臣に任命し,蘇我赤兄 (あかえ) と中臣金 (こがね) を左右大臣に任じ,政治の表面から大海人皇子を締出した。
同年 10月大海人皇子は病床の天皇に招かれ,後事を託されたが拒否して東宮を辞し,出家剃髪してただちに兵器を納め吉野へ退いた。これは皇位への執着の疑いを受けないためであった。~
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